November 7, 2011 / 9:08 AM / 8 years ago

オリンパス買収仲介者は80年代から関係、「損失先送り」に関与=関係筋

 [東京 7日 ロイター] オリンパス(7733.T)による2007年の英社買収で巨額の手数料を受け取っていた投資助言会社の中心人物が、1980年代から同社と関係を持ち、バブル崩壊期に同社の「損失先送り」処理に関与していたとみられることが、関係者への取材で明らかになった。

 11月7日、オリンパスによる2007年の英社買収で巨額の手数料を受け取っていた投資助言会社の中心人物が、1980年代から同社と関係を持ち、バブル崩壊期に同社の「損失先送り」処理に関与していたとみられることが、関係者への取材で明らかになった。写真は都内で4日撮影(2011年 ロイター/Yuriko Nakao)

 オリンパスはこの投資助言会社との関係を2000年代初頭からと発表しているが、その中心人物とはそれ以前からつながりがあった可能性が高く、オリンパス側の説明に新たな疑問が生じている。

 オリンパスは07年に英医療機器メーカー、ジャイラスを2117億円で買収したが、その際に「アクシーズ・アメリカ」を投資助言会社に選び、関連会社と合わせて6億8700万ドル(当時のレートで687億円)という破格の報酬を支払っている。この会社の代表者は野村証券出身の佐川肇氏となっているが、佐川氏らを知る関係者は、実質的に指示を出していたのは、アクシーズ・ジャパン証券(東京・中央区)(現アクシーズ・ジャパン)の社長を一時期務めていた中川昭夫氏だと説明している。

 野村証券関係者によると、中川氏は1974年に野村証券に入社。株式関係を主な業務にした後、数年で退社した。米国証券業界の自主規制機関FINRA(金融取引業規制機構)の記録や別の関係者によると、1977年からメリルリンチ証券に勤め、その後、EFハットン東京支店長を務めた。さらに、ドレクセル・バーナム・ランバートやペイン・ウェーバーなど、当時日本で業務を拡張していた外資系証券を渡り歩き、90年代後半にアクシーズ・ジャパン証券を立ち上げた。証券関係者の1人は「EFハットンが買収されて居場所を失ったが、顧客を多く持っていたことを評価されて当時のドレクセルの支店長に引っ張られた」と話す。ドレクセル破綻後、今度はその支店長と共にペインに移籍。「日系証券から外資に転職した第一世代。『外資渡り鳥』だった」(同)。

 中川氏を知る関係者によると、同氏はバブル期の80年代には一般事業法人に財テクを指南。その後、1990年の日経平均株価の暴落をきっかけとするバブル崩壊で、財テクにのめり込んでいた企業が一挙に損失を抱え込むことになると、損失の表面化を避ける「損失先送りスキーム」の組成に携わり、企業に持ち込んでいた。

 同スキームは、投資損失が出た有価証券を決算期の違う別の企業やファンドに一時的に売り渡すなどのテクニック。政府は1992年の証券取引法改正で証券会社が顧客企業の投資損失を埋め合わせる「損失補てん」を禁止したが、損失先送りスキームが「損失補てん」とみなされるかどうかはその内容によって決まるため、「取引のグレーゾーン」(外資系証券幹部)として、90年代には損失計上を避けたい日本企業が多用し、内外の証券会社が企業に提供していた。

 損失先送りが法令違反とみなされた具体例のひとつが2000年に当時の金融監督庁が行政処分を行ったドイチェ証券とBNPパリバ証券の取引。両社は97年に取引先企業に売却した外債や仕組債の価格が下落したため、この債券の満期を伸ばしたり、別の債券に組み換えたが、証券取引等監視委員会の検査で「損失補てん」と認定された。この影響は大きく、「事実上、『飛ばし』や『損失先送り』スキームの提供ができなくなった」(同)という。

 複数の関係者によると、中川氏が財テクや損失先送りを提案していた主要顧客の1社がオリンパスだった。同氏はバブル絶頂期の88年に入社したドレクセル時代に、すでにオリンパスを顧客として持ち、他の事業会社と同様に投資商品を売り込んでいたという。

 中川氏はドレクセル破たん後、91年から96年までペイン・ウェーバーに在籍し、同社東京支店のマネージング・ディレクターの立場で株式部長を務めた。「企業の財テクの指南役から一転して、損失処理策に携わり、『ポートフォリオの入れ替え』という名目で『損失先送りスキーム』を編み出しては提案していた」(証券関係者)という。株式に限らず、海外投融資の失敗による「損失隠し」も請け負うなど「企業からはとても重宝がられていた」(大手銀行出身者)との指摘もある。複数の関係者は「オリンパスにも同様のスキームを提案していた」と証言している。

 オリンパスの「損失先送りスキーム」を組成していたのは中川氏の在籍したペイン・ウェーバーに留まらない。ロイターが入手した資料によると、1999年に「損失先送りスキーム」を巡って金融監督庁(当時)の検査を受けたクレディ・スイス・ファースト・ボストン・グループ(当時)が同庁に提出した顧客名簿には、数十社の企業や金融機関に混じって、オリンパスが当時の社名である「オリンパス光学工業」として登場する。その項目には、92年1月31日を契約日とする「信託受益権再売買スキーム」が記されており、信託元本額は「¥14,740,934,584」となっている。信託銀行関係者などは、この「信託受益権再売買スキーム」について、損失が発生している有価証券を簿価で信託ファンドに売却したうえで、そこから発生している受益権を特定目的会社(SPC)などに転売、それを繰り返すことで損失の表面化を防ぐ仕組みではないかとしている。

 一方の佐川氏は1971年に野村証券に入社。公社債部門が長く、主にバックオフィスで売買管理を専門としていた。野村退社後は、中川氏が在籍していたドレクセルやペイン・ウェーバーで共に働いている。

 オリンパスはこれまでの記者会見で、ジャイラス買収の際にアクシーズをアドバイザーに選定した理由について、佐川氏らの交渉能力を評価したと説明。アクシーズとはM&A戦略を進めていた2000年初頭から付き合いがあり、ジャイラスを買収する前に、成立直前まで進んだ別の企業買収案件で同社の交渉能力の高さが示されたとしている。記者会見した森久志副社長は、アクシーズとの関係について「04年頃からいろいろな(M&Aの)相談をしていて、(ジャイラス以前の買収案件では)その方のネットワークの方々にも働いてもらっていた」などと語った。アクシーズ関係者との2004年以前の接触については「ない」と答えている。

 オリンパスと中川氏の関係が事実とすれば、同社の不透明なM&A(買収・合併)資金とバブル期の損失処理との間に何らかの結びつきがある可能性も否定できない。ロイターはこれらの件について中川氏本人からの確認を求めているが、7日現在、まだ接触には成功していない。また、ロイターはオリンパス側に中川氏との関係も含め、これらの点についての確認を求めたが、同社からは「個別の取引関係については申し上げられない」(広報)との返答だった。

 (ロイターニュース 布施太郎 編集:北松克朗)

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