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訂正-コラム:インフレとマネーの新しい関係、米貯蓄はマグマになるか=唐鎌大輔氏

[東京 3日] - 2月下旬の米上院銀行委員会の公聴会において、パウエル米連邦準備理事会(FRB)議長は「大昔にわれわれが経済学を勉強したころは、M2(現金通貨と預金の合計)と通貨供給量(の全体)が経済成長に関係するとみられていた」とした上で「現在ではM2に重要な意味合いはない。この知識は忘れる必要がある」と、マネー急増とインフレ高進の関係を全否定してみせた。

 貨幣流通量が増えれば、通貨1単位当たりの価値が毀損(きそん)し、実物経済における物価が上昇するというのは直感的に分かりやすい理屈だが、現実はそれほど単純ではない。2013年2月撮影(2021年 ロイター/Shohei Miyano)

貨幣流通量が増えれば、通貨1単位当たりの価値が毀損(きそん)し、実物経済における物価が上昇するというのは直感的に分かりやすい理屈だが、現実はそれほど単純ではない。

そうした伝統的な理解は、物価変動を貨幣現象と捉える貨幣数量説に立った見方だが、現実がそれに沿って動いてきたわけではない。この点、『先進国のマネー急増、「インフレの芽」にならない理由』(2020年9月29日配信)で詳述したので全てを繰り返すことは避けるが、理論的に貨幣を保有する動機は、1)「取引動機」、2)「予備的動機」、3)「投機的動機」の3つが想定される。

コロナ禍における貨幣需要の増大(ひいてはM2の増大)の小さくない部分は、2)の予備的動機に基づくマネーの抱え込み、要するに「将来への貯蓄」と考えられる。パウエル議長がM2に重要な意味はないと述べた背景は1つではないだろうが、予備的動機に基づく貯蓄が増加している状況で、無為にインフレ懸念をすべきではないという思いは、少なからずあったと推測される。

<日本化につながりかねない「貯蓄」の存在>

この「貯蓄」に対する考え方は、今後の米国ひいては世界経済を展望する上で非常に重要になる。コロナショック発生直後の昨年5月、筆者は本コラムで「アフターコロナの世界においては『お金はあまり使わない方が良い』という規範が強まっていくのではないか」という懸念を示し、それは分析上、貯蓄・投資(IS)バランスにおける家計部門や企業部門(両部門の総称を以下民間部門と呼ぶ)の貯蓄過剰として現れ、物価や金利の水準を押し下げる真因になってくるだろうと論じた。この懸念はあれから1年経過した今も変わっていない。むしろ強まったとすら言える。

2020年の日米欧についてISバランスを見ると、「民間部門の貯蓄過剰」で委縮しそうな経済を「政府部門の貯蓄不足(要するに財政出動)」で支えた構図が鮮明化している。これはバブル崩壊後の日本が陥った構図であり、常態化すると需要不足に根差した物価の低迷、結果としての金利の低位安定に至ることが予見される。

中央銀行のゼロ金利、国債利回りの低位安定、量的緩和、低迷する物価などは「日本化の象徴」として引用されやすいが、それはあくまで「民間部門の貯蓄過剰」の結果だ。過剰な貯蓄があるからこそ、消費・投資意欲を十分に引き出せる金利(自然利子利率ないし潜在成長率とも理解される)が低下しているという事実を理解すべきである。

図に示すと良く分かるが、2020年の日米欧3極で「民間部門の貯蓄過剰─政府部門の貯蓄不足」という二極化が最も鮮明に出たのが米国だった。2020年の米国と言えば、国内総生産(GDP)比で20%に及ぶ規模の財政出動が実行され、その中身も「就労意欲を削ぎ、長期失業者(訂正)を逆に増やす」と懸念されるほど手厚い失業保険など、直接給付型の方策が注目を集めた。「民間部門の貯蓄過剰、政府部門の貯蓄不足」という構図が定着したのは、必然の帰結と言える。

<貯蓄をポジティブに評価する論調も>

こうして貯蓄過剰を日本化の真因として警戒する論調とは対照的に、増える貯蓄を「マグマ」と形容し、アフターコロナにおける消費や投資をたきつける燃料と見なす論調もある。既に米国では現行政策がインフレにつながるリスクに関して議論が活発化しているが、この背景には民間部門の貯蓄が唐突に消費・投資活動を押し上げるのではないかという半ば「期待交じりの懸念」がありそうである。

現状の米家計部門では現金給付を伴うコロナ対応の結果、消費以上に所得が急増し、貯蓄率(貯蓄/可処分所得)が急上昇している。2021年1月の貯蓄率は20%を超え、コロナショック直前の過去10年平均(2010年1月─2019年12月)である7%を優に上回る。

平時、「所得以上に消費する」という家計行動が米国経済の力強さの源泉だったことを踏まえると、こうした貯蓄の積み上がりを「マグマ」と形容したくなる気持ちは分かる。今回は人為的に活動を制限した結果の貯蓄急増でもあるため、確かにこの貯蓄が解放されて消費や投資が盛り上がるという展開はありそうではある。

<強いショックで変わった日欧の企業行動>

しかし、日本の経験に照らせば、バブル崩壊というショックを経て、企業部門がリスクテイク能力を失い、民間部門全体で貯蓄過剰が強まったという経緯がある。具体的には1990年代に入り、企業部門が貯蓄不足主体から貯蓄過剰主体へと切り替わった。バブル崩壊を経て需要不足に陥り、期待成長率が低迷する中、有望な投資機会が失われた結果なのだと考えられる。

いや、有望な投資機会はあったはずなので、ショックで傷ついた財務や心理の状況を踏まえ、投資機会を発見する能力ないし発見しても実行に移す能力が、低下していたという表現の方が正しいだろうか。いずれにせよ、バブル崩壊を経て、成長率が慢性的に低迷し、物価も上がらなくなり、金融政策が「流動性の罠(わな)」に陥ったという事実は周知の通りだ。

似たような道をユーロ圏もたどっている。2008年9月にリーマンショックに伴う金融危機を経験した約1年後、欧州債務危機も併発することになった。金融市場で欧州債務危機が話題に上がらなくなった13年頃まで、実に4年間、ユーロ圏の政治・経済・金融情勢は塗炭の苦しみを味わうことになった。この結果、08年9月以降、ユーロ圏の企業部門も貯蓄過剰に転じ、以後、それが常態化するようになった。

「強いショックは企業行動を変えてしまう」という日本の経験は、ユーロ圏でも概ね実証された感がある。債務危機自体は13年に概ね収束したが、域内の賃金・物価は低迷したままであり、14年6月には日本よりも先にマイナス金利導入に踏み切った。18─19年にかけて企業部門は再び貯蓄不足へ回帰する兆候も見られたが、今回のショックで再び貯蓄過剰に引き戻されている。

<米国の貯蓄は「燃料」になれるか>

米国は日欧と同じ道を歩むのか。それとも貯蓄をマグマとして華々しく復活できるのか。今はその分岐点に立っている。日欧と異なり、米国は現時点のインフレ期待も力強く、リーマンショック後も複数回の利上げを敢行できた国なので「やはり貯蓄はマグマだった」という結末に期待を寄せたくなる。

米国で「民間部門の貯蓄過剰」が定着し、日本化現象が永続するという未来は予想しにくいし、世界経済の先行きを思えば、そうなって欲しくないとも思う。米国のISバランスに目をやると、サブプライムショックを境に家計部門が、リーマンショックを境に企業部門は貯蓄過剰に転じた。その後、家計部門の貯蓄過剰は不変だが、企業部門は再び貯蓄不足になり、景気をけん引する動きを示した。先の危機に関しては、企業部門の活力で日本化現象を回避した感がある。

だが、2020年に入り、企業部門は再び貯蓄過剰に転じている。20年の動きは不可抗力だが、21年、再び貯蓄不足に戻れるだろうか。目先の資産価格などを考えることも重要だが、未曾有のショックだからこそ、こうしたマクロ経済の構造変化にも目を配っていく必要がある。

*8段落目の長期労働者を長期失業者に訂正しました。

編集:田巻一彦

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