January 13, 2019 / 11:26 PM / 7 months ago

コラム:世界をむしばむデジタル監視国家、「対抗軸」はあるか

[4日 ロイター] - 新たな年を特徴づけるテーマは、大幅に性能を向上させた電子的監視体制と、民主的コントロールの弱体化との、有害な対決が起きる可能性である。

1月4日、新たな年を特徴づけるテーマは、大幅に性能を向上させた電子的監視体制と、民主的コントロールの弱体化との、有害な対決が起きる可能性である。写真は2018年10月、北京で開催されたセキュリティ関連の専門見本市会場で、交通監視モニターを見る見学者(2019年 ロイター/Thomas Peter)

このリスクに対する解毒剤は民主主義の精神と市民的自由だが、いずれも世界中で逆風にさらされている。まだ死んではいないが調子は優れず、放置されている場合もある。

世界で人口が最も多い2カ国、すなわち中国とインド(両国合わせて世界人口の約37%を占める)は、全国規模のデジタル監視・分類システムを導入している。こうしたシステムは、市民権を充実させるために必要な個人情報の収集と、国家による監視・介入能力の強化を組み合わせたものだ。

中国のシステムは、14億人もの国民の行動を監視し、国家と共産党が定義する「良い」活動を表彰し、「悪い」活動に懲罰を与えることをあからさまに追求している。これは、宗教主導の社会の世俗バージョンである。聖職者たちが仲介する神の戒律に代わるのが、国家が定める基準だ。国を支配する共産党が、カール・マルクスの哲学の解釈に、いまや憲法にまで書き込まれた「中国の特色ある新時代の社会主義に関する習近平思想」という装飾をあしらい、事実上の無謬性を主張している。

中国の「社会信用システム」は、顔・声・指紋の認識テクノロジーを、インターネット利用や教育に関する選択、ソーシャルネットワークなど公私にわたる行動の監視、さらに膨大な有給の情報提供者ネットワークが提供する不穏な活動に関する報告と結びつけている。

中国政府は、これらの要素を使って国民ひとりひとりの社会的・政治的・職業的、そして私的な活動についての全体像を描き出し、キャリアその他の選択において有利に働くポイントを付与し、あるいは権利や昇進の機会、移動の自由を奪うことによって反社会的・反共産党的な行動に懲罰を与える。

システムに関する党公式の説明は、「信用度の高い人は大空の下で自由に散策することができるが、信用度の低い人は1歩歩くのも難しくなる」とうたっている。すでに表彰・懲罰の付与は開始されている。2019年中に対象範囲を全国に拡大し、2020年までにすべての国民の監視を実現することが目標だ。

インドの「アドハー」(ヒンディー語で「基礎」の意)と呼ばれる国民識別カード技術は、中国と同じくらい包括的なものをめざしているが、プライバシーへの介入はさほど意図されていない。

ソフトウェア起業家のナンダン・ニレカニ氏が発案した「アドハー」は、任意参加の試みとして始まった。ニレカニ氏が願ったのは「どれほど貧しく不遇であろうと、すべてのインド人を国家から『見える』存在にすること」である。昨年以降、一部の州では「アドハー」が任意加入ではなくなっている。強制加入制にし、生活必需品や高等教育、政府補助金や医療へのアクセスと結びつける構想がある。

「アドハー」がプライバシーの権利を侵害しているという異議申立ては複数の裁判所に提出されており、市民的自由を擁護する活動家と国家のあいだの争いとなっている。

西側の民主主義国家には、中国どころかインド程度のデジタル監視の野望もない。とはいえ、米国家安全保障局の文書が2013年にリークされた影響で、西側諸国の情報機関の多くは、法的な予防措置を強化したうえではあるが、すべての市民の通信を監視する合法的な権限を与えられるようになった。

最も強力な民主主義国家である米国は、最も優れたデジタル企業が誕生し、本拠を置く国となっている。だが、フェイスブックを筆頭とするこうした企業に対しては、プライバシーを保護できるのか、また違法なヘイトスピーチやニュースの仮面を被った秘密のプロパガンダを排除する、あるいは少なくともその存在を摘発できるのかという問いが、一般社会や各国政府から突きつけられている。

フェイスブックの創業者、ザッカーバーグ・最高経営責任者(CEO)氏はかつて、情報を非公開にしておくことはもはや「社会規範」ではないという見解を述べた。その後、彼は明らかに意見を変えた、あるいは変えたふりをせざるをえなかった。それでもフェイスブックやその他のテクノロジー企業のビジネスモデルは、広告出稿企業と個人情報を共有するという点に依存し続けている。

独裁的な世界が広がり、抑圧を強めるのと時を同じくして、こうした展開の重要性や範囲が大きくなっている。

研究者のヤシャ・モンク氏とロベルト・ステファン・フォア氏は、昨年発表されて波紋を呼んだ論文において、「四半世紀というスパンのなかで、リベラル民主主義は、前例のないほど強い経済という立場から、前例のないほど弱い経済という立場へと移行していった」と指摘した。両氏は、20世紀を通じてリベラル民主主義が世界で優位に立っていた理由は、リベラリズムの魅力でも民主主義の魅力でもなく、富の創出という模範を示したことにあると考えている。

紛れもない独裁体制のほかにも、米国やイタリア、ポーランド、ハンガリーなどでは、民主的な選挙を経てポピュリスト政権が成立している。

こうした政権は、移民や性的マイノリティ、民族的マイノリティや非政府組織(NGO)といったテーマに関しては、部分的に独裁主義的なやり方を採用するのが普通である。最も新しくこの顔ぶれに加わったブラジルのボルソナロ大統領は、先住民に与えられた土地を脅かし、性的少数者(LGBT)を人権保全省による保護対象から外すといった動きを見せている。

独裁的指導者や国家主義的なポピュリスト政治家が、新たな監視能力とその国民統制能力を、人権に深く配慮しながら活用するとは考えにくい。少なくとも、彼らが冷遇したいと考えている人々の人権は顧みないだろう。特に中国のシステムの場合は顕著だが、こうした監視能力は、過去から引き継いだリベラルな政策や慣習を根本的に変えてしまいたいと考える指導者によって利用される可能性が高い。

危険なのはテクノロジーではない。

一般市民や裁判所、報道機関、市民社会の仕組みが自由と活気を保っているような成熟した民主主義社会であれば、たまの例外や事故はあっても、脅威への対抗や公的領域の効率化といったニーズに沿った形でテクノロジーを利用することができるだろう。また、テクノロジーの利用についてしっかりとした議論を行い、世論の重みを感じさせ、政策を変更していくことができる。

民主主義が独裁的な権力の前に崩壊するという予測が実現するのは、一般市民がそれを許してしまう場合に限られる。2019年は、統制がさらに強まる年であってはならない。リベラルな精神が復活する年にしなければならないのだ。

*筆者はロイターのコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。(翻訳:エァクレーレン)

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