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コラム:「悪い円安」論の虚像、構造的円安の行方を占う=高島修氏

[東京 12日] - 「悪い円安」論が日本国内で横行している。円安が良いのか悪いのか、円高の方が良いのか悪いのかなどといった議論は不要で、もはや「円安は悪」というのは真実たる前提であって、その上でそれがいかに悪いのか、それをどのように是正すべきかを問うといった論調が支配的になっている感さえある。

 5月12日、「悪い円安」論が日本国内で横行している。高島修氏のコラム。写真は成田空港で2016年3月撮影(2022年 ロイター/Yuya Shino)

筆者自身は、この局面は日銀の緩和姿勢や内外金利差拡大などを理由にドル高・円安を見込んできた。足元でも向こう数カ月で2002年に記録した135円前後へのドル/円上昇はありうると考えている。

ただ、1)コロナ危機前に比べると、4割以上も増えている米国のマネーサプライ、2)それに伴う米国のインフレが先進国の中でも突出している、3)貿易赤字の急増で米国の国際収支が悪化している、4)欧州など米国以外の国・地域で金融正常化を模索する動きが強まっている──などを考慮すると、中長期的には米ドルの行方を楽観しておらず、ドル/円も反落リスクがそれなりに大きいと見ている。

このあたりでドル高・円安が一服してくれば、中長期的な筆者の相場観にはフェイバーだ。だが、足元で日本中に広がる「悪い円安」論は、相場観として円安を見込むのか、円高を見込むのかを問わず、根源的なところに大きな間違いがあると思う。ましてやこの円安を政策的に止めるべきだという主張には、強い違和感を覚える。

<スピード感か水準か>

まず、円安を悪いと断じるにしても、円安のスピード感の問題とその絶対水準をしゅん別した議論が行われていない印象が強い。円安バイアスが強い日銀の黒田東彦総裁も最近の円安のスピード感には警戒感をにじませている。

同じように、筆者もこのペースの円安持続が良いことだとは思っていない。むしろ「速過ぎる円安」から円高への逆転が生じ、その円高が日本経済、特に企業業績や賃金、物価にマイナスの影響を与えうることを警戒すべきだと考えている。

一方、円安の絶対水準に関しては、この後に実質為替相場に言及するところで詳しく論じるが、仮にドル高・円安が現在の130円前後で止まり、向こう3年間ほどこの水準で推移した場合と、昨年初めの100円前後の円高水準で向こう3年ほど推移した場合の日本経済への影響を想像してみれば、円安の絶対水準に関する議論への答えは自ずと見えてこよう。

今は、円安のスピードが速いため「悪い円安」論が注目され、妥当にも見えるが、例えば、ドル/円が100円を割り込むような下落となったような場合に、今の「悪い円安」論者たちは何と言うのだろうか。

<実質円相場は割安か>

市場の一部では、1970年代以来の水準に実質実効円相場が下落していることをもって、円は割安になっている、もっと言えば、日本人の価値が不当に安く評価されているとの意見もある。

だが、実質為替相場のメカニズムを正しく理解していない議論が多い。まず、指摘しておきたいのは、国際通貨基金(IMF)など国際機関や通貨当局は過去との単純な比較で、実質為替相場の割高感や割安感を評価していないという点だ。

ちょうど10年前の2012年からIMFが年1回発行している外部セクターリポートがあるが、そこでは構造要因などを加味した経常収支の状況と、それと整合的な実質実効為替相場の関係で通貨のバリュエーションを評価している。現在までのところ、約50年ぶりの水準に低下している実質実効円相場が著しい過小評価との判断は受けていない。

重要なポイントは、実質為替相場も為替レートであるため、その評価に当たっては、日本国内の事情のみならず、貿易相手国のファンダメンタルズ環境、それを受けたそれらの国々の実質為替相場などが影響する点だ。

平たく言えば、仮に日本のファンダメンタルズが実質実効円相場でピークをつけた1990年代半ば以降、変わっていなかったとしても、中国や韓国などアジア諸国の競争力が高まり、それらの国々の実質為替相場が上昇するなら、それだけで実質実効円相場は下落すべきということになる。

実質実効円相場を用いた「悪い円安」論のほとんどが、こうした海外事情のことを考慮しないまま主張されている。恐らくIMFが10年前から外部セクターリポートを発行するようになり、為替評価方法を大きく転換したことさえも知られていないのだろう。

<自然為替レートという概念>

筆者が提唱したいのは「自然為替レート」という概念だ。金利の世界には自然利子率の概念が確立されており、実質金利が自然利子率を下回ってくると、景気やインフレの刺激効果が出てくる。ただ、デフレ環境下でゼロ金利制約に陥った日本経済は自らの政策的努力で効果的に実質金利を引き下げることが難しい。従って景気やインフレの刺激のためにマネタリー・コンディションを緩和させるに当たっては、実質円相場の下落に依存せざるをえなくなる。

この間、中国や韓国を筆頭にアジア諸国が世界の輸出基地として台頭し、それらの国々の実質為替相場は基本的に上昇しやすく、日本の実質為替相場は下落しやすい状況となった。ただ、アジア新興国の実力上昇が著しいため、実質円相場が長期的に下落しても、あるべき均衡点になかなか達せずにいる。

こうした中で、日本経済とインフレは浮揚感を欠いてきたのだと筆者は整理している。逆に言うなら、実質円相場が既に十分に安くなっているなら、今ごろ日本は明確にデフレ体質、ディスインフレ体質を克服していなければおかしい。実際にそうなっていないことは、実質円安は実体経済との対比で言えばまだ、不十分なのではないかということを物語る。

長期的に見れば、このことは実質実効円相場が日本の交易条件のすう勢的な悪化とともに下落してきたことに端的に表れている。アジア諸国との競合で日本の輸出品目である工業生産価格が長期的に低迷し、資源需要の増加を背景とする原油・資源価格の上昇が輸入物価を押し上げてきた。足元の円安(特に実質円相場の下落)も昨年以降の原油・資源高による交易条件の悪化を伴っている。

<悪い円安か、良い円安か>

この円安も手伝って今、「安いニッポン」が社会問題となっているが、その底流にある賃金低迷の決定打となったのは1985年以降、その当時の日米貿易戦争を背景に1995年まで続いた円高だった。その頃、日本は株価も不動産も世界の中で圧倒的に高かったが、人件費も米国や欧州諸国を上回っていた。円高進行を受けて95年にはドル建て賃金が4万4000ドルとなり、米国(2万8000ドル)の1.5倍以上になった(IMFの賃金指数)。

この円高の記憶は、近年まで企業経営者をはじめとした日本人の脳裏には焼きついた。その円高の記憶を前提に製造業を中心に企業戦略が組み直され、これが企業の海外進出を伴う国内での執ような賃金抑制につながった。

その結果、それをピークに日本の賃金は伸び悩み始め、特に1997─98年の金融危機の後は現金給与総額の前年比の伸びはマイナス圏で推移するようになった。消費者物価の伸びも落ち込み、現在まで続くデフレ経済の出発点となった。

実際には95年以降、そこまで激しいドル安・円高は進行しなかったが、すう勢的な賃金などを抑制するコストカット構造は継続。円建てで見ても、ドル建てで見ても、日本の賃金は低迷を続けることになった。

今はにわかに「悪い円安」論者が急増中だが、当時は95年までの円高が日本人(特に企業経営者)にとって「最悪の記憶」として残り、そのヒステリシス効果(履歴効果)が賃金抑制を含めたデフレ経済化を促す重要な1つの要因となったのだ。

足元の円安加速は「高い日本」を国際的に見て(ドル建てで見て)加速させた95年当時の円高加速を想起させる。もちろん今回はサイドが逆で「安い日本」が問題になっているが、この円安は日本経済がデフレ構造、ディスインフレ構造から抜け出していくに当たって、必要なプロセスの最終段階なのではないかと捉えている。

このまま円安が加速すると、筆者の中長期的な相場観にはアンフェイバーだが、ファンダメンタルズ的にはこれは「悪い円安」なのではなく、「良い円安」なのではないか。

編集:田巻一彦

(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

*高島修氏は、シティグループ証券のチーフFXストラテジスト。1992年に三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、2004年以降はチーフアナリスト。2010年シティバンク銀行入行、チーフFXストラテジストに。2013年5月より現職。

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