[イスケンデルン(トルコ) 2日 ロイター] - サブリエ・カランさんの亡夫は、生前、32年間にわたりトルコ国鉄で働いていた。娘のネヒールさんも幼い頃から鉄道に親しんでいた。トルコを襲った激しい地震で自宅が被災し、サブリエさんとネヒールさんが避難した先は、列車の客室だった。
「列車の中で暮らすことになるとは思わなかった」とサブリエさん。2台のベッドがある寝台車の客室で、この18日間、13歳のネヒールさんと2人で生活している。「普段なら、鉄道で旅をするのは喜びだが、そこで暮らすとなると別問題だ」
トルコ当局は、約1カ月前に起きた大地震で自宅を失った150万人以上の被災者のため、住宅の手配に奔走している。今回の震災ではトルコ、シリアで約5万人が命を落とした。被害が深刻なハタイ県の港湾都市イスケンデルンでは、生存者がテントやコンテナハウス、リゾートホテルで避難生活を送り、鉄道車両で過ごす被災者さえいる。
サブリエさんとネヒールさんが住んでいたアパートの3階では被害が軽微だったものの、壁には何カ所か亀裂が入っていて安心できない。地震で脆弱(ぜいじゃく)になった建物に、余震がさらにダメージを与えており、当局は多くの建物について立ち入りは危険だと警告している。
イスケンデルンの駅は営業しているが、2本の線路には客車がずらりと並び、何百人もの被災者を収容している。早々に駅にたどり着いたサブリエさんやネヒールさんは寝台車を確保したが、アラファト・アテスさん(63)や妻のゼリハさん(53)は、シートに座ったまま睡眠をとっている。
「ハタイは我々の美しい土地だ」と2人は嘆く。「これほどの大惨事をどう切り抜ければいいのだろう」
別の客車には、ユスフ・クルマさん(20)とアイセル・オズセリクさん(20)が手を取り合って座っている。結婚する予定だった2人は、最初の揺れが襲った後、懸命にお互いの姿を探した。式は延期することになるだろう。「これだけ多くの人が亡くなったのに結婚式なんてできない」とオズセリクさんは言う。
<帰宅は怖い>
被災者が客車に上がりやすいよう、線路のあちこちには踏み台や小さなベンチが置かれている。線路を歩く被災者たちに、列車が近づいていることを警告する駅員の姿も見られる。
最初のうち、通過する列車が警笛を鳴らすたびに、サブリエさんとネヒールさんは驚いていた。法律事務所で事務員として働く57歳のサブリエさんは、「今はもう慣れた」と言う。
客室は列車の窓の幅しかない狭さだが、最低限の備品は用意されているし、冷え込む夜のあいだはテント暮らしよりも暖かい。2人は少なくとも1日18時間は客室内で過ごし、その場を離れるのは、駅の周囲を短時間散歩するときと、支援団体が配布する朝食・夕食の列に並ぶときだけだ。
震災で生活が激変して以来、人付き合いがほとんどないことが精神衛生上の負担になっている、とサブリエさんは話す。夫は2020年に新型コロナウイルス感染症で亡くなってしまった。その喪失感に苦しんでいたところへ、地震のトラウマが追い打ちをかけた。
「とても寂しい」とサブリエさん。「知人との付き合いや、近所の人たちとコーヒーを飲む時間が恋しい」
母娘は、1日おきに数時間、自分たちのアパートを訪れる。注意深く部屋に入り、シャワーを浴び、洗濯をして、何か少し食べるだけだ。部屋を離れるとき、サブリエさんは祈りを唱える。
「戻ってくるとき、まだこのアパートが無事に残っているかどうか分からない」とサブリエさんは言う。
地元の当局が、彼女たちのアパートについて損傷は軽微であり安全であると認定したため、2人は自宅に戻って寝ようとした。だがサブリエさんによれば、また揺れを感じたような気がして、慌てて逃げ出したという。
「怖くて家に戻れない。特に夜は」
いずれは帰宅することにこだわっており、家財道具などはそのままだ。余震に備えて、テレビは床に下ろし、周囲に枕を並べた。
普段なら鉄道の駅といえば通り過ぎていくだけの印象だが、今や2人にとって、複雑な思いをもたらす確固たる存在になりつつある。
客車の中は比較的安全とはいえ、不安もつきまとう。ある晩、鉄道作業員が線路の整備をしていた時に車両が激しく揺れ、ネヒールさんは息をのんで母親にしがみついた。
「ここでは、揺れは誰かが死ぬことを意味する」とサブリエさんは語った。
(Eloisa Lopez記者、Henriette Chacar記者、翻訳:エァクレーレン)
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