April 14, 2015 / 6:52 AM / 3 years ago

コラム:低インフレ後の「資産バブル」再来リスク=竹中正治氏

[東京 14日] - 非伝統的金融政策(量的緩和)からの出口に差しかかっている米国で、失業率や新規雇用者数で見る雇用情勢は着実に改善しているにもかかわらず、インフレ率が目標の2%未満の状態が続いている。

このことに米連邦準備理事会(FRB)が頭を悩ましている。これは日本にも共通する問題だ。米国で低インフレが続く原因とそのリスクを考えてみよう。

FRBが使命とする政策目標はインフレ率の安定と雇用の最大化だ。この2つの目標に対して政策手段は金融政策の1つだけである。独立した1つの政策目標を達成するためには、独立した1つの政策手段が原理的に必要とされる。にもかかわらず、一般にFRBの使命が矛盾しないのは、インフレ率と雇用の変化に安定した関係がある場合だ。

例えば「フィリップス曲線」の名で知られているようにインフレ率と失業率の間にはトレードオフの(負の相関)関係がある。FRBが短期・中期的なショックに対応しながら金融政策のかじ取りを行い、インフレ率を一定の水準で安定化させれば、長期的には需給ギャップはゼロとなり、長期的な均衡状態における自然失業率を達成できると考えられている。

しかし、インフレ率と失業の関係性が壊れてしまう時もある。その代表例が1970年代のスタグフレーションの時代で、インフレの高進と失業率の上昇が同時進行した。こうなると金融政策として双方の同時追求ができない。

結局、この時は1979年に就任したポール・ボルカーFRB議長の「新金融調節方式」の下で厳しい金融引き締めが実施され、根強いインフレ期待を抑え込むことを優先した。ただし、その代償として1980年代前半は2度のリセッションに見舞われ、失業率はピーク時に10%台まで上昇した。

<低インフレの何が問題か>

今、FRBが直面している問題は、1970年代とは反対の「低インフレ持続」リスクだ。この問題はローレンス・サマーズ元米財務長官が指摘してきた「長期停滞(secular stagnation)仮説」、つまり自然利子率がマイナスに落ち込んでしまうリスクとも関連して議論されている。

もしデフレと紙一重のような低インフレが慢性化すれば、FRBはこれまでの量的緩和で膨張したバランスシートの正常化(縮小)もできず、目立った金利の引き上げもできないことになる。そうした状態のままだと、将来再び経済に何かのショックが発生して景気が後退した場合に、金利の引き下げ余地は極めて小さくなる。つまり、FRBが金融政策として取れる手段は極めて限られるという厄介な事態となるわけだ。そういう意味で低インフレは低金利と表裏の関係にある。

足元の個人消費支出(PCE)価格指数の変化は、全品目ベースで0.3%(今年2月の対前年同月比)であり、FRBが重視している「食料とエネルギーを除くベース」で同1.4%と目標の2.0%に届いていない。

もちろん、全品目ベースで0.3%まで低下したのは、昨年第4四半期から顕著になった原油を中心とする資源価格の下落の影響だ。それは資源価格の調整・下落が止まれば終わるので一過性のものであり、問題はない。むしろ米国のマクロの交易条件が改善するので実質所得が増加する。ところが「食料とエネルギーを除くベース」でも目標の2%に届かない状態が2012年5月以降続いている。これが懸念されているわけだ。

<現下の日本経済にも類似した特徴>

それでは何が低インフレ・低金利の原因となっているのだろうか。原因候補の第1は設備投資需要の低迷である。設備投資の減少は長期的には供給面の制約をもたらすが、短期では資金需要と投資需要の減少として低金利、低成長、低インフレの要因となる。サマーズ氏はこうした見方に立っているようであり、「インフラ整備(公的資本形成)などのために財政支出を拡大する」ことを提唱している。

しかし、民間設備投資が名目国内総生産(GDP)に占める比率は、2009―2014年の平均が11.9%、1950―2008年の平均値は12.0%であり、安定している。GDP成長率と民間設備投資伸び率の間には高い正の相関関係があるが、その関係性が2009年以降に変化しているようにも見えない。つまり、設備投資が細っている兆候は見られない。

第2の原因候補として貯蓄率の上昇(消費性向の低下)はどうだろうか。家計の貯蓄率(対可処分所得)は、リーマンショック後の不況下で家計のバランスシート調整が起こった局面では上昇したが、2013年4.9%、2014年4.8%と落ち着いている。これは1990―2008年までの平均5.5%より低い。つまり、家計部門で貯蓄増加(消費減少)が生じているわけでもない。

民間企業部門ではどうだろうか。民間事業部門の「未分配企業利益(undistributed corporate profit)」の国民総所得(GDI)に対する比率を見ると、1990―2008年までの平均値が2.3%であるのに対し、2009―2014年の平均は5.0%と上がっている。つまり、2009年以降、企業利益が回復する一方、内部に留保される利益の比率が高まっている。また、GDIに占める労働分配率は、1980―2008年の期間は平均56%を中心に安定的に上下動をしていたが、2009―2014年の平均値は53%と下方シフトの傾向が見られる。

以上で何が起こっているか察しがつく。つまり、リーマンショック以降、企業収益は順調に回復し、企業は手元流動性を積み上げ、雇用も回復しているにもかかわらず、それが賃金上昇にあまりつながっていないのだ。興味深いことに、これは現下の日本経済でも類似した特徴だ。

<失業率と名目賃金伸び率の関係に異変>

そこで掲載図をご覧いただきたい。横軸は失業率、縦軸は名目賃金指数の変化(前年同月比)だ。いわゆるフィリップス曲線である。同曲線を論文で最初に提示したウィリアム・フィリップスは失業率と名目賃金の変化として描いた。その後ポール・サミュエルソンが失業率とインフレ率の関係性として定式化してから、それが一般的になったが、ここでは名目賃金指数の変化として示した。

失業率と名目賃金の変化の関係性を示す近似線の傾きが、2009年までとそれ以降で変わっているのがわかるだろう。つまり、2010年以降、景気の回復で失業率が低下しても名目賃金がそれ以前ほど伸びていないのだ。インフレ率と名目賃金の変化にも正の相関関係がある。したがって「賃金伸び率の低下が低インフレ率を招く」という構図に経済がはまっていると筆者は考えている。

では、失業率で見た雇用の回復にもかかわらず、なぜ賃金伸び率は低いままなのだろうか。「完全失業率=失業者数/(就業者数+求職活動をしている失業者)」で算出される。戦後最大の景気後退を経て米国の労働力の供給には失業率が示す以上のスラック(余裕)が生じている可能性がある。実際、米国の労働参加率は過去数年で3%ポイントも低下しており、これはベビーブーマー世代の引退という人口動態要因を勘案しても大きな低下だ。相当数の「求職あきらめ組」を含んでいると考えられている。

そうした「求職あきらめ組」も景気の回復に伴ってじわじわと求職活動に復帰している。その結果、右上がりの労働供給曲線(縦軸に賃金、横軸に労働供給・需要量)の左部分がフラットに近い状態になっていると考えると説明がつく。この状態では景気の回復で労働需要曲線が右にシフトしても、労働供給曲線がフラットに近いので名目賃金はなかなか上がらない。

今後、景気の回復、雇用需要の増加が続けば、近い将来に労働需要曲線はさらに右にシフトして労働供給曲線の右肩上がりの部分と交差するようになるだろう。つまり、賃金が上がり始めるということだ。イエレンFRB議長の直近3月27日の講演(Normalizing Monetary Policy:Prospects and Perspectives)を読む限り、これはFRBの基本認識(メインシナリオ)でもある。筆者も大方はそのシナリオで正しいのだと思う。

ただし、名目賃金の伸び率と失業率の関係は既述の通り決して安定的ではなく、様々な要因で変化する。技術革新の進展で、製造業でもサービス業でも、定型的な労働を中心に機械による代替がますます進んでいる。現下のドル高も輸入物価の低下を通じて、海外と国内の労働者との賃金面での競合を強めている。こうしたことも賃金伸び率の低下要因になっている可能性がある。

<将来のリスクはインフレより資産バブルか>

それでも上記のメインシナリオに基づいてFRBは低インフレ見通しが変わるまで、金利の引き上げには慎重で、緩和的な金融政策を継続するだろう。この点において前掲講演でのイエレン議長の説明は実に微妙で、インフレ率が目標水準に達するまで金利の引き上げや金融政策の正常化を待つことは適切ではなく、目標水準の達成が予見できるようになったらアクションを取るのだと説明をしている。

そして注目すべきは、「長過ぎる期間、金利を低過ぎる水準に維持すれば、投資家による不適切なリスクテイクを助長しかねず、金融市場の安定性を損なう可能性がある」と述べている。つまり、資産バブルのリスクに言及しているのだ。

イエレン議長はそれ以上踏み込んでいないが、この点は今日の金融政策をめぐる厄介な問題に絡んでいる。というのは、インフレ率の安定と雇用の最大化を実現する金利水準と、資産バブルを抑制・回避するのに適正な金利水準が一致する保証はないということだ。

むしろ「雇用・インフレに望ましい金利水準が資産バブル抑制・回避に望ましい金利水準より低くなる」という乖(かい)離が生じる可能性が高い。これこそ過去四半世紀の様々な資産バブルの教訓ではないだろうか。

さらに言えば、米国の景気循環自体が、総需要と総供給のバランスを軸にした実体経済の循環的な変動(business cycle)から、信用の膨張と収縮を伴う資産価格の変動(credit cycle, market cycle)に性質を変えている可能性がある。

ドル高を伴った低インフレが長引く結果、金利の引き上げが延び延びになり、信用の膨張が再び株式か不動産などの資産価格のバブル的高騰を招く危険が、まだ将来のことではあるが、じわりと高まっていると思う。

振り返ると、ITバブル崩壊による景気後退後、当時のグリーンスパンFRB議長は、2003年に景気後退が終わっているにもかかわらず、インフレ率がじりじりと下がり、日本のようなデフレに陥るリスクを真剣に懸念した。結局当時はデフレにはならず景気回復が持続し、2004年6月から金利引き上げに転じたのだが、そのテンポは非常に慎重なものだった。FRBは公式には認めていないが、デフレに陥るかもしれないという2003年の恐怖経験が、住宅高騰下での金融引き締めをスローなものにした可能性があると筆者は思っている。

代々FRBはグリーンスパン議長もバーナンキ議長も、「バブルは破裂してからでないとバブルとは判断できない」という立場であり、資産価格の高騰もそれが実体経済の景気の過熱、インフレ率の過度な上昇として顕現化する場合にのみ金融引き締めで対応すべきであるという方針を取ってきた。

そうした方針の背後には、雇用・インフレに望ましい金利水準と資産バブル抑制・回避に望ましい金利水準のかい離を想定すると、「1つの金融政策で複数の異なる政策目標を追求する」という政策論の原理的な矛盾を認めることになるので、それを回避したい意識があるのだろう。しかし、資産バブルは必ず金融緩和下の信用膨張をベースに起こる。そのリスクを過小評価するコストはあまりに大きかったことが2000年代のバブル崩壊と金融危機の教訓だ。

筆者は米国経済については長期的に強気の見方をしているが、それはリスクの不在を意味しない。イエレン議長がこの厄介な問題にどう対処するか、それが問われる局面が数年以内に到来する気がしてならない。

*竹中正治氏は龍谷大学経済学部教授。1979年東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行、為替資金部次長、調査部次長、ワシントンDC駐在員事務所長、国際通貨研究所チーフエコノミストを経て、2009年4月より現職、経済学博士(京都大学)。最新著作「稼ぐ経済学 黄金の波に乗る知の技法」(光文社、2013年5月)

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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