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フォトログ:「風の電話」に語る思い、津波からの生存者の10年

[岩手県大槌町 5日 ロイター] - 丘の上の、桜の木が太い枝を広げる庭園で、白い電話ボックスが早春の陽光に輝いている。

電話ボックスの中にいるのは佐々木一義さん(67)。亡き妻・美和子さんの携帯電話の番号を慎重にダイヤルし、体をかがめるようにして受話器を抱きかかえた。

一義さんは、10年前の地震と津波で甚大な被害に見舞われる中、何日も妻を探し回った様子を語りだした。避難所を何カ所も回っては、夜になるとがれきと化した自宅に戻った。

「あの時、本当に一瞬だったよな。今でも忘れられない」。涙ぐみながら一義さんは、美和子さんに語り掛けるように話した。

佐々木一義さんの妻・美和子さんの写真 (2021年 ロイター/Issei Kato)

「あの時は、地震でお父さんはここにいるってメールやったのに。あんた、見てないんだべ。もう本当に」

「自宅まで来たっけ、本当に夜が真っ暗で、全然見えぬところで、本当にふと、空を見上げたら、本当に満天の星が本当に宝石箱、宝石が散らばってるような感じで、明るかった」

「ただただそれ見てって、涙出てきて。多くの命が召されたんだなと思った」

人生が暗転した日の情景は、いまも映像のように、はっきりと脳裏に焼き付いている。

一義さんの妻、美和子さんは、2011年3月11日に発生した大震災により、東北地方で亡くなった2万人近い犠牲者の1人だ。

大槌町の、どこにもつながっていない1台の電話ボックスが、今は亡き最愛の人たちとの絆を保っている。残された多くの人たちが、この「風の電話」での会話からわずかながらも慰めを得ている、と語る。

<「寂しいよ」>

この日早く、大川幸子さん(76)は亡き夫・東一郎さんに電話をかけた。2人が結婚したのは44年前だ。10年前の津波にさらわれて以来、毎日どのように過ごしているのか、と彼女は亡夫に尋ねる。

大川幸子さん(2021年 ロイター/Issei Kato)

幸子さんは、最後に震える声で「寂しいよ」と言い、家族を見守ってくれるよう東一郎さんに頼む。「それじゃあね、またすぐかけるから」

 3月5日、丘の上の、桜の木が太い枝を広げる庭園で、白い電話ボックスが早春の陽光に輝いている。写真は2月、岩手県大槌町の「風の電話」で、東日本大震災で犠牲になった妻に語りかける佐々木一義さん(2021年 ロイター/Issei Kato)

幸子さんは、ときどき受話器から東一郎さんの声が聞えるような気がする、と言う。

「喋っているところが聞こえるような、見えるような気がしたのね。喋ってれば自分も気が済むかな、あっちも聞いてくれてるのかなって思って」と話す。

この丘の上の庭園に置かれた電話の事を耳にした幸子さんは、孫も祖父である東一郎さんと話せるよう、よくここに連れてくる。

「もしもし、じいちゃん。もう10年だよ。来年からもう僕も中学生になるからね」。12歳になった孫、醍奉君が語りかける。3人入れば電話ボックスはぎゅうぎゅう詰めだ。

(2021年 ロイター/Issei Kato)

「新型コロナウイルスっていう、震災くらい人が亡くなってるウイルスが出てるんだって。だからこのようにマスクしてるけど、元気でいますよ」

<「風の電話」>

震災の犠牲者と遺族をつなぐ電話ボックスは、東京から北東に約500キロ離れた大槌町にある佐々木格さん(76)の庭園に置かれている。いとこを癌で失った格さんは、震災の数カ月前、ここに電話ボックスを設置した。

佐々木格さん(2021年 ロイター/Issei Kato)

「みんなあの日、朝仕事に行ったり、学校に行ったりして、そのまま会えなくなった」。佐々木さんは、被災者には悔やみきれない思いが残っているという。

「家族もね、行ったきり会えなくなるのであれば、最後になんか一言ね、声をかけてやりたかったと思ったはずなんですが、それもできなかった」

(2021年 ロイター/Issei Kato)

この電話ボックスには、今や日本中から大勢の人が訪れる。津波から生き残った被災者だけではない。病気や自殺で親族を失った人も立ち寄る。「風の電話」と名づけられ、最近、映画の題材にもなった。

数カ月前、同じような電話を英国とポーランドに設置したいという連絡が格さんのもとに入った。新型コロナウイルスによるパンデミック(感染の大流行)で親族を失った人々に使ってもらおうという趣旨だ。佐々木さんは、嘆き悲しむ人々が落ち着いて電話を使えるよう、プライバシーを守れる場所に同じような電話ボックスが作られることを願っている。

「災害と同じように、パンデミックは突然やって来た」と格さんはコロナ禍で苦しむ人々を思いやった。「別れが突然訪れると、家族が味わう喪失感もその分とても大きくなる」

陸前高田市の「奇跡の一本松」。2月撮影(2021年 ロイター/Issei Kato)

<「会えてよかった」>

壊滅した沿岸部の町村で暮らしていた他の多くの住民と同様、市議会議員を務める佐々木一義さんも、妻だけでなく、多くの親戚・友人を震災で失った。

佐々木一義さん(2021年 ロイター/Issei Kato)

美和子さんとは幼馴染で、学生の頃から思いをよせていたという。

一義さんが美和子さんに初めて恋心を打ち明けたのは中学校のときだ。即座に断られた。2人がデートするようになるには、それから10年待たなければならなかった。結局2人は結婚し、4人の子どもに恵まれた。

一義さんは「風の電話」に向かって、最近仮設住宅から引っ越したこと、息子が、孫たちと暮らせるように新しい家を建ててくれていることを話す。

受話器を置く前に、一義さんは美和子さんに、最近の健康診断で体重が減ったことを知らせる。

(2021年 ロイター/Issei Kato)

「先生に褒められたよ。自分の体、大事にします」と彼は約束する。外では風が強く吹くが、一義さんは静かに言葉をつないだ。

「出会いに感謝だよ。ありがとう。高田の人たちも一生懸命頑張っている。じゃあな、母さんまたね」

(文:斎藤真理、写真:加藤一生、翻訳:エァクレーレン)

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