April 2, 2018 / 7:26 AM / 7 months ago

インタビュー:「最高に嬉しい」、銃撃後初帰国のマララさん

[イスラマバード 30日 ロイター] - ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんは、武装勢力タリバンによる厳格なイスラム法解釈の恐怖の下で2年間暮らした記憶にもかかわらず、パキスタン北西部の風光明媚な故郷スワト渓谷を思い焦がれていたと語る。

女子教育の重要性を自身のブログで訴えたことで、2012年にタリバンに頭部を撃たれ重傷を負ったマララさんは、銃撃後初となる母国への帰郷を果たした。

20歳のマララさんは、パキスタンのイスラム的価値に反する考えを広めているとする国内の批判に反論する。「私は自分の宗教を誇りに思い、国を誇りに思っている」と、マララさんは30日、滞在先のイスラマバードのホテルでロイターに語った。

バラ模様のスカーフにゆったりしたチュニックとパンツ姿のマララさんは、母国に戻って非常に喜んでいると話した。身に着けた服は、英オックスフォード大で学ぶマララさんに、パキスタンの家族や友人が送り届けてくれたものの1つだという。

マララさんは翌31日、厳重な警備に守られながら、ヘリコプターでスワト渓谷にある子供時代の家を訪問した。

「パキスタンの全てが懐かしい。川や山はもちろん、自宅の周りの汚い通りやゴミ、友達や、学校生活について友達とおしゃべりしたこと、近所の人とけんかしとまでが懐かしい」

マララさんはこれまでにも帰国を望んでいたが、安全上の懸念に加え、学業やオックスフォード大の入学試験で手一杯だったという。マララさんは昨年同大に入学し、政治、哲学と経済を学んでいる。

<ノーベル賞>

マララさんが2014年、史上最年少の17歳でノーベル平和賞を受賞するに至るまでの道のりは、彼女が9歳だった2007年に、タリバンの地方部隊が、イスラマバードから約250キロ離れたスワト渓谷にあるマララさんの街の支配権を握ったことから始まった。

イスラム武装勢力「パキスタンのタリバン(TTP)」は、テレビや音楽、女子教育を禁止し、200あまりの学校を燃やした。1990年代にタリバンが隣国アフガニスタンの政権を担った際、ほぼ全ての公共の場から女性を締め出した例にならったものだった。

「私はいまも、全ての出来事を覚えている。夜寝るとき、次の日は生きていないのではないかと恐れたことから、もし学校に行けば、途中の道で誰かが酸攻撃を仕掛けてくるのではないかという恐怖まで」と、マララさんは話した。

マララさんの父親は、女子教育を行っていた学校の教師で、同校は2009年まで運営を続けた。

パキスタン政府がタリバンを掃討した2009年半ば以降、マララさんは、タリバン支配時代に英国放送協会(BBC)のウルドゥー語サービス向けに書き始めたブログや、彼女を写したドキュメンタリー「Class Dismissed (クラス解散)」を通じて、女子教育のシンボルとなった。

3月30日、ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんは、武装勢力タリバンによる厳格なイスラム法解釈の恐怖の下で2年間暮らした記憶にもかかわらず、パキスタン北西部の風光明媚な故郷スワト渓谷を思い焦がれていたと語る。イスラマバードでインタビューに応じるマララさん(2018年 ロイター/Saiyna Bashir)

だがそれにより、マララさんは標的になった。

2012年10月、覆面の男がマララさんの通学バスに乗り込み、彼女を特定すると、銃で撃った。タリバンは後に、リベラル主義を広めようとしたため襲撃したとの声明を出した。

治療のため英国に移されたマララさんは、それ以後国外に留まり、ベストセラーになった共著「わたしはマララ」を執筆したり、世界で女子教育の推進活動を支援する基金を立ち上げたりしている。

2014年、インドの活動家とともに、マララさんはノーベル平和賞を受賞した。

<パキスタンでは称賛と批判>

マララさんは、世界で最も名前の知られたパキスタン人かもしれないが、祖国では多くの人に愛される一方で、批判も浴びるなど、評価が分かれている。

パキスタンの一部の私立学校グループは、30日を「わたしはマララではない」の日にすると宣言。広報担当者は、マララさんが抱く「反イスラム、反パキスタンの考え方」に対するものだと説明した。

こうした反応に、マララさんは困惑の様子だ。

「私の発言のどの辺が、反パキスタンや反イスラムになるのか、分からない。イスラム教は私に、平和の大切さを教えてくれた。教育の大切さを教えてくれた。イスラム教の聖典コーランの最初の言葉は、イクラという言葉で、読みなさい、という意味だ」

29日に行われたアバシ首相との会談の議題は、政府が公約に掲げる教育だった。パキスタン政府と軍は、今回のマララさんの一時帰国の計画を支援し、警備を提供した。

「われわれは教育について話した。アバシ首相のこれまでの取り組みに感謝しているが、まだやらなければいけないことが沢山ある。政府は国内総生産(GDP)の4%を教育に充てるとしているが、まだ2.7%までしか増えていない」と、マララさんは話した。

パキスタン首相や、各国指導者との面会は、スワト渓谷の女子学生から見れば遠く離れた世界の出来事かもしれない。だがマララさんは、オックスフォード大で学ぶことなどは、長年の夢だったと言う。

「私が最初考えていたのは、勉強を続け、学校に行けない女の子たちのために声を上げ続け、高校を卒業したらいつかオックスフォードに出願しようと思っていた」と、彼女は振り返った。

「だから、最初から考えていたことだ。ただ、あの襲撃が起きて英国に移ることになるとは分からなかった。それでも私はパキスタンを見続け、女子教育のためにできるこをすべて続けていきたいと思う」

 3月31日、パキスタン北西部スワト渓谷にある故郷の町を訪れたマララさん(右)と家族ら(2018年 ロイター)

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