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ブログ:任天堂の山内氏と日の丸半導体

竹本 能文

写真は1999年9月、都内での記者発表後に写真撮影に応じる任天堂の前社長・山内溥(ひろし)氏(2013年 ロイター)

任天堂7974.T前社長の山内溥(ひろし)氏が19日、85歳で亡くなった。家庭用ゲーム機を生み出した経営者としてマスコミ各紙もそれなりに大きく扱っているが、山内氏の戦後産業界への貢献はまだ過小評価されている気がする。

山内氏とは10年以上も前に一度しか面と向かってお話を伺ったことはない。当時は米マイクロソフトMSFT.OがXboxでゲーム機に乱入しようとしていた時期で、所見を伺うと、「ビル・ゲイツは偉大な経営者。しかしどんなに偉大な経営者でも神ではないので得意でないことがいくつかあり、そのひとつがゲーム」と切り捨てた。

印象深かったのは、携帯型ゲーム機(当時はゲームボーイアドバンス)についての見方だ。携帯電話の機能が進化してくれば「こんなもん(携帯型ゲーム機)要らなくなりますよ」と漏らしていた。果たして、スマホの急速な普及で、時代は山内氏が懸念した方向に進んでいる。

山内氏は折に触れ任天堂は「ただの娯楽屋」と謙遜していたが、技術の波に翻弄されざるをえないゲーム機メーカーの危うさを鋭く感じていたのだろう。

企業としての任天堂の今後の浮沈とは無関係に、山内氏の功績は日本の産業界に記憶されるべきだろう。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の故・森嶋通夫名誉教授は著書のなかで、真に日本発のオリジナルな革新技術として、新幹線と家庭用ゲーム機を挙げている。

欧米から見れば、自動車、テレビ、液晶、半導体など、いずれも日本は欧米発の技術の量産化に成功したに過ぎない。日本が独自にシステムを設計して世界に通用させた点で、高速鉄道とゲーム機は比類がない。

任天堂にとって、もしくはソニー6758.Tにとっても、不幸なことに、半導体技術の急速な進歩とインターネットの大容量化により、高性能なゲーム機を大幅に原価より安く売り、CD─ROMのパッケージソフトの販売で原価を回収する、家庭用ゲーム機のビジネスモデルは根幹が揺らいでいる。

しかし、ゲーム機が日本の電機産業を育てたのは事実で、山内氏の功績は変わらない。

任天堂が最初にファミコンを開発したときには、半導体開発に協力したのはリコー7752.T一社のみだったが、日の丸半導体メーカーはその後ゲーム機向けプロセッサーの開発受注に躍起になる。一時はゲーム機が、DRAM市場で韓国・台湾勢の後塵を拝した半導体各社の頼みの綱だった。

日立製作所6501.Tはセガのドリームキャスト、NEC6701.Tは任天堂のN64向けの開発に経営資源を集中した。東芝6502.Tはソニーのプレイステーション2向けを受注したのが幸いし、結果的に勝ち組として今に至っている。半導体の巨額の開発費用を回収するには、数百万規模の大量生産が不可欠。このため家庭用ゲーム機が半導体メーカーに果たした役割は大きい。

(東京 24日 ロイター)

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