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『実業之日本』と地政学(4):ユーラシアの逆襲:戦略の欠落が意味するもの_1【実業之日本フォーラム】


*19:28JST 『実業之日本』と地政学(4):ユーラシアの逆襲:戦略の欠落が意味するもの_1【実業之日本フォーラム】
ポストコロナ時代の日本の針路
「国力・国富・国益」の構造から見た日本の生存戦略(2021/3/17)

■ゲスト
船橋洋一(実業之日本フォーラム編集顧問、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長、元朝日新聞社主筆)

■聞き手
白井一成(株式会社実業之日本社社主、社会福祉法人善光会創設者、事業家・投資家)

白井:日本の生存戦略を考えるうえでユーラシアが与える影響は非常に大きいと思います。ただ、ユーラシアはあまりにも広く、どのようなポイントで見ればよいのか迷う概念でもあります。「現代地政学の開祖」ともいわれるハルフォード・マッキンダーがハートランドを想定した、ロシアや東欧の地域を焦点としたユーラシアという考え方もあれば、地理的にユーラシア大陸を構成している国々の中で、日本に強い影響力を持つ中国、ロシア、朝鮮半島なども考えられると思います。
先生は、日本から見た時のユーラシアをどのようなポイントでとらえていらっしゃるのでしょうか。

船橋:ユーラシアという超大陸(Super Continent)は日本にとっては魔物のような存在だと感じます。地政学的存在としての日本の生存戦略を考えたとき、太平洋をいかに安定させるか、つまり米国との関係を良好に維持するかとともに、いかにユーラシアの泥沼に足を取られないか、つまりユーラシアの国々、中国、ロシア、朝鮮半島、そしてインド、さらには欧州との関係をどのように経営するかがカギとなるでしょう。

1930年代から40年代、満州事変以降の15年間の日本の失敗の本質も、まさにこの2つの命題に正しく答えることに失敗したからにほかなりません。その際、日本は、太平洋の安定の前に、ユーラシアとの関係の調整に失敗しています。戦前の失敗は、「ユーラシア戦略がなかった」ところに尽きると思います。

ユーラシア戦略の失敗の1つ目は、中国の挑戦にうまく応えられなかったということです。近代日本がアジアの国と正式に国交を開いたのは1871年(明治4年)、清国との間で日清修好条約に調印したのが最初です。実際のところ、この時代、まだ中国と呼べるような、中国人の国は存在していなかったのです。日本と中国との関係で言うと、1913年(大正2年)に、中華民国を承認したときから国交が始まっています。しかし、その後の中国は内戦に突入していきます。歴史学者の岡田英弘が言うように「中国の侵略に対して自衛するという、建国をめぐる国際情勢が生み出したもので、反中国が日本のアイデンティティ」だとすれば——岡田は、そのアイデンティティに根拠を与えたのが、『日本書紀』がつくりだした日本文明の歴史観だと述べています—(*)中国の内戦は日本にはいかにも厄介な挑戦だったと言えるでしょう。日本は中国を弾き返すのではなく中国に吸い寄せられる状況となったからです。
(*)(岡田英弘『歴史とはなにか』、文春新書、2001年、75~76)

1920年代から1930年代、中国では中国共産党と国民党が死闘を演じていました。それでも1924年から27年と1937年から45年の2度にわたって両党は合作しています。特に1937年の蘆溝橋事件の後の合作以降は、中国共産党が抗日戦をバネに地歩を得ていきます。日本は、抗日戦における中国共産党の底力に気付きながら、その辺を十分読みきることができませんでした。中国共産党が民族主義のすそ野に根を張っていたかを読めなかったということです。

2つ目は、1936年の日独防共協定と1940年の三国同盟ですね。何を読み間違えたかというと、ドイツと組むことがアメリカに対する抑止力を形成すると期待したところです。「戦前の日本の抑止戦略の最大の失敗は、三国同盟を対米抑止に使おうとしたことだった」と両大戦間期(第一次世界大戦から第二次世界大戦の危機の20年)の国際政治についての深い洞察を著している歴史家のイアン・カーショーが指摘しています(*)。「近衛(文麿)は、これによって日米間の紛争を回避することができると踏んだが、実際はその逆に、日本は極東のナチスと同等であり、日本を止めなければならないとの米国の覚悟をさらに固める結果をもたらした」と言うのです。
(*)(Ian Kershaw, Fateful Choices The Decisions That Changed the World, 1940-1941, The penguin Press, 2007, 123, 124, 126)

松岡洋右は日本とドイツとソ連とイタリアが一緒になって欧米と対峙することを夢想したのですが、ヒトラーがソ連に侵攻し、大誤算もいいところとなった。

3つ目は、ソ連について、1945年6月の箱根での広田・マリク会談も、7月のポツダム宣言でも、ソ連の意図と出方を読み間違えてしまった。何とかソ連に英米との戦争の終結を仲介してもらおうという、そんな非現実的なことをこの期に及んでなお夢想していたわけですね。スターリンは、いかに日本から領土を奪い返すか、日露戦争の屈辱をいかに晴らすか、日本敗北後の真空をどうやって埋め、勢力圏を築くか、ということしか考えていませんでした。この時点での対ソ外交は終戦に向けての軍部懐柔のためのプロセスづくりという内政的要因もあったでしょうが、あまりにも戦略的計算の欠如した外交でした。

ソ連(ロシア)というユーラシアの罠については、その前史があります。連載(1)でも触れましたが、日露戦争後のポーツマス講和条約です。日露講和条約で日本は韓国保護権、遼東半島租借権・満鉄などを獲得します。島国の日本がにわかに大陸国家へと出っ張っていくのです。その最初の足掛かりが朝鮮半島だったわけです。そして、日本は1910年に日韓併合を行います。そこからユーラシアに前のめりになっていくのですね。ユーラシア戦略の最初の大きな躓きは、日韓併合だったと私は思っています。
要するに、ロシア、中国、ドイツ、ソ連のどことも長期的国益に資する戦略的計算の中にそれぞれとの関係を位置づけることができなかった。日本にとってのユーラシアは、地政学的なブラックホールだったし、いまもそうであるということを十分認識することが必要です。

『実業之日本』と地政学(4):ユーラシアの逆襲:戦略の欠落が意味するもの_2に続く

(本文敬称略)

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・実業之日本社の創業者・増田義一の精神を受け継ぎ、事を成した人や新たな才能を世に紹介し、バックアップする


《TN》

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