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アングル:追い詰められた野心の軍人、全権握ったミャンマー司令官

[1日 ロイター] - 昨年11月の総選挙後、ミャンマー国軍トップは近日中の引退を迫られていた。国軍が支持する政党は劣勢に追い込まれ、国際社会からは、ムスリム系ロヒンギャに対する戦争犯罪の責任を問う声が高まっていた。

 昨年11月の総選挙後、ミャンマー国軍トップは近日中の引退を迫られていた。国軍が支持する政党は劣勢に追い込まれ、国際社会からは、ムスリム系ロヒンギャに対する戦争犯罪の責任を問う声が高まっていた。ミャンマー・エーヤワディで2018年2月、代表撮影(2021年 ロイター)

今月1日、ミン・アウン・フライン総司令官は、クーデターにより民主的選挙を経た指導者アウン・サン・スー・チー氏を拘束し、全権を握った。アウン・サン・スー・チー氏は、数十年続いた軍政への抵抗に対する評価に支えられ、再び選挙で地滑り的大勝を収めていた。

国軍によるクーデターは総選挙に不正があったことを理由にしているが、選挙管理委員会は否定的だ。国軍は、状況が是正されれば公正な選挙を行い、勝者に権限を委譲すると述べている。

ヤンゴンで活動する外交官は、ミン・アウン・フライン氏の動機は個人的な利害だと指摘する。

匿名を条件に取材に応じたこの外交官は、「憲法に定める方法では、彼がこの政権で主導権を握る道は存在しなかった」と語る。

ミン・アウン・フライン氏も国軍も、クーデターに個人的な野心が影響した点については何もコメントしていない。ミャンマーはロヒンギャをめぐる戦争犯罪の告発を否認しており、国軍の行動はテロとの戦いの一環だったと述べている。

小柄な体格のミン・アウン・フライン氏は、丸い縁なしメガネを掛けていることが多く、東南アジア有数の常備軍の司令官というよりは事務員を思わせる風貌である。

軍人よりも政治家と見られることを望んでいた兆候なのか、彼はフェイスブックを愛用しており、選挙運動に励む政治家のように仏教寺院への寄付も重ねていた。

一部の評論家のあいだでは、これまでスー・チー氏率いる与党・国民民主同盟(NLD)が握っていた大統領のポストを同氏が狙うのではないかという観測もあった。

だが、国軍寄りの政党は11月の総選挙でNLDに大敗を喫し、ミン・アウン・フライン氏自身も、2016年に5年間延長された総司令官の任期切れが迫り、引退が目前となっていた。

バンコクで活動するヒューマン・ライツ・ウォッチのフィル・ロバートソン氏は今回のクーデターについて、総選挙で「これほど分かりやすい敗北を喫した」ことに対する国軍の焦りがきっかけになっている、と指摘する。

「蚊を殺すのにハンマーを取り出すようなものだ。自分たちに都合良く動かないのであれば民主主義の実験に乗る気などない、ということを国軍はこの上なく極端な形で示してしまった」とロバートソン氏は言う。

<ゆっくりと着実な昇進>

ミン・アウン・フライン氏は1956年にミャンマー南部で生まれた。1970年代にヤンゴン大学で法律を学んだが、当時広がっていた政治運動には近づかなかった。

2016年にロイターの取材に応じた当時のクラスメートは、「口数が少なく、ふだんは目立たない男だった」と評する。

周囲の学生たちはデモに参加している頃、ミン・アウン・フライン氏は毎年、国軍系大学トップである国軍士官学校(DSA)に志願し、3回めとなる1974年に入学を許可された。

DSAのクラスメートによれば、彼は士官候補生としては平凡で、「ゆっくりとだが定期的に昇進していった」という。

ミン・アウン・フライン氏の軍歴が花開くのは、ミャンマー東部国境での作戦を担当した後である。ここで同氏は2007年、燃料価格の高騰に反発する僧侶主導の抗議行動「サフラン革命」に対する流血の鎮圧を支援した。

同氏は1年後、20年にわたる休戦状態を破棄してミャンマー東部の飛び地から武装反体制勢力を排除する作戦を指揮し、約3万7000人を中国領内に追いやった。

国軍に詳しい識者によれば、同氏が2011年に軍司令官に昇進した背景には、この作戦の成功があったという。この年、ミャンマーは民政移行を開始し、2015年のスー・チー氏の勝利をもたらした自由で公正な選挙へと至る道が開けた。

<政界への大きな影響力>

だが、ミン・アウン・フライン氏は政治においても有力者であり続けた。

同氏は2016年、次のように述べている。「タトマダウ(軍を表わすミャンマー語)は、国内政治における主役として存在しなければならない」

国会の議席の4分の1は選挙の洗礼を受けない軍将校に割り当てられており、ミン・アウン・フライン氏は、国軍に強い政治権限を与える憲法の改正を阻止できる立場にある。

国軍が3つの有力省庁を統括していることから、同氏はミャンマーの官僚機構にもしっかりした足場を持っている。また彼は国軍総司令官として、緊急事態においては「国家主権を掌握し行使する」権利を留保している。

2017年に国軍が開始した弾圧により、73万人以上のロヒンギャがバングラデシュに逃れ、人道的危機が発生し、世界最大の難民キャンプが生まれた。ミン・アウン・フライン氏は、この攻撃を象徴する人物となった。

同氏はロヒンギャを指す蔑称を使いつつ、「ベンガル人問題は、未解決のままとなっていた長年の課題だ」と述べている。

国連の調査団は、この攻撃は大量虐殺や集団レイプ、広範囲での放火を伴うもので、「ジェノサイドの意図」で行われたと述べており、国軍の関与を告発しているが、国軍はこれを否定している。

この調査を受けて、国連は2019年、ミン・アウン・フライン氏他3人の国軍指導者を制裁対象とした。国際司法裁判所を含め、さまざまな国際法廷において複数の裁判が進行している。

(翻訳:エァクレーレン)

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