2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センター(WTC)にいた私は炎に包まれ、焼け付くような痛みに耐えながら、自分の身に起きていることが現実ではないことを願っていた。
頭から爪の先まで全身を炎に焼かれ、苦痛の中にいた。顔は覆い隠していたが、力ない声しか出せず、助けを呼ぶこともできなかった。酸素が薄くなっていくのを感じた。まるで防音室にいるかのように、叫び声も、炎のとどろきも、ガラスが割れる音もとても遠くに聞こえた。空間に取り残されたような気がした。
それから、私はどうにか逃げようとしてドアの方へと向かったが、頭のうしろに何かがぶつかった。一瞬、ガラスに押し付けられ、炎の渦の中へと後ろ向きに引き戻された。全身を炎に包まれる中、外へと続くドアまでたどり着こうと必死に前に進んだ。すると突然、歩道に出ることができた。
火だるまになった私は、煙のせいで息をするのもままならなかった。コンクリートと舗道しか目に入らなかったが、ワールド・フィナンシャル・センター前のウエストストリートの反対側には細い芝生のスペースがあることを知っていた。体の火を消すにはそこに行くしかなく、鉄の意志をもってそれを実行しなければ、私はもう終わりだと確信した。芝生に到達することに、持てる力をすべて集中させた。
芝生に到達すると、私は倒れ込んだ。ある男性が私に向かって走ってくるのが分かった。彼は自分のジャケットで、私の体の火を消そうとしてくれた。
少なくともほかに3―4人が芝生に逃げてきた。最初は皆、叫んでいたが、そのうち静かになり、動かなくなった。タワーからさらに人が逃げ出てくるのが見えたが、皆ショックのあまりぼう然としたり、恐怖で叫んだりしていた。
周囲は物が落下する音、消防車や救急車のサイレンの音、ガラスが割れる音などさまざまな音にあふれていたが、私は痛みのせいか、すべてが遠く、はっきりとは聞こえなかった。激突されたWTCのタワーワンからは黒煙がたなびいて青空に線を引き、それはまるで深くて長い傷痕のようだった。空高く刻まれたその傷痕を作った力が、地上のロビーで私を飲み込んだ炎をも作ったということが、私にはとても不思議に思えた。
私は痛みから解放されたい一心で、死にたいという衝動が大きくなるばかりだった。しかし、死の淵へと私をいざなうその誘惑を断ち切らなければいけないことは分かっていた。目を閉じると、息子の顔が浮かんだ。息子のもとへ戻るためには何でもしなくてはと思った。それが、最後の力を振り絞って生きるために戦おうと思った瞬間だった。
(8日 ロイター)
*このコラムは、2001年9月11日にニューヨーク市の世界貿易センター(WTC)ビルで米同時多発攻撃に遭い、生還したローレン・マニング氏の著作「Unmeasured Strength(原題)」からの抜粋・抄訳です。
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