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アングル:雨の香港で「追悼」したもの、天安門事件の像撤去

[香港 24日 ロイター] - もう真夜中近かった。ロイターのフォトジャーナリストであるタイロン・シュー記者(34)は、あるオンラインフォーラムでの学生たちの会話に目を留めた。「建設作業員が香港の自由の象徴である銅像に覆いを被せている」という内容だ。

 12月24日、もう真夜中近かった。ロイターのフォトジャーナリストであるタイロン・シュー記者(34)は、あるオンラインフォーラムでの学生たちの会話に目を留めた。写真は23日、香港大学から搬出される「国恥の柱」の部分(2021年 ロイター/Tyrone Siu)

今年に入ってから、香港大学は「国恥の柱」の銅像を構内から撤去したいとの意向を示していた。引き裂かれ歪められた数十人の人体を描いた作品は、1989年の天安門広場における弾圧で殺害された民主活動家を追悼するもので、20年以上構内に立っていた。

そして、22日の夜までは大学側も何ら撤去の動きを見せていなかった。

シュー記者が香港大学のキャンパスに着いたとき、彫像が設置された場所は四方を白いビニールシートで覆われ、その周囲は背の高い黄色の仮設フェンスで囲まれていた。シュー記者の耳には、大きな金属性の騒音が響くのが聞えた。その音からして、高さ8メートル、重さ2トンの銅像が姿を消すまでにそれほど時間は残されていないと思われた。

シュー記者は、現場やキャンパス内のもっと高い場所から作業を目撃できないか、何カ所か試してみようとしたが、そのたびに警備員から排除された。

シュー記者はキャンパスを離れ、10分かけて、降り続く霧雨で足もとがぬかるむ近くの丘に登った。

彼を含む複数のジャーナリストは、その丘の上に5時間とどまっていた。やがて夜が明けると、作業員たちが立ち入り禁止のエリアから現われ、分解された銅像を輸送コンテナへと運んでいった。約50メートル離れた丘の上ではシャッター音が立て続けに響いた。

シュー記者も何枚か写真を撮影した。その1枚には、恐らくは銅像の一部をミイラのようにシートにくるんで運び出す10数名の作業員が写っている。彼らが着用している黄色のヘルメットは、2019年の大規模な反体制デモの際に民主派のデモ参加者が着用していたものとまさに同じタイプだ。

「自分が何を撮っているかあまり意識していなかった。よく見えなかったし、ひどく疲れていた。ようやく何か動きがあったので、ツイているなと感じただけだ」とシュー記者は言う。彼は、香港の抗議行動を伝える報道によって2020年のピュリツァー賞報道写真部門を受賞したロイター取材チームの一員だった。

「カメラで再生してみて、ようやく、彼らがまるで遺体を運んでいるように見えることに気づいた」

この写真はソーシャルメディア上で広く共有され、ワシントンポストやBBCなどグローバルなニュースサイトでも取り上げられた。

この銅像は、英国の植民地だった香港が1997年に中国に返還された際に約束された幅広い自由を象徴する重要なシンボルだった。これが撤去されたことは、中国政府による香港締め付け強化の一例と受け取られている。

天安門事件の話題は中国本土ではタブーとなっているが、香港では毎年、弾圧の犠牲者のために世界でも最大規模の追悼集会が開かれるのが伝統だった。追悼集会の前には、学生や民主派活動家が彫像を拭き清め、そのそばにロウソクを捧げていた。

中国は、香港における民主主義拡大を求める要求への対応として、広範囲の規制を実現する国家安全維持法を制定し、香港市の公職に就く条件として「愛国者限定」のルールを導入した。

反体制的な活動家・政治家は、同法違反、あるいはそれ以外の犯罪容疑によって投獄されるか、国外に逃亡した。香港行政府と中国側当局は、同法によって、1年に及ぶ混乱の後に治安が回復されたと主張している。

(翻訳:エァクレーレン)

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