August 21, 2013 / 5:03 AM / 6 years ago

焦点:エジプト騒乱にアルカイダの影、勢力拡大へ「絶好の機会」か

[ロンドン 19日 ロイター] - イスラム過激派がなぜこれほどの短期間で世界中に広がったのか、その理由を探るためには10年前に遡らなくてはならない。

8月19日、イスラム過激派がなぜこれほどの短期間で世界中に広がったのか、その理由を探るためには10年前に遡らなくてはならない。写真は16日、カイロで撮影(2013年 ロイター/Amr Abdallah Dalsh)

エジプトで抗議デモを行うイスラム主義者たちが次々と死んでいく様子が世界中のメディアで報じられていることは、イスラム教徒が迫害を受けていると説くアルカイダにとっては、まさに「思うつぼ」だ。リビアやシリア、イラクでのやり方と同様、不安定な社会情勢に乗じる戦術をエジプトにも広げるまたとないチャンスでもある。

エジプト情勢はまだ予測不可能で、必ずしもイスラム過激派の最前線になるとは限らない。しかし、暴力の応酬でエジプトは爆弾攻撃の前に弱体化し、イスラム法支配実現のために暴力を行使しようとする人々を奮い立たせるスローガンに、以前にも増して影響を受けやすくなった。

「アルカイダを支える絶好の機会があるとすれば、それは間違いなく今だ」。ソマリアのイスラム過激派アルシャバーブに関連するケニアの組織は、エジプトに旗を掲げることが優先事項だとツイッター上でこう訴えかけた。

これは14日のエジプト当局による抗議デモの強制排除を受けて、アルカイダ系のイスラム過激派組織が発信した無数のツイートのうちのひとつだ。彼らはエジプト人に西欧からの輸入品にすぎない民主主義を放棄し、シャリア(イスラム法)に基づく政府の樹立に向け戦うよう呼びかけている。

米ワシントンに拠点を置くシンクタンクのSITEによると、エジプトでイスラム過激派の活動を広げていくことは、地域紛争を利用して聖戦による革命を地域全体に広げようというアルカイダの戦術に資するものだと指摘する。

モルシ前大統領の失脚は、アルカイダの指導者ザワヒリ容疑者のような過激派にとって自らのプロパガンダを広げる機会となった。エジプト出身のザワヒリ容疑者は、モルシ氏の出身母体であるムスリム同胞団が暴力ではなく平和的手段でイスラム主義を導入しようとしていたことを「裏切り行為」だと非難していた。

8月上旬、ザワヒリ容疑者はエジプトで「コーランの戦いを遂行する戦士たち」の結集を求めていた。

いま懸念されることは、ムバラク元大統領の退陣に伴い実施された選挙でその影響力が実証されたムスリム同胞団のメンバーが、ザワヒリ容疑者の考えに同調するのではないかということだ。

強制排除で同盟国や最大の支援国である米国から批判を浴びているエジプト軍だが、アルカイダはすでに同国に関与しており、その活動を止めるには断固たる措置で臨むしかないとしている。

エジプト外務省は18日、こん棒や銃器を持った同胞団メンバーだとする写真を公表。そのうちの1枚には黒いアルカイダの旗が写っていた。17日には治安当局がザワヒリ容疑者の弟を拘束したと発表している。

同胞団はアルカイダとの関係を否定している。また専門家は、国内勢力が暴力に打って出ることはあっても、外国から多数の過激派がエジプトに流入する可能性については懐疑的だ。

戦いを求める国際過激派にとって、魅力的な戦地は依然としてシリアだ。同国ではアルカイダ系組織のアル・ヌスラ戦線と「イラク・レバントのイスラム国」による組織的な攻撃が続いている。

シリアは反シーア派を掲げるアルカイダにとって、シーア派の分派であるアラウィ派のアサド大統領および彼を支援するイランと、スンニ派の戦いという構図を描きやすいのだ。

またアルカイダは、たとえトップのザワヒリ容疑者がエジプト出身といえども、もはや同国での戦闘命令をトップダウンで下せるような組織ではない。

1980年代にオサマ・ビン・ラディンによって設立されたアルカイダは、他のグループを取り込みながら、サラフィー主義(イスラム純化主義)過激派の中で最も強力な組織に育っていった。

しかしそれは階層型権力構造ではなく、地域ごとの異なるイスラム過激派の連携という形で行動していた。共通の理念により彼らは統合し、指導者たちはアフガニスタンなどでの戦闘経験を共有していた。

2011年にアルカイダの指導者となったザワヒリ容疑者は、彼個人のエジプトへの関心と、組織に加盟する勢力をまとめあげる力を誇示することとのバランスを取らざるを得なかった。

<リビアの武器>

エジプトはイスラム主義者による暴力の歴史がある。1981年、当時のサダト大統領はイスラム主義者に暗殺された。1997年には武装勢力がルクソールで外国人観光客58人を殺害した。

19日、イスラム武装グループとみられる集団がシナイ半島で警察官少なくとも24人を殺害した。エジプト軍が実権を握って以降、シナイ半島では同様の攻撃は倍増。一方、エジプトの西側で国境を接するリビアは、武器の密輸や、爆発物に精通する国際過激派にとって格好の往来の場となっている。

2011年にリビアの指導者カダフィ大佐が追放されて以来、イスラム過激派は同国を活動拠点や武器の補給拠点として利用してきた。

過去2年間で、リビアからエジプトに流入した武器は数知れない。さらに2011年のムバラク元大統領失脚に至る革命のさなか、刑務所から多数の服役囚が脱獄したことが、エジプト不安定化の恐れを増している。

イスラム過激派による攻撃が表面化するまでにどれだけの時間がかかるかは、当局による弾圧のスピードを勘案すると、議論の余地があるだろう。

シリアの場合、首都ダマスカスで最初の大規模な爆弾攻撃が発生したのは、アサド大統領退陣を求めるデモが起きてから9カ月後の、2011年12月だった。この爆発は後にアル・ヌスラ戦線が犯行声明を出した。

イスラム教徒が欧米諸国の攻撃にさらされているとする過激派の論理は、一層勢いを増している。その背景には、毎年13億ドル(約1264億円)の軍事支援を行っている米国が、エジプト当局の弾圧に加担していると人々に受け止められているためだ。

ほぼ間違いなく、2003年の米国主導のイラク侵攻以降で、エジプトを取り巻くイスラム世界の反米感情を最も高める可能性がある展開と言えよう。そしてアルカイダにとっては、勢力を拡大する機会を与えている。

アフガニスタンのタリバンもモルシ追放を非難した。「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織(AQIM)」はエジプト軍と共謀する外国勢力を非難し、エジプトの危機を世界中で起きているイスラム社会への攻撃の一部だとした。

パキスタンでは米国と、米国主導のアフガニスタンでの武装勢力との戦いを非難するものにとって、エジプトの強制排除は打ってつけの材料となった。「今やモルシを支持せざるを得なくなった」とあるパキスタンの外交官は語る。同国は米国に支援された軍事政権の苦い歴史から、同胞団に対する見方にかかわらず、民主的に選ばれた大統領を支持せざるを得ないのだ。

2012年にオバマ米大統領が選挙戦で、アルカイダの脅威は大幅に縮小したと述べたにもかかわらず、米国は今月に入って、安全上の懸念から北アフリカと中東の大使館を閉鎖した。

エジプト当局による強制排除は、イスラム過激派が欧米諸国に対して恐怖心を植え付けるだけの力を保持していることを実証する「米国の大使館閉鎖」という出来事と、時をほぼ同じくして起きたのだ。

(Myra MacDonald記者 翻訳:新倉由久 編集:梅川崇)

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