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コラム:「2―3%インフレ目標」ではなぜまずいのか=熊野英生氏

[東京 6日 ロイター] インフレを起こそうとする政策には、誘惑が付きまとう。最初はデフレが解消できればよいとだけ思っていても、時間が経つと「いやいや望ましい物価上昇率は1%程度」となる。そして議論が白熱すると、「物価上昇率は2%でなくてはならない」「私たちは3%が最適だと考える」とエスカレートしてくる。しかし、その誘惑は事後的に見えにくい代償を支払わなくてはいけない。

12月6日、第一生命経済研究所の熊野英生氏は、中央銀行に2―3%といった高めのインフレ率を設定し、政治的誘因に基づき積極的に行動させる手法には矛盾があると指摘。提供写真(2012年 ロイター)

事前の約束が事後的には好ましくない結果を招くジレンマは、「時間非整合問題(Time inconsistency)」と呼ばれる。わかりやすく言えば、「事前と事後の食い違いによる苦しみ」といったところだろう。

たとえば、中央銀行の政策目標として「2%のインフレ率を実現すること」と定め、かつ「長期金利は1%前後の低水準に据え置く」と約束したとしよう。次に、あらゆる金融政策の手段を動員して、消費者物価指数の前年比伸び率2%が達成できたと仮定する。その場合、同時に長期金利は上昇しているだろう。これは、中央銀行にとって望まない弊害である。長期金利を引き下げるために中央銀行はインフレ目標を修正し、利上げをして消費者物価を1%以下に抑える選択を余儀なくされる。

つまり、こういうことだ。

●事前の約束:2―3%のインフレ目標、1%の低い長期金利

●事後的状況:2―3%のインフレ目標達成、長期金利も2―3%に上昇

●約束の修正:長期金利低下を目指し、インフレ目標を引き下げ

要するに、高いインフレ率と低い長期金利は相容れない。このことは消費者物価が2―3%の上昇率になった世界を考えればよい。おそらく猛烈な金融緩和によって、地価・株価・商品といった資産価格は上昇しているだろう。その場合、投資家の運用資産は、債券から値上がりする各種資産にシフトする。1%前後の長期金利はとても維持できなくなる。

多くの金融関係者は、物価上昇率が高まったとき、それに連動して長期金利の水準も上方シフトすることを知っている。もしも長期金利水準を1%程度に押しとどめたいと願うのならば、それと整合的な物価上昇率の目標値としては0―1%程度が妥当だと考えられる。

過去のデータを調べると、インフレ率の変動と長期金利には連動性があり、時代によって反応が変わっている。2000年代、90年代後半は、物価上昇率が1%動いても長期金利は0.16%しか動かない。ところが、デフレではなかった90年代前半は、物価上昇率1%に対する長期金利の反応が1.17%、80年代が1.00%と大きかった。消費者物価が2%に上昇する世界では、長期金利1%前後を維持することは極めて困難だろう。長期金利の上昇に対して、中央銀行が必死になって「長期金利は断固として低位に抑え込む」と宣言したとしても、長期金利を以前の低位には戻せない。

上記の指摘は、筆者が2004年のノーベル経済学賞を受賞したキッドランドとプレスコットの「時間非整合」のモデルを応用して考えたものだ。オリジナルのキッドランド=プレスコットのモデルでは、インフレ率と失業率の間にあるトレードオフの関係、つまり「フィリップス曲線」をベースに議論を展開している。

事前に中央銀行が極端に低い失業率を目指そうとして金融緩和を行っても、低い失業率と低いインフレ率は同時達成できずに、事後的には高いインフレ率に苦しむという議論である。筆者は、「低い失業率」を「高いインフレ率」、「高いインフレ率」を「長期金利の上昇」と変数を入れ替えて、議論を組み直している。

面倒なモデルの話はやめておいて、より重要な政策的インプリケーションの話をしたい。キッドランド=プレスコットのモデルが伝えようとしているのは、中央銀行が裁量的に高いインフレ率を追求しても、事後的には失敗を引き起こすことへの警鐘である。その失敗を回避するために、インフレ・ターゲットが有効だという。ここでのインフレ・ターゲットは、低いインフレ率目標を定めるルールを敷いて、短期的に高いインフレ率を容認してしまう誘因(インフレ・バイアス)を防止するという意味での有効なツールを指す。

経済学のモデルでは、もうひとつインフレ・バイアスを予防するために、インフレを嫌う人物を中央銀行総裁に任命して、干渉を跳ね返すことを提唱する。皮肉なことに、2008年に、福田康夫(当時)首相が任命した白川方明総裁は、理論どおり、相応しい人物だったと言える。

<日本経済は2―3%の長期金利に耐えられない>

半面、多くの経済学に精通した人々が、インフレ・ターゲットの本当の意義について話さない。インフレ・ターゲットの発想は、高めのインフレ率を追求し景気過熱を容認するような「裁量政策」の失敗を戒める仕組みのはずだ。

翻って、中央銀行に2―3%といった高めのインフレ率を設定し、政治的誘因に基づき積極的に行動させる手法には矛盾がある。現在、日銀に求められているインフレ目標論は、もともとの議論を換骨奪胎して、全く別の目的に金融政策を改造しようとしている。

しばしば耳にする「政治が高めの目標を掲げて、日銀はそれを達成する手段についての独立性を持つ」といった理屈も、本来のインフレ・ターゲットの意味合いとは違っている。インフレ・バイアスを正当化しようとする仕組みは、裁量主義が陥る失敗を繰り返すだけになるだろう。インフレ・ターゲットは、その使い方を間違えると、長期金利の上昇によって混乱を起こしかねない。その点が、致命的な弱点である。だから、目標はせいぜい消費者物価1%程度にとどめることが望ましい。

日本の経済・財政状態を考えると、とても2―3%の長期金利に耐えられない。長期金利が急上昇すれば、財政再建は頓挫しかねないからだ。政府債務の利払い費用が増えれば、税収はそれに食いつぶされてしまう。銀行が債券含み損・実現損を出せば、貸出のリスク許容力が低下する。事業法人は、国内での資金調達が不利になり、設備投資を手控える。

日銀に求められる優先的役割は、可能な限り中長期金利を低位安定に保つことである。今の日銀は、インフレ目標など敷かなくてもよい。暗黙のうちに国債管理政策に組み入れられており、長期金利を低位にすることに力を注いでいる。

インフレ率を引き上げようとするならば、金融政策に頼らず、政府が経済活性化策を打ち出して、企業の国内投資活動を活発化させ、勤労者の賃金上昇率が高まるように促すのが本筋であろう。

*熊野英生氏は、第一生命経済研究所の首席エコノミスト。1990年日本銀行入行。調査統計局、情報サービス局を経て、2000年7月退職。同年8月に第一生命経済研究所に入社。2011年4月より現職。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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