November 3, 2018 / 10:55 PM / 11 days ago

コラム:巨額マネー動かす資産運用者、意外な「最初の仕事」

[ニューヨーク 31日 ロイター] - 人は誰しもお金を管理している。たとえそれが、ほんのわずかな額であったとしても。中には、仕事で驚くほど巨額の資金を動かしている人も少数ながらいる。

 10月31日、驚くほど巨額の資金を動かす資産運用者は、どのようにキャリアをスタートしたのだろうか。業界で名をはせる数人に話を聞いたが、それはウォール街の重役室からははるか遠い場所で始まっていた。写真は米国旗と米ドル紙幣。シンガポールで昨年6月撮影(2018年 ロイター/Thomas White/Illustration)

例えば、米資産運用大手バンガード・グループのロドニー・コメジス氏は3.1兆ドル(約349兆円)を管理している。それを上回る規模の国内総生産(GDP)を有する国は世界にわずか4カ国しかない。

だが、そもそもどのようにキャリアをスタートしてそのような巨額の富を管理する道に足を踏み入れたのだろうか。業界で名をはせる投資管理者数人に、キャリアの始まりについて話を聞いた。それは、ウォール街の重役室からははるか遠い場所で始まっていた。

●ロドニー・コメジス氏 

バンガード株式インデックス運用グループのグローバルヘッド

最初の仕事:原子力潜水艦の下級士官

相当な量の訓練を積んだ。最初の1年半は、学校で原子核理論を学び、それから陸上にある基地で原子炉を稼動させる訓練を行った。その後、潜水艦の学校で潜水艦の操縦方法を学んだ。

そしてようやく私は米海軍の潜水艦「アーチャーフィッシュ」に配属された。いったん搭乗すれば、何カ月も海の中だ。その間、世界から遮断される。

キャリアの面では、2つのことが求められていた。1つは、他の人たちを率いること。もう1つは任務をこなすことだ。私は原子炉化学を管理する7人から成るチームを率いるのを手助けすると同時に、航行中に原子炉に異常がないか監視する任務を負っていた。

皆が考えているよりも潜水艦は大きいため、閉所恐怖症にはならなかった。3階建てで、工場で働いているような感じだった。通信手段は限られており、家族からのメッセージを50字以内で受け取ることしか許されなかった。幸いなことに、映画「レッド・オクトーバーを追え!」や「クリムゾン・タイド」のような危機に遭遇することはなかった。

潜水艦に乗っていた当時に学んだことが3つある。

1つ目は、素晴らしいリーダーシップだ。2つ目は人間関係。潜水艦では皆とうまくやっていかなければならない。そして3つ目に、潜水艦を動かす上で、問題を整理し解決するという技術的な側面を学んだ。要するに、魚雷を搭載した10億ドルの潜水艦の中枢を任されているわけだ。これは、22歳の若者にとっては大きな責任だ。

●オマル・アギラール氏

チャールズ・シュワブ・インベストメント・マネジメントの株式最高投資責任者(CIO)

最初の仕事:フォルクスワーゲン「ビートル」の修理

私はメキシコ市で育った。高校生のころ、カネのなかった私はどうにかして自分の車が欲しかった。友人たちは皆、車をもつようになっていて、彼らのことがうらやましかった。自分もクールな人間になりたかった。

メキシコ市は当時、独自動車大手フォルクスワーゲンのコンパクトカー「ビートル」の大きな拠点となっていた。メキシコはビートル世界生産のかなりの割合を占め、それは国内市場向けだった。ビートルはどこにでもあった。

ある人が私に、何台かの古いビートルの修理を手伝ってくれたら、1台くれると言ってきた。それでやる気になって、私は約1年間、修理工として働き、ルーフから水漏れがする20年もののビートルを手に入れた。

当時はユーチューブでやり方を習うわけにもいかず、すべては先輩の修理工から学ばなくてはならなかった。とても数学的で、異なったあらゆるエンジン部品を理解し、それらが全体としてどう機能するかを学ぶことができた。

私が得た最大の収穫は「トライアル・アンド・エラー(試行錯誤)」だろう。何かにトライしたとき、それはうまくいくかもしれないし、失敗するかもしれない。だがどちらにせよ、学ぶことがある。そして、次のチャレンジへと進むことができる。

私はかなり優れた直感力を養うことができた。もし今、1968年製のビートルをくれたなら、私は多分修理できるだろう。だが、テスラのようにすべてが電子化されている場合は、どこから手をつけたらいいのかすら分からないだろう。まったく見当がつかない。

●ラモナ・ペルサウド氏

フィデリティ・インベストメンツのポートフォリオマネジャー

最初の仕事:電話係

私は初め、住んでいた(ニューヨーク市)クイーンズ地区の近所にあるドライクリーニング店で働きたいと思っていた。14歳になったばかりで、自分でお金を稼ぎたかった。だが私の両親は、学校がすべてと考える典型的な移民の親だった。だから、その願いはかなわなかった。

モルガン・スタンレーで職を得たのは、私が大学3年生のときだった。電話係を必要としていて、時給は10ドルだった。1996年当時、それはかなり良い時給に思えた。仕事中に勉強しながら、教科書代も稼げて、私はこの仕事を気に入っていた。

働くうちに、社員が取引の決済をすべて書面で行っていることに気づいた。エンジニアリング専攻の学生として、私は、利用しやすくミスも減らせる応用ソフトウエアを使った書類のデジタル化を提案した。コード化できると思ったのだ。上司はやってみろと言い、それが私にとって金融サービスの世界に入るきっかけとなった。

移民の親は、子どもの仕事に口を出すことで知られる。私の父親は、私がエンジニアになることを切に望んでいた。だが予期せぬ展開こそが人生を面白くさせるものだ。投資は私の脳を喜ばせている。何年も父親を説得しようと試みたが、亡くなる直前でも、私をいぶかしむように見ていた。

*筆者はロイターのコントリビューターで、個人的見解に基づいて書かれています。

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