February 16, 2014 / 2:52 AM / 4 years ago

五輪=羽生を金に導いた「鋼の意志」と被災者への思い

[ソチ(ロシア)/東京 14日 ロイター] -フィギュアスケート日本男子初の五輪金メダルを獲得した羽生結弦選手。約3年前にあきらめかけた夢は、日本から約8000キロ離れたロシアのソチ五輪で14日、ついに実現した。

2011年3月に起きた東日本大震災は、羽生選手(19)の出身地である仙台市にも大きな被害をもたらした。羽生選手の家族も体育館での避難生活を余儀なくされた。いつも練習していたスケート場も損壊した。「あの日」の記憶は今でも鮮明に覚えており、当時は生きることで精いっぱいで、スケートをやめることも考えたという。

しかし羽生選手は、震災から約10日後には東京近郊のスケートリンクの上に立っていた。そして、同年7月にリンクの修復が完了するまで、日本各地でアイスショー約60公演に出演しながら、練習を続けた。

ここに来るまで、とてもたくさんの人たちに支えてもらったとし、どうにかして恩返ししたいと語る羽生選手。金メダルを獲得した今、自分の使命は被災者の力になることだと考えている。

<しびれる演技>

ショートプログラム(SP)では、国際大会のSPでの100点超えは史上初となる101.45点をマーク。ゲイリー・ムーアの名曲「パリの散歩道」に乗り、しびれるような演技を披露した。

翌日のフリーでは、2つのジャンプで転倒するなどSPほどの出来ではなかったものの、ライバルたちのミスも重なり、羽生選手は合計280.09点で優勝し、金メダルに輝いた。

羽生選手の「金」はソチ大会で日本勢初でもあり、一躍国民的ヒーローに。五輪での演技について、これほど緊張したことはなかったとコメント。悔しさもあるが、すべてを出し切ったとし、金メダルを取れたことを日本人として誇りに思うと語った。

身長172センチ、体重54キロとスレンダーな体格だが、羽生選手は鋼のように堅い意志の持ち主であり、震災を乗り越え、一時は練習時間も制限されるほど重かったぜんそくも克服した。

4歳からスケートを始めた羽生選手の持ち味は、その長い手足を際立たせるエレガントで流れるようなスケーティングのほか、ジャンプの「4回転サルコー」や「4回転トーループ」。2012年からはカナダ人コーチのブライアン・オーサー氏に師事し、拠点をカナダに移した。

オーサー氏は選手時代に銀メダルを2度獲得しているほか、2010年バンクーバー五輪でキム・ヨナ選手(韓国)を金メダルに導いたことでも知られる。羽生選手は初めのうちは言葉の壁もあり、困惑するばかりで日本に帰りたい思いをめぐらす日々だったというが、今シーズンの全日本選手権とグランプリ(GP)ファイナルを制するまでに成長した。

世界選手権3連覇のパトリック・チャン選手(カナダ)の得点を上回り、金メダルが決まったときには、羽生選手がオーサー氏とハイタッチしたりする姿も見られた。オーサー氏は教え子の新五輪チャンピオンについて聞かれると、「彼は完璧主義者。ユヅルをとても誇りに思う。歴史的偉業を成し遂げた」と語った。

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