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コラム:「金融抑圧」という陰鬱なシナリオ=河野龍太郎氏

「異次元緩和」という表現は、言い得て妙である。通常、中央銀行の政策は、グラジュアリズム(漸進主義)を基本とし、一気呵成の問題解決を目指さない。不確実性が存在する以上、アグレッシブな政策は、その副作用によって、マクロ経済を不安定化させてしまうリスクがあるためだ。

5月23日、BNPパリバ証券の河野龍太郎・経済調査本部長は、黒田日銀の大胆緩和は「緩やかなマネタイゼーション政策」である「金融抑圧政策」の大きな一歩となった可能性があると指摘。提供写真(2013年 ロイター)

しかし、黒田日銀は戦力の逐次投入は行わないとして一気呵成の問題解決を目指し、アグレッシブな金融緩和策に踏み出した。長短ともにゼロ金利制約に直面し、伝統的な金融政策のトランスミッション・メカニズムはもはや機能していないため、大規模な国債購入によって、人々の「期待」に直接働きかけるという戦略を取ったのだ。

ただ、かねて指摘してきたように、「期待」で動くのは株式や不動産、コモディティ、為替レートなどのストックの価格であって、最終財・サービスの価格や賃金といったフローの価格は簡単には変化しない。フローの価格を動かすべく大胆な金融緩和を続ければ、資産価格ばかりが上昇する。実体経済が付いて来なければ、それはバブルであり、いずれ深刻な調整に見舞われることになる。大きなリスクを伴う黒田日銀のアグレッシブな緩和策は、従来のグラジュアリズム戦略とは、文字通り次元を異にしていると言えよう。

「異次元緩和」の呼び名にふさわしい理由は、もう一つある。それは、黒田日銀の大胆緩和が「緩やかなマネタイゼーション政策」である「金融抑圧政策(Financial Repression)」の大きな一歩となった可能性があるためだ。

金融抑圧政策というと、開発経済学に明るい人ならば、新興国で規制によって人為的に低い金利環境を作り出し、民間部門の資本蓄積を促し、経済成長を高める方策を連想しよう。しかし最近では、新興国や先進国の別なく、公的債務負担の圧縮を目的として、人為的に金利を低く抑え込む政策だと説明されることが多い。緩やかなインフレを醸成した上で、低い金利の国債を金融機関に半ば強制的に購入させるのである。市場メカニズムに任せたままでは、長期金利が跳ね上がるリスクがあるので、公的関与を強め国債市場をいわば官製マーケット化する。マイナスの実質金利となる債券を保有する金融機関、最終的には預金者や保険契約者、年金契約者の犠牲のもとに成り立つ政策と言えよう。

周知の通り、日本の国債市場は日銀の大量購入によって流動性が著しく枯渇し、機能不全に陥っている。一国の金融市場の根幹をなす国債金利の体系に大きな歪みが生じており、効率的な資源配分を損なう弊害の多い政策として、筆者は強い懸念を抱いているが、金融抑圧政策の文脈で捉えるなら、国債市場の機能低下は必然だとも言える。

<インフレ・タックスは議会の決定が不要>

公的債務の圧縮(正確には対GDP比での圧縮)には、理論上、以下の4つの経路が考えられる。1)高成長による税収増、2)増税や歳出削減などによる厳しい財政調整、3)明示的なデフォルト、4)急激なインフレによる調整(事実上のデフォルト)である。ただ、これらの他に中間的な政策もあり、歴史的に見ると、一定程度のインフレ率を醸成し、低い長期金利を規制によって維持することで、マイナスの実質金利を作り出し、公的債務を圧縮する金融抑圧政策も利用されている。

終戦直後の日本では前述した三番目と四番目、すなわち預金封鎖と高率のインフレという最悪の政策が選択されたが、上手く行った国でも、結局、一番目(高成長による税収増)と二番目(増税や歳出削減などによる厳しい財政調整)と金融抑圧政策の組み合わせだった、ということではないだろうか。

2000年代半ばの世界的な金融危機の後、先進各国は、第二次世界大戦直後に匹敵するような未曽有の公的債務を抱え、現在その処理に苦しんでいる。当然にして、誰もが望むのは、高い成長による税収増である。しかし、潜在成長率を高めることで公的債務問題を解決することは、ほとんど不可能に近い。そもそも潜在成長が低下しているからこそ、公的債務の膨張が止まらないのであり、経済成長で公的債務問題を解決するというのは、問題解決を先送りすると言っているようなものである。

高成長による税収増だけでは解決できないとすれば、我々は、本来、増税や歳出削減も選択しなければならない。それが筆者の長年の主張でもあるが、残念ながら、議会制民主主義の下では、有権者に負担を強いる政策は簡単には決定できない。政治家はアグレッシブな金融政策による解決という甘言になびいてしまう。

結局、程度の差はあれ、マネタイゼーション政策に手を染め、インフレ醸成が行われることになる。しかし、マネタイゼーション政策を進めた場合、上手く長期金利のコントロールを行わなければ、金融システム危機や財政危機に直面する。最悪の場合、急激なインフレによる調整に向かうことになる。そうした事態を避けるために、国債の価格形成への公的関与、規制が強められる。中央銀行が市場機能を壊すほど国債を大量に購入することも、一つの手かもしれない。

しかし、それだけなら、すでに大量に国債を保有している銀行や保険会社、年金基金は相当なダメージを受ける。金融機関が継続的に国債を保有、購入するためには、規制を強め、リスク資産への資金の大規模なシフトを避ける必要がある。同時に、国債購入をより有利にする規制、税制などを導入する必要もある。たとえば、時価会計停止や非市場性の国債発行、国債購入への優遇税制などの導入である。こうした一連の金融抑圧政策を取れば、インフレ率がある程度上昇しても、半ば強制的に低い金利の国債を金融機関に保有、購入させることができるかもしれない。

とはいえ、政策当局者も意図して金融抑圧政策を採用するのではないだろう。まず、マクロ安定化政策として中央銀行が大量の国債購入を進めることで、なし崩し的にマネタイゼーションが進む。インフレ率が上昇し長期金利に上昇圧力が加わり始めると、今度は財政や金融システムへの配慮から国債購入を続けざるを得なくなる。中央銀行の積極購入だけでは、長期金利の上昇を抑えることができなくなり、国債保有や購入を促す規制や税制が導入されていく。制約の中で、眼前の危機を避けるために政治家や行政官、セントラルバンカーが様々な選択を続ける結果、金融抑圧政策が進展していくのだと思われる。

筆者が訴える増税や歳出削減は議会での議決が必要である。しかし、金融抑圧政策による、国債保有者へのインフレ・タックス、最終的には預金者や保険契約者や年金契約者へのインフレ・タックスである金融抑圧課税は議会の決定を必要としない。インフレの加速さえ避けることができれば、政治家には極めて魅力ある選択肢と映るのだろう。

<潜在成長率のさらなる低下を招く不適切な政策>

問題は、グローバリゼーションの下で、金融抑圧政策が実行可能か、ということである。現在はブレトンウッズ時代とは大きく異なり、資本自由化、金融自由化が高度に進んでいる。マイナスの実質金利に直面する預金者や保険契約者は少しでも利回りの高い国へ資金をシフトさせるだろう。しかし一方で、強いホーム・バイアスが働いているのも事実だ。さらに重要な点は、大半の先進国が未曽有の公的債務を抱え、簡単には超金融緩和政策から抜け出すことが難しくなっていることである。利回りの高い先進国はもはや存在しない。

それでは、新興国に投資資金が流れ込むことはないのか。確かに、新興国に資金が流れ込む可能性はある。しかし、新興国では、自国通貨高を避けるために、ドルに対し事実上の固定レート制が採用されている。そのことは、先進国の投資家が手放したドルやユーロ、円を、新興国の中央銀行が入手し、先進国の国債を購入することを意味する。

先進国から多少の資金流出が生じても、新興国の中央銀行が代わって先進国の国債を支えてくれる。新興国も金融抑圧政策の重要なプレーヤーとして組み込まれていると言える。ただし、新興国の資金がドルやユーロに向かい、円には向かわないリスクがある。このため、金融抑圧政策の視点からすれば、円安誘導政策はリスキーであるのかもしれない。

実行可能性を論じるまでもなく、現実に、米欧では金融抑圧政策がすでに始まっているとも言える。政策金利、長期金利に比べ、総合インフレ率の方が高い状況が続いており、多くの国でマイナスの実質金利や相当に低い実質金利が発生している。低い実質金利とすることで、総需要を刺激することが大義名分となっているが、必ずしもそれには成功していない。景気回復が始まってもペースは緩慢で、加速するのは株や不動産など資産価格の上昇ばかりである。ただ、総需要を刺激することは文字通り大義名分で、金融抑圧を通じた公的債務の圧縮という隠された意図があるのなら、効果は発揮されているとも言える。

筆者は、日本の金融政策がすでにマネタイゼーションの領域に入りつつあることを従来から強く警告してきた。前述した通り、大量の国債を抱えるようになった中央銀行は必然的に国債管理政策に組み込まれる。デフレから脱却した際、物価安定の観点から利上げが必要となっても、財政や金融システムへの配慮から、利上げに踏み切れない。しかし、金融抑圧政策の観点からは、デフレから脱却した後も、マイナスの実質金利を維持する必要があり、そのためにはゼロ金利政策と国債購入政策を継続しなければならない。

そうだとすれば、中央銀行が出口に向かうのは相当先、つまり公的債務の圧縮がかなり進んでから、ということになる。黒田総裁が出口戦略を語らないのは、金融政策の効果を最大化させるというコミュニケーション戦略上の視点からだと思われるが、まさか金融抑圧政策への移行を念頭に置いているわけではないだろう。

金融部門のマクロ経済における役割は、成長分野を掘り起こし、貸出を通じて、預金者の貯蓄を成長分野の投資に振り向けることにある。金融抑圧政策は、規制などの公的関与によって、成長しない分野である国債のファイナンスに預金者の資金を振り向ける政策である。そうした政策を行えば、潜在成長率が低下するのは当然である。金融抑圧政策は、痛みが見えづらく政治的には魅力のある公的債務の圧縮策かもしれないが、明らかに潜在成長率を低下させる不適切な政策であり、安易に選択すべきではない。

*河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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