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特別リポート:ホンダが失った「暴走力」、改革DNAの復活あるか
2017年9月11日 / 08:53 / 15日前

特別リポート:ホンダが失った「暴走力」、改革DNAの復活あるか

The 1988 McLaren Honda MP4/4 F1 car is displayed at Honda's headquarters in Tokyo May 16, 2013. REUTERS/Issei Kato/Files

[東京 11日 ロイター] - ホンダ(7267.T)が復活への苦闘を続けている。かつてF1を初めとする数々の自動車レースを制覇し、燃費向上や環境技術でも業界の先頭を走った同社の輝きは、すっかり色あせた感がぬぐえない。

「世界のホンダ」は再びよみがえることができるのか。危機感を抱く八郷隆弘社長のもと、失われた革新力を取り戻す厳しい挑戦が始まっている。

<過ぎ去った栄光の時代>

1988年、三重県鈴鹿サーキットで開かれたF1日本グランプリ。ライバルだったアラン・プロストの追撃を抑え、トップでゴールインしたアイルトン・セナは、勝利のこぶしを突き上げて大観衆の歓声に応えた。後に伝説のレーサーと呼ばれたセナが、ワールドチャンピオンの座を初めて手にした瞬間だった。

接戦を演じたセナとプロストの車は、ともにホンダ製エンジンを積んだマクラーレン。この年に行われたF1世界選手権で、マクラーレン・ホンダは16戦中15勝という圧倒的な強さを見せつけ、「ドリーム・チーム」の評価を欲しいままにした。

レーストラックの外でも、ホンダの躍進は続いていた。1970年代、同社が開発したCVCCエンジンは、業界における燃料効率と排ガス浄化の水準を引き上げるきっかけとなった。

さらに、同社のエンジンがセナに数々の勝利をもたらしていた1980年代、「シビック」と「アコード」の登場は、米国のファミリーセダンのイメージを塗り替えるインパクトをもたらした。1997年にはカリフォルニア州のゼロエミッション基準を満たす電気自動車(EV)の「HONDA EV PLUS」を発表、同社の革新性を世界に印象付けた。

しかし、鈴鹿サーキットでの勝利から約30年、ホンダの状況は様変わりし、世界企業への原動力となった同社の「革新の歯車」には大きなきしみが生じている。

自動車レースでは精彩を欠き、マクラーレン・ホンダ勢は今シーズンまだ1勝もしていない。しびれを切らしたマクラーレンは、ホンダとの契約解消を持ち出している。自動車市場では2008年以降、エアバッグの欠陥によるホンダのリコール(回収・無償修理)数は米国で1100万台以上に達した。

2013年と2014年には、トランスミッションの不具合で「フィット」と「ヴェゼル」のハイブリッド車が相次ぐリコールに追い込まれた。EVの分野では、急成長する米テスラ(TSLA.O)や他社の新車種の後塵を拝している。

「我々自身が、かつての元気をなくしてしまったのは間違いない」と八郷社長は危機感を隠さない。同氏はロイターとのインタビューで、1950年代後半に同社が発売した「スーパーカブ」を例に挙げ、「人の生活を変え、行動範囲を広げ、人生も変える」商品を生み出す「ホンダらしさ」復活の必要性を強調した。

技術者がリスクを恐れない「レーシングスピリット」あふれる社風を取り戻し、コスト削減重視に流れがちな社内の圧力から革新勢力を守る──。2015年6月に社長に就任した同氏が目指すのは、こうした企業構造の再構築だ。

その方策の1つとして八郷氏は、ここ数年間、社内の様々な問題について私的な勉強会を行ってきた技術者やマネジャー、計画担当者たちの集まりを正式な社内組織と認め、少数精鋭の改革部隊を設置した。革新的な製品・技術などを開発するために、米航空機メーカーのロッキード・マーチン(LMT.N) 、米IT企業のアップル(AAPL.O)やグーグル(GOOGL.O)などでも結成されている「スカンク・ワークス」と呼ばれる研究開発チームをモデルにした措置だ。

<研究開発部門への過度の関与>

ホンダはなぜ先進的な企業としての勢いを失ったのか。それを取り戻す方策は何か。

ロイターでは日本や中国、米国のホンダの現役および元幹部や技術者ら20人以上にインタビューした。彼らの多くは、ホンダが株主価値を優先し、より高い利益率を追求する中で販売拡大とコスト削減に傾き過ぎ、本来の企業力である技術革新の勢いが削がれてしまったと指摘した。さらには、自動車産業が大きく変わろうとする中、ホンダは日本の製造業で称賛される「ものづくり」の意識にとらわれ過ぎているとの声もあった。

ホンダの業績推移

ホンダの業績推移

これまでホンダにとって、製造業としての基本を重んじる「ものづくり」と生産ラインの効率性を高める「カイゼン」は、企業規模を拡大するうえで大きな力となってきた。しかし、車の電動化、自動運転、コンピューター化など自動車市場がかつてない変化に直面する中、ホンダにはより機敏で繊細なアプローチが必要だと彼らは言う。

何よりも彼らが問題視したのは、東京本社の経営幹部たちが研究開発部門に過度の介入を続けていた点だった。イノベーションよりも株主価値が優先されるようになり、海外の有能な人材を活用することにも消極的になった。販売台数や利益の最大化が重視され、競合するトヨタ自動車(7203.T)と同じような製品ラインをそろえることに経営の主眼が置かれた。

「相手(トヨタ)を見過ぎて、だんだん同質化してしまった。そのアンチテーゼであることがホンダの存在価値だったのに、それを忘れ始めてしまったことが今の状況を招いた原因だ」と、本田技術研究所の松本宜之社長は話す。

「ホンダに期待されていたのは、他の会社のような車やバイクではなく、独自性を求めるお客さんの喜びに応えるよう、徹底的に掘り込んだ製品だった」。

<犠牲になったシビック>

ホンダの売上高は2000年以降大きく伸びた。しかし、J.D.パワーの初期品質調査では、ホンダ車は2000年の7位から2017年には20位に低下した。株主が求める業績拡大は進んだが、その一方でブランド力は目に見えて落ち込んでいる。

インタビューした取締役や技術者らによると、2003―09年に社長を務めた福井威夫氏は、技術部門の予算管理は部門の責任者らに任せるという、それまでの慣例を実質的に廃止し、プロジェクトごとの細かいコスト管理を徹底した。

福井氏の後任となった伊東孝紳氏(現・ホンダ取締役相談役)は、設計段階の管理をさらに強化し、本田技術研の複数の上級ポストをホンダ東京本社に移した。研究開発現場に対する本社の介入を強化することが狙いだった。

人気乗用車シビックはこういった変更の犠牲になったと、2007年からのデザイン変更に関わったエンジニアは言う。ずば抜けた技術性能と信頼性がありながら価格は手頃という高い評判を得ていたシビックは、ホンダのベストセラー車のひとつだった。

しかし、新型シビックには旧モデルから多くの部品やシステムが転用された。伊東氏が社長就任の前に担当していたグローバル自動車事業部門と技術部門がコスト低減を図ったためだ。

複数のホンダ関係者によると、新型シビックは08年2月までに第1段階の設計が終わり、同4月には1回目の詳細設計が完了した。ガソリンや鉄鋼などの価格上昇で生産コストは1台当たり1200―1400ドル膨らんでいたため、燃費を改善するための設計変更が行われた。

08年7月上旬、カリフォルニア州トーランスの北米本社で開かれた会議で、新型シビックの設計チームは、経営陣からの承認を求めた。伊東氏は設計をレビューすると返答。翌朝、同氏は月末までにより小型でより生産コストを削減できる設計に修正するよう同チームに指示を出した。

伊東氏の意向を受け、新型シビックには安価な材料が使われた。車体の全長も45ミリメートル、全幅も25ミリ縮小し、前輪軸と後輪軸の距離であるホイールベースも30ミリ短くなった。プロジェクト開始直後の構想より車体は小さくなり、コストも切り詰められた。

「(新型シビックの)計画は開始直後から、実質ベースで費用を削減することが目的になった」と、このモデルチェンジに関わった技術者の1人は振り返る。

さらに、米国の元エンジニア幹部は当時のホンダについてこう語る。「自己防御と独善的なメンタリティーにはまり込み、それが製品にも浸透していった。何でも削減、削減、削減で、ホンダ車の品位を落としめていった」。

コスト重視の圧力下で開発され、11年に販売開始となった2012年モデルのシビックは、市場から批判の集中砲火を浴びることになる。

影響力のある米消費者情報誌コンシューマー・リポーツは自動車評価ランキングを開始した1993年以来初めて、シビックを推奨リストから除外。新型モデルは内装のクオリティーが低く、走行にむらがあると苦言を呈した。

Logo of the Honda Motor Co. is seen on the body of the 1988 McLaren Honda MP4/4 Formula One car at Honda's headquarters in Tokyo May 16, 2013. REUTERS/Issei Kato/Files

その後、シビックの設計は変更され、12年モデルと交代した16年モデルのシビックセダンは16年の北米カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

本田技術研の松本社長はこのエピソードについて、株主価値のために開発部門の創造性を犠牲にしてはならないという教訓になったと話す。

「多少、暴走する。それは暴走に見えるかもしれないけれど、実は将来に対する種まきだ」と話す松本氏は、コストや効率性だけで技術開発の価値を評価する流れには批判的だ。「種をまいても100%当たることはない。それを理解して技術開発に取り組まないと、(ホンダは)普通のつまらない会社がただ大きくなっただけの存在になってしまう」。

<先駆的なEV戦略も失速>

一方で、この間の経営判断を支持する声もある。ある元上級幹部は、コスト削減は世界的な景気減速を背景にした決断だったと正当性を強調した。浅沼なつの広報部長は、株主価値を重視した旧経営陣の判断は、その時点で「会社の将来を考えたことだった」と指摘した。

IHSマークイット・オートモーティブ(上海)のアジア太平洋担当チーフ、ジェームズ・チャオ氏によると、福井・伊東時代のホンダはサスペンションやトランスミッションなどの分野を中心に技術全般で革新性がなくなったが、財務的には十分に順調だったため、問題が表面化しなかった。

「技術への投資を削減してもホンダの業績は順調だったとみなすことはできる。だが、技術分野の一部で同社はもはやリーダーとは言えなくなっている。それを無視するのは困難だ」とチャオ氏は言う。

本田の「変調」はEV戦略でも起きた。大手メーカー製としては先駆けとなるニッケル水素電池搭載の「EV PLUS」を97年に発表したものの、競合他社がこれに追随して技術投資を加速させる一方で、ホンダは後退を始める。

幹部や技術者らによると、福井氏は、同社があまりに多くの研究分野に関与し過ぎていると感じていたという。その結果、同社はEV関連の研究活動を縮小し、水素自動車(FCV)に注力。2000年代後半にEVに逆戻りした際には、すでに他社に比べ数年を無駄に費やしていた。

福井氏を知る関係者によると、同氏はFCV技術に精通していれば、EV市場が拡大しても、モーターや制御の技術については対応でき、バッテリーに関しては他社からの調達でいいと考えていた。

その考えに一面の正しさはあったものの、EV車は充電のために電気インフラにプラグインすると、情報通信ネットワークにつながる媒体にもなる。福井体制下のホンダは、そうしたEVの特性を軽視した結果、電気自動車技術で出遅れてしまった、と関係者は話している。

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ロイターはこれらの点について福井、伊東両氏にコメントを書面で求めたが、返答は得られていない。

「EV PLUS」に遅れること16年。ホンダは2013年にようやく競争力のある 「フィットEV」を発表し、米テスラなどの先行メーカーを追いかけている。来年には中国で現地市場向けのEVを発売する予定だ。

<純血主義のツケ>

ホンダ最大の市場である米国のホンダR&Dアメリカズ(HRA)の元社長、エリック・バークマン氏は、ホンダが長期にわたって外国人従業員の可能性を見過ごしており、このことがホンダの損失になっていると話す。

ホンダは最近まで経営陣、取締役会、執行役員が全て日本人の男性だった。同社が初めて外国人(日系ブラジル人)と女性を取締役に採用したのは、たった3年前だ。

2013年秋、バークマン氏は栃木県茂木町で開催された会合で、ホンダの技術者や研究者に向けて講演し、ホンダにとって全てのエンジニアの知性を活用する時が来たと訴えた。

ロイターが入手した講演原稿によると、同氏は、米国で20年以上にわたってホンダに勤めた研究者も学生のように扱われている、と述べた。同講演には約500人が集まり、その中にはホンダの経営陣もいたという。

バークマン氏は講演で「われわれは『年季奉公人』になることを望まない」とし、「ホンダは自分の会社でもある、というのが私の姿勢だ。社内、特にR&D部門での多様性の増大がわれわれの進む道だ」と語った。

同氏はロイターとのインタビューで、米国にいる多くの有能な技術者および研究者が、軽視されたことへの不満を理由にホンダを退職しているとも明かした。「日本の上司たちは管理が強過ぎるだけでなく、妥当と考えられるリスクすら取ろうとしない。(米国にいる)多くの同僚はそう感じていた」と同氏は話す。

バークマン氏および会合への参加者2人によると、シニアマネジャーを含む参加者の多くが同氏の講演に喝采を送ったという。ただその後、同氏はHRAの社長職を降ろされ、他の子会社に配転された。

「スピーチとは何の関係もないかもしれないが、私はそうは思わない。飼い主の手を少しかんでしまった、ということだろう」。バークマン氏は33年間務めてきた同社を退社することに決めたという。同件についてホンダはコメントを避けている。

松本・本田技術研社長も、ホンダの技術・研究部門のスタッフには多様性が欠けていることを認める。同氏によると、ホンダは人材の移動を促すために、米国やタイ、中国などに技術センターを再配置し、日本の研究所に対するサテライトセンターのように機能させている。「純血主義はうまくいかない。それが共通認識だ」と話す。

<社内改革へ精鋭部隊>

自動車業界は今、未体験の課題に直面している。人工知能技術の進歩や自動運転車の登場で、メーカーは自動車の設計、生産方法の再考を余儀なくさせられているからだ。松本・本田技術研社長は自動運転車やコネクテッドカー(インターネットに常時つながる車)などが主流となる「新しい時代には全く新しいアプローチが必要だ」と強調する。

すでにホンダでは、新たな動きが出始めている。技術部門の上級職を東京本社から現場に移し、同部門の自主性を高めることなどの対策だ。

コネクテッド電気自動車の開発加速に向け、ホンダは外部との協力を進めている。日立製作所と(6501.T)はEVなど電動車両向けのモーターの開発・生産、米ゼネラル・モーターズ(GM)(GM.N)とは米国で燃料電池システムの生産をそれぞれ行うことで合意した。また、グーグルと自動運転技術のテストでの車両供給を巡って協議している。

こうした改革を進める中心的な存在は、八郷社長が正式な社内組織として後押しするエンジニア、マネジャー、計画担当者で構成される小規模なグループだ。

東京の京橋で業務を行うこのグループの存在は社内でもほとんど知られていない。同社幹部らはメンバーの詳細については明らかにしていないが、彼らのプロジェクトには、肥大化して複雑になった製品開発プロセスの簡素化、自動車をより効率的に、かつ顧客の好みにより早く対応して開発する技術の確立などが含まれる。

また、開発スピードを上げるため、コンピューターを利用した設計など、仮想的なエンジニアリングのツールの導入を高めたい考えで、プラグインカーのデザインの改善も進めているという。

松本氏は、このグループがホンダの改革課題として8つのテーマを議論しているとし、それを幕末に坂本龍馬が新国家体制の基本方針として示した「船中八策」にたとえた。

「変革は常に辺境の異端から生まれてくる」と同氏は語る。「ちょうど幕末の志士が明治維新の改革の指導者になっていったように。彼らを阻む抵抗勢力があるならば、彼らを守ってあげなければいけない」。

松本氏はホンダ改革が即座に実現できるとはみていない。しかし、このグループの存在に大きな期待を隠さない。

「 (ホンダが失った元気が)まだ社内のどこかにあるという証拠だ。そのDNAはまだ残されている」。

(編集:北松克朗、編集協力:白木真紀、田頭淳子、伊藤恭子、本田ももこ、杉山容俊)

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