[東京 19日] - リーマンショックで戦後最大の景気後退となった2009年以降、筆者は米国の実体経済の回復と株価動向について長期楽観のスタンスをとってきた。しかし、実体経済面で大きな問題がなくとも、大小の様々な波乱が起こり得るのが株式相場というものだ。
高値を更新し続けてきた米国株価については、1―2年前から「割高だ。バブルだ」「いや問題ない」などブル対ベアーの議論が展開されてきた。米国株式は変動性が大きいものの「バイ&ホールド」の長期保有が報われるので筆者自身は原則保有継続のスタンスだが、リーマンショック後のような割安感はすでになくなっている。
したがって、ポートフォリオに占める比率はある程度落とし、目立った反落(直近の高値から10%前後がめど)があれば買うスタンスが合理的だろうと思う。その理由を説明しよう。
株価指数S&P500の株価収益率(PER)は、直近12カ月決算報告ベースで19.8だ(2月13日時点)。これは1990年以降の平均値24.1、あるいは1980年以降の平均値20.5よりもやや低い程度であり、これだけ見るならバブルのリスクを懸念する水準ではない。
しかし、PERの分母になる企業利益はS&P500ベースで計算しても変動性が高く、安定的な尺度とは言えない。例えばリーマンショック後の2009年春に同PERは企業利益の急速な落ち込みで100倍を超えてしまったが、株価はそこが大底で千載一遇の買い場だった。
逆に今のPERが割高を示していなくても、直近の企業利益が長期的なすう勢よりも「でき過ぎ」という可能性もある。その場合は、現行のPERで判断して買っていれば、やがて企業利益が長期的なすう勢に戻り、株価も下がった際に、割高な水準で株を買ってしまったことが判明するだろう。
<シラーPERは投資尺度には不適か>
そこでノーベル経済学賞受賞者のロバート・シラー教授が考案したシラーPER(別名CAPE Ratio)について考えてみよう。これは直近の企業利益ではなく、過去10年間の1株当たり企業利益の平均値をインフレ率で調整し実質化してPERを計算するものだ。
つまり短期・中期の景気循環による企業利益の変動を平準化するために、実質企業利益の長期平均値を使用することで、ファンダメンタルな価値から市場株価の乖離(かいり)度を推測するというアイデアである。具体的にはシラーPERの長期にわたる平均値を計算して、シラーPERの現在値がそれを大きく上回っている時は株価の過大評価、下回っている場合は株価の過小評価と判断するわけだ。S&P500ベースのシラーPERが月次で公開されているサイトもある。
ところが、シラーPERには批判が多い。例えばロイターのコラムでもアナトール・カレツキー氏は次のようにその有効性を否定している。「過去25年間、シラーPERはほぼ一貫して間違っているのだ。1989年以降、S&P総合500種は8倍になり、配当を含む総リターンは投資元本の12倍に達している。・・・(ところが)過去25年のうちの97%の期間で、シラーPERは過大評価のシグナルを示している」(「根拠なき熱狂とは限らない米株の最高値」2014年7月28日)
カレツキー氏の指摘通り、1881年までさかのぼるシラーPERの平均値は16.6だが、1990年以降はほとんどの期間についてシラーPERは16.6を超えている。現在の値は27.5(2月13日時点)でやはり平均よりかなり高い。つまりシラーPERを上記の通り判断すれば、1990年以降米国株価はほとんど恒常的に「割高」であり、株式投資は「割に合わない」という判断を下していたことになる。
シラー教授は2000年に出版し世界的なベストセラーになった「根拠なき熱狂」での株式バブルの警告が、ITバブル崩壊のタイミングとちょうど重なったことで、その後「バブル警告の神様」みたいにメディアが祭り上げるようになってしまった感がある。
だが、大外れの実績もある。バートン・マルキール氏はその有名な著作「ウォール街のランダム・ウォーカー」の中で次のようにちょっと皮肉を込めて指摘している。
「(シラー氏はITバブルを警告したのと)同じモデルによって、アメリカの配当利回りが顕著に低下し、PERが異常に高水準に達した1992年にも、株価はファンダメンタル価値を大幅に上回る水準に達しており、今後は長期平均で見ても株式のリターンはゼロ近辺に低下する可能性が高いという警告を発していたのだ」(同書第11章)。実際にはその後2000年春まで株価がかつてないテンポで上昇を遂げたことは言うまでもないだろう。
なぜ1990年以降にシラーPERがすう勢的な上方シフトを起こし、それが続いているのか。必ずしも明快に解き明かされていないのだが、すう勢的な企業利益水準も会計制度の変更などによって変わる。景気循環のサイクルの長さもまちまちだ。また、投資家が求める実質リターンの水準自体、過去100年以上にわたって安定しているわけではなかろう。
したがって、シラーPERの水準は各時代のそうした事情に影響を受けていると考えられる。逆に言うと、各時代にそうした事情が働いているにもかかわらず、過去100年以上にわたるシラーPERの平均値一本で割高・割安を判定しようとすること自体に無理があるのだと筆者は考えている。
<それでもシラーPERは無視しない方が良い>
ただ、シラーPERのそうした限界性に配慮して使用するなら、長期的な投資判断の参考になると筆者は考えている。
図は戦後を1946年から1989年までと1990年から2015年1月までの時期に分けて、シラーPERと10年間のS&P500の実質投資リターン(消費者物価指数で調整、配当利回りを除いたキャピタル損益のみの実質年平均リターン)の相関を示した散布図だ(月次データ)。横軸がシラーPERの水準、縦軸がその時点でS&P500連動ファンドに投資した場合10年後に得られる実質年率リターンを示している。
赤で示した1990年以降の分布が青の1989年以前の分布より右にシフトしているのは、既述のシラーPERの上方シフトを示している。このように時代区分して使用した場合のシラーPERと実質投資リターンの相関度は非常に高い。シラーPERが高い時に投資すれば、10年後の投資リターンは低くなるという明瞭なマイナスの相関関係が見られる。
1946―89年については、決定係数(R2)が0.64であり、これは投資時点のシラーPERの水準次第で10年後の実質リターンの水準が64%決まってしまうことを意味する。1990年以降ではR2は0.87とさらに高く、投資時点のシラーPERの水準で実質リターンは87%決まってしまう。
ちなみに現在のシラーPERの水準は既述の通り27.5で、図上で赤い垂直線で示した水準にある。シラーPERが上方シフトを起こした1990年以降の分布の平均値は25.3なので、現在の傾向を前提にしてもすでに割高な水準に入ってきているとわかるだろう。
もちろん、図の分布傾向が示すのはあくまでも過去の実績であり、今後10年間に分布がどのように変わるかは不確実だ。しかし、この種の不確実性はあらゆる種類の投資に必ず付随するもので、私達は過去の長期的なトレンド、変数間の関係性を合理的に読み解きながら、それを少しずつ将来に修正・延長して判断するしかない。
目先のことを言えば、今年の米国株の波乱は年中頃に予想される金利引き上げへの移行局面だ。昨年9月の本コラム「米国株、利上げ転換局面は絶好の買い場か」(2014年9月25日)で書いた通り、「過去を参考にすれば、来年(2015年)からいよいよ始まる米国の利上げへの転換局面で直近高値から5―10%程度の反落局面が起こっても、むしろそれは自然なこと」だ。
判断の分かれ目はその反落場面でどうするかだ。これも過去の景気回復過程を見る限り、金融緩和から引き締めへの転換局面における反落場面での買いは、比較的短期間に報われていることを言い添えておこう。
*竹中正治氏は龍谷大学経済学部教授。1979年東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行、為替資金部次長、調査部次長、ワシントンDC駐在員事務所長、国際通貨研究所チーフエコノミストを経て、2009年4月より現職。経済学博士(京都大学)。最新著作「稼ぐ経済学 黄金の波に乗る知の技法」(光文社、2013年5月)
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here)
*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
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