December 2, 2019 / 2:09 AM / 7 days ago

特別リポート:伝説の香港大富豪、習主席との「長く特殊な関係」

[香港 27日 ロイター] - 1993年1月、ふくよかな頬と豊かな黒髪が目立つ、野心に富む39歳の中国共産党幹部が香港を訪れた。彼は、自らの地盤である二級都市・福州への投資を募る狙いで、立ち並ぶ輝かしい高層ビルのなか、香港の富裕層の面会を求めた。それが習近平氏だった。

1993年1月、ふくよかな頬と豊かな黒髪が目立つ、野心に富む39歳の中国共産党幹部が香港を訪れた。写真は2016年3月、香港で記者会見する伝説の大富豪、李嘉誠氏(2019年 ロイター/Bobby Yip)

その年8月、習氏は地元で1人の来客を迎えた。香港で最も著名な大物で、優れたビジネス手腕から香港では「超人」と称される李嘉誠氏が福州を訪れたのだ。このときの写真を見ると、習氏は笑顔を浮かべつつ、花束を手にした李氏の隣を歩いている。背景には李氏を歓迎するメッセージが書かれた大きな横断幕が見える。

その当時、1989年の天安門事件の余波が残るなかで、中国政府は不振に陥った経済のテコ入れに必死だった。国家の指導部も各省の有力者たちも、中国本土における開発プロジェクトに李嘉誠氏の資金を呼び込み、その知名度にあやかろうと熱心に働きかけていた。それも、今は昔である。

習氏は今や、台頭する富裕大国として香港を支配下に収める中国の独裁的指導者だ。91歳になる李嘉誠氏の歓心を買おうと努めるどころか、中国政府は、反抗的な香港において同氏が責任を果たしていないと長々と論難している。

中国共産党は、この夏に始まった香港の抗議行動に、地元の有力者らが一致して対抗することを期待していたが、李氏は公平に双方に自制を求めただけだった。ある修道院に対してオンライン動画で送ったコメントのなかで、李氏は指導部に対し、若い抗議参加者に「人道的に」対応するよう求めている。

こうした李氏の態度に対する反応は激烈だった。党中央法務委員会は、「犯罪行為を匿い」「香港が底知れぬ深淵に落ちていくことを座視している」と李氏を公然と批判している。中国政府寄りの姿勢を取る香港のある労働組合は、フェイスブックに李氏を「ゴキブリの王」と揶揄する記事を投稿し、太った昆虫に同氏の顔写真を合成した画像を添えた。

中国政府を後ろ盾とする香港行政府が街頭に出た抗議参加者を厳しく取り締まる一方で、ほとんど表面化はしないものの、もう1つ別の統制強化も進んでいる。香港の有力者の影響力を抑えようとする中国政府の動きだ。

李氏をはじめとする香港の大物たちは、第二次世界大戦後における製造・不動産・金融を通じた香港の経済発展の流れを汲んで、長年にわたって実権を握ってきた。だが、2012年に中国共産党総書記に就任した習氏の台頭は、その状況を根本的に変えてしまった。ビジネス関係者やアナリストらは、香港の著名な資本家が批判を浴びたことで、新たな力関係が珍しく公然と披露されたと見ている。

李氏をはじめとする香港の有力者は政府の意向を汲んで、天安門事件以来、中国共産党の支配に対する最も深刻な挑戦となっている抗議行動を異口同音に非難しなければならない、という明確なメッセージだ。

最近の混乱の引き金となった撤回済みの逃亡犯条例案は、香港から中国本土への犯罪容疑者の引き渡しを可能にする内容だった。香港弁護士会の声明によれば、同条例案は、資産差し押さえの手段も規定していたという。これが成立していれば、香港の有力者も、習氏の反腐敗キャンペーンのなかで資産を没収されていった中国本土の富裕層と同じ運命にさらされていたことになる。

逃亡犯条例案に対する抗議行動が盛んになってからまもなく、香港富裕層の一部に、資金を香港以外の地域に移す、あるいはそれを可能とするような口座を開設する動きが見られたことを、合計数千億ドルの資産を管理するプライベートバンク関係者6人が明らかにしている。

<李氏の人生を左右した歴史の荒波>

ここ数カ月、李氏に対して非常に厳しい批判が浴びせられているが、こうした不和が突然に生じたわけではない。抗議活動が香港を揺るがす前から、李氏はすでに中国との経済的な絆を弱めつつあった。

21世紀を迎えた時点で、李氏にとっての本丸であるハチソン・ワンポアは利益の多くを香港・中国本土から得ていた。利払い・税引前利益全体の56%に上った。だが、昨年はこの比率が14%にとどまった。2015年以降、李氏が支配する企業グループは、世界各地で合計700億ドル以上もの企業買収に関与している。

李氏に関わる5億ドル以上の規模の投資案件についてロイターが分析したところ、香港・中国本土での投資額は10億ドルに満たなかった。

李氏の広報担当者は、こうした数値に関する質問に対して、ハチソン・ワンポアは1990年代末から2000年代初めにかけて海外での大型買収を進めており、「こうした多角化に伴って地理的な比率が変化した。とはいえ、中国本土と香港でも成長を続けている」と答えている。

さらにこの広報担当者は、2015年のグループ再編に伴い、現在のハチソン・ワンポアに関しては、地元での収益の比率が低下していると説明した。

李氏の巨大企業グループの元マネージング・ディレクターであり、大富豪である李氏を数十年にわたって知るサイモン・マレー氏は、巨額の事業利益を中国の直接の勢力圏の外に移していけば中国本土の当局者を怒らせるリスクがある、と語る。

「そもそも香港にいる人間なら誰しも、中国本土がどう考えるかという点にも注意を払うものだ」とマレー氏は言う。「先方との人脈を築いておかなければ、資産を没収される恐れがある」

現役を引退した李氏にとって、中国政府との対立は劇的な変化である。1970年代末から2000年代初めにかけて中国を指導した鄧小平、江沢民両氏のもとで、李氏は数十年にわたって声望を得てきた。英国からの返還後、香港統治の準憲法となっている香港基本法を起草する委員会にも参加し、最初の行政府を選ぶ機関にも名を連ねた。

李氏の生涯を左右してきたのは、香港、そしてその境界に巨大な姿を横たえる中国の歴史の荒波である。彼は1928年に河川沿いの都市、潮州市に生まれた。幼少時、中国南部のこの街は、日本軍による空襲の標的となった。12歳のときに学校を辞め、家族とともに海岸に沿って南に逃れ、当時英国の植民地だった香港にたどり着いた。

香港は1941年に日本に占領された。占領中は食糧不足、栄養失調、病気に悩まされた。香港にたどり着いてまもなく、父親は結核のため命を落とした。「15歳にもならないうちに、李氏の肩には家族を養う責任がのしかかった。彼はプラスチック貿易の会社に仕事を見つけ、1日16時間働いた」

<伝説の成功者>

1993年に習近平氏が香港を訪問した後、李氏は当時習氏が首長となっていた福州市を訪問し、著名人として歓待を受けた。大富豪であった李氏は福州市の再開発プロジェクトに関与し、地元メディアの報道によれば、習氏と共に起工式に参加して礎石を据えたとされている。

その当時、李氏は中国において並外れた影響力を持っていた。香港返還から約2カ月後の1997年9月、中国は過去最大の株式公開を間近に控えていた。香港とニューヨークでの上場を準備していた国営電気通信企業、中国電信である。

だがぎりぎりになって、同社の上場を支援していた香港の有力者グループが、域内を混乱に陥れていた金融危機のために怖じ気づいてしまった。彼らは、1年間の株式保有を義務づける協定について再交渉を求め、さもなければ完全に手を引くと主張した。株式公開まで、わずか数週間しか残されていなかった。

李氏は中国の官僚、銀行関係者を香港の自分のオフィスに招いた。同席した銀行関係者によれば、彼は「契約書にはすでにサインしており、それを遵守する」と話したという。この銀行関係者によれば、李氏はさらに、必要とあらばもっと多くの株式を購入すると申し出たという。

李氏は、その後、膨大な数の中国国有企業が上場によって数十億ドルを調達する先例となった中国電信の株式公開を救うことになった。トレードマークの大きな黒縁の眼鏡とともに、李氏が伝説的な香港ビジネスマンとなった瞬間と言えよう。

<中国本土と香港への投資を縮小>

習氏が実権を握ってから、中国政府は香港に対する強硬な方針を採用した。中国政府は2014年の白書において、香港が現在享受している自治は自明のものではなく、中央指導部の許可により条件付きで与えられたものだと述べている。そして李氏自身にも、中国国営メディアからの批判が降りかかるようになった。

2014年末から2015年初頭にかけて、李氏は香港で登記していたハチソン・ワンポアともう1社を、ケイマン諸島で設立した企業に統合した。李氏を中心とする経営陣は、この改革は、「合理化・事業継承計画の一環」であると話している。

2015年9月、こうした動きが報じられたのに続いて、李氏は中国本土のメディアから、愛国心に欠けていると厳しい批判を浴びた。中国共産党の主力機関紙である人民日報は、李氏について「物事が順調なときは喜んでその恩恵を受ける」のに、厳しい時期には頼りにならない、と評するコメントをソーシャルメディアに投稿した。

だがこの時期にも李氏が支配する企業は、海外企業の株式に何十億ドルも注ぎ込む一方で、香港と中国本土では縮小を続けた。この傾向は今もペースダウンしていない。

2015年以降、李氏の企業は、カナダ、イタリア、オーストラリアといった国で総額700億ドル以上の企業買収に関与してきた。しかし同じ時期、中国本土と香港における5億ドル以上の規模の企業買収は、香港を本拠とする運輸企業を他の2人の投資家との共同出資により8億4800万ドルで買収した1件だけにとどまっている。

さらに同じ時期、李氏は香港・中国本土の4企業から総額110億ドル以上の投資を引き揚げている。ロイターは、金融データサービスのディーロジックの数値を元にこれらの数値を計算した。データには李氏の企業による5億ドル以上(債務を含む)の取引案件が含まれている。

中国共産党が香港の有力者らに求めているのは投資だけではない。香港にある大手中国国有企業の上級幹部によれば、習近平氏と香港エリート層のあいだで2017年に行われた会合で、習氏が述べた指示は曖昧さのないものだったという。この会合には李氏も出席していた。

この幹部は、「習氏のメッセージは非常に明確だった。香港財界と有力者は社会的な責任を担う必要があり、中央政府が香港社会の安定を維持することを支えなければならない、ということだ」と語る。

<一握りに富が集中>

抗議行動が香港を揺るがすなかで、こうした中央政府の期待はますます緊急性を増している。

著名な財界人で、林鄭月娥(キャリー・ラム)香港行政長官の経済顧問を務めるアラン・ジーマン氏によれば、中国当局者は、香港では富が一部に集中していることが不満の大きな原因であると考えるようになったという。ジーマン氏は、英国統治時代に遡る土地競売制度によって、少数の人間が市場を独占することが可能になっており、他の誰も入札に参加できないレベルまで価格が上昇してしまっている、と話す。

こうした仕組みによって住宅価格は非常に高いままとなり、家族は狭小な住宅に押し込められ、快適な住まいへの引っ越しは困難な状況だ。

デベロッパーもようやく理解するようになった、とジーマン氏は言う。同氏によれば、香港企業ニューワールド・ディベロップメントは、保有する土地のうち300万平方フィートを、低所得者用住宅のために確保すると発表した。

1997年に英国が香港を中国に返還した際、両国は、香港が半世紀にわたり、独自の憲章に基づいて高度の自治を享受することに合意した。香港のビジネスマンたちは、つい最近まで、中国が完全な統治権を手にする期限である2047年は遠い先のことのように思えた、と話している。

だが、中国政府が強引な方針をとるようになって、事情は一変した。香港の有力者たちの注意を喚起したのは、2017年に中国生まれの富豪・肖建華氏が失踪した事件であるという。同氏が最後に目撃されたのは、正体不明の男たちに伴われ、頭部を覆われた状態で車椅子に乗せられて香港の高級ホテルを離れる姿だった。

プライベートバンク関係者は、逃亡犯条例案が新たなショックを与えたと話す。あるフィナンシャル・アドバイザーはロイターに対し、6月から8月にかけて、香港の有力者の1人が地元のシティバンク口座からシンガポールに1億ドル以上の資産を移転させる取引に関わった、と語った。

だが、中央政府からの圧力が高まっても、李氏はまだ中国共産党に恭順の姿勢は見せていない。

李氏はロイターへの書簡のなかで、「私くらいの年齢になると、雑音をやり過ごすコツが分かってくるものだ」と書いている。「組織的な動きかどうかは知らないが、根も葉もない言葉や文章での攻撃には慣れてしまった」

(翻訳:エァクレーレン)

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