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「最後の日まで闘い続ける」、マンデラ元大統領語録

[5日 ロイター] -南アフリカのマンデラ元大統領が5日、ヨハネスブルクの自宅で死去した。95歳だった。マンデラ氏は反アパルトヘイト(人種隔離)闘争を率い、南ア初の黒人の大統領となり、1993年にはノーベル平和賞を受賞した。

12月5日、南アフリカのマンデラ元大統領が、ヨハネスブルクの自宅で死去した。95歳だった。写真は1994年2月、かつて服役したロベン島の刑務所を訪問するマンデラ氏(2013年 ロイター/Patrick de Noirmont)

記憶に残るマンデラ元大統領の言葉を集めた。

◎1961年6月26日、アフリカ民族会議の記者声明で

「私個人としては決断した。南アフリカを去ることも、あきらめることもしないと。苦難と犠牲、そして武力行動を通じてしか、自由は勝ち取れない。闘いはわが人生だ。最後の日まで、自由のために闘い続ける」

◎1964年4月20日、反逆罪裁判で

「これまでの人生をアフリカの人々の闘いに捧げてきた。白人の独占支配とも、黒人の独占支配とも闘ってきた」

「全ての人々が調和と平等な機会の下に暮らせる民主的で自由な社会という理想を抱いてきた」

「その理想こそ、私が命を懸けて実現させたいものだ。しかし、もし必要とされるなら、その理想の実現のために死ぬ覚悟がある」

◎1990年2月11日、釈放当日のケープタウン演説で

「私は預言者としてではなく、人民に仕える奉仕者としてここに立っている。あなた方の根気強く英雄的な犠牲行為のおかげでここに立つことができた。そうであればこそ、残された人生を皆さんに委ねようと思う」

◎1990年6月22日、国連反アパルトヘイト特別委員会で

「アパルトヘイト犯罪が起きたことは、消すことのできない影として人類史に永久に刻まれるだろう。後世の人々はこう聞くはずだ。世界人権宣言が採択された後、どんな過ちが起きてこの仕組みが出来上がったのかと」

◎1994年5月10日、大統領就任演説で

「傷を癒やす時が来た。我々を隔てる溝を埋める時が来た。国を作る時代がやって来たのだ」

◎1994年の自叙伝「自由への長い道」で

「肌の色や育ち、信仰の違いを理由に他人を憎むよう生まれつく人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。もし憎むことを学べるなら、愛することも学べる。愛は憎しみより自然に人間の心に届くはずだ」

◎2002年5月18日、南アの政治家ウォルター・シスル氏の90歳の誕生日に

「人生で大事なのは、ただ生きているという事実ではない。他人の人生にどんな変化をもたらしてきたかだ」

◎2003年のドキュメンタリー番組「Mandela: The Living Legend」で

「米国は力に酔っぱらってしまったのだと思う」

◎2005年7月2日、ヨハネスブルクで行われた慈善コンサートで

「私たちは知識と情報が飛躍的に進んだ世界に生きているが、いまだに学校に行けない子どもが数百万人いる。我々が生きているのは、エイズの世界的流行が生活そのものを脅かす世界だ」

「世界はHIV感染者の治療や支援を上回る額を武器に使っている。世界は前途有望だが、絶望や病気、飢えの世界でもある」

◎2006年、アムネスティ「良心の大使賞」受賞で

「奴隷やアパルトヘイトのように、貧困は自然現象ではない。貧困を作り出すのは人間で、貧困に耐え、貧困に打ち克つのも人間だ」

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