[19日 ロイター] - ミャンマー北西部ラカイン州からイスラム系少数民族ロヒンギャの人々が大挙して隣国のバングラデシュへ逃れている問題は、「壊滅的な人道危機」をもたらしかねないと危惧されている。
先月25日、ロヒンギャ族の武装組織がラカイン州で警察署や軍の拠点を襲撃した。これを受けてミャンマー軍はロヒンギャの村々で掃討作戦を開始。暴力を逃れ、これまでに41万人を超えるロヒンギャ難民が国境を越えてバングラデシュへと避難する事態となった。
ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問は19日、国民向けに演説し、ラカイン州での人権侵害に関わった人間は法の裁きを受けることになると語った。この問題を巡り、スー・チー氏が国民向けに演説するのはこれが初めて。
<国を持たない民族>
ミャンマー(旧ビルマ)で暮らすロヒンギャ族は、同国市民として認められていない。まるでかつてのアパルトヘイト(人種隔離政策)政策のように、医療機関の受診や教育、移動の自由といった面で厳しい制限が課されている。
ミャンマーにおいて、ロヒンギャ族はしばしば「ベンガル人」と呼ばれる。これは彼らがバングラデシュからの不法移民であることを示唆する侮蔑的な言葉だ。だがロヒンギャ族は何世代にもわたり、この地で暮らしてきた。
ロヒンギャ族はラカイン州のマウンドー地区で多数派を占めており、多くの難民はここから避難している。
<暴力の発生>
ロヒンギャ族の反体制武装組織「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」による今回の襲撃は過去最大のものであった。アタ・ウラー氏率いるこの組織は昨年10月、約400人の戦闘員を動員して警察の国境検問所3カ所を襲撃し、その存在が知られることとなった。
この事件を受けてミャンマー軍は10月、組織に対する掃討作戦を行った。当局は否定しているが、この作戦下で軍が村々を焼き払い、民間人を次々とレイプした疑いがもたれている。
その結果、ロヒンギャの若い男性たちが、この結成間もない武装組織に続々と加わった。8月25日に発生した一連の攻撃では、大6500人が攻撃に関与したとミャンマー軍は推計している。
昨年10月に行われた最初の掃討作戦と、最近の軍とロヒンギャの衝突を以下の地図にまとめた。
●昨年の襲撃事件
集まった戦闘員に対し付近のジャングルで数カ月にわたる訓練を行ったロヒンギャ武装組織は、昨年10月9日、複数の国境検問所に対する初の襲撃事件を起こした。
●軍の報復
これに対する報復として、ミャンマー軍は大規模な掃討作戦を決行。数週間にわたり兵士は戦火を逃れようとする村人を追跡し、多数の身柄を拘束したほか、人口が密集するおよそ10の集落で、1500軒以上の建物を燃やした。
この掃討作戦では、軍が大量虐殺や集団レイプを行ったとの疑いも持たれており、国連は人道に対する犯罪や民族浄化が行われたのではないかと指摘している。
●難民の発生
およそ8万7000人のロヒンギャたちがナフ川を渡ってバングラデシュへ逃れた。難民らは沿岸のコミュニティーに身を寄せたり、新たなコミュニティーを形成していった。
●8月25日に発生した一連の攻撃
午前0時過ぎ、ARSAが警察の検問所30カ所と軍の基地を襲撃した。軍や政府によると、この攻撃で戦闘員およそ400人と、治安部隊の隊員13人が死亡した。
襲撃はおおむね、昨年10月の時と同様にマウンドー地区内で発生した。だが今回は隣接するブティダウンやラテダウンでも襲撃が発生した。
●軍の反撃
一連の襲撃を受けた軍は反撃を行い、少なくとも400人を殺害。多数の村々が攻撃されたり、放火されたと伝えられている。
●バングラデシュへ大量の難民が避難
周辺のロヒンギャの村々から、再び難民たちがナフ川の国境線に押し寄せた。既存の難民キャンプは収容能力の限界に近付いている一方で、難民の数は増え続けていた。そこで新たな難民のコミュニティーが自然発生的に形成されていった。
●さらに増える難民
マユ山脈の北にあるブティダウンからも大勢の村人が、深い茂みや山岳地帯を何日もかけて歩き、逃げ出した。ナフ川流域のはるか北でも越境が行われた。
<船を待つ長い行列>
バングラデシュとの国境を流れるナフ川に着く前に、小さな支流を越えなければならない場合もある。ロヒンギャ族の支援をしている人物が飛行機の中でロイターの取材に応じ、Laung Donの村で撮影したという映像を見せてくれた。そこには川を渡るために長い行列を作る人々の様子が収められていた。持ち出せる身の回り品すべてと子供たちを連れた家族が、2隻の小さな渡し船を待っているのだ。そして待ちきれず泳ぐ者もいた。
この映像の中で、撮影している人物が2人の少女にベンガル語で「何があったのか」と問いかけている。すると少女たちの背後にいた男性が「この子たちの母親が死んだのだ」と答えた。
<国境を越えて>
密航業者に金を支払う余裕があるものは、船で川を渡りバングラデシュへたどり着くことができる。だがその金がないものはプラスチック製の容器や樽などにしがみついてナフ川を渡ろうとする。
バングラデシュの国境警備隊がしばしば川の対岸に立ち、不法入国を阻止しようとしているが、ロヒンギャの多くは通過してしまう。
バングラデシュに押し寄せた大量の難民は病気やけがを抱えており、その数は、過去の弾圧ですでに40万人を超えるロヒンギャたちを援助している支援機関や地元の受け入れ能力を大幅に上回った。そのため多くの人々は保護施設にも入れず、支援機関は水や衛生用品、食糧の提供に奔走している。
<無人島計画>
急増するロヒンギャ難民に、バングラデシュ政府はかつて批判を浴びて頓挫したある計画を再考せざる得なくなっている。それはテンガルチャール島と呼ばれる、環境的に不安定で人の住まない低地の三角州に難民らを移住させるというものだ。
この一帯はサイクロンの影響を受けやすく、沿岸地域や島しょ部は極めて危険が高い。付近の島は高波が6メートルにも及ぶことがあり、満潮時に強いサイクロンが重なれば、島ごと沈んでしまう可能性があるとバングラデシュ国土省のGolam Mahabub Sarwar氏は語った。
●厳しい気候
たとえサイクロンの影響を受けなかったとしても、モンスーンの季節には大雨で沿岸一帯はしばしば浸水する。モンスーンは通常6月から10月頃まで続き、季節風が湿った空気を陸地にもたらす。
以下の地図は2015年のモンスーンの積算降水量を示したもの。テンガルチャール付近の降水量が極めて多いことがわかる。
モンスーンの季節は海面上昇に伴う高潮により、沿岸地域で浸水が発生しやすい。また流れ出る水のため河口付近でも水かさが増しやすい。前出のSarwar氏によると、乾季でも高潮の際はほとんどの場所が湿地と化すテンガルチャールは、モンスーンの季節には完全に浸水してしまう可能性があると指摘する。
<ようこそテンガルチャールへ>
最も近い難民キャンプから、この無人島まで船で2時間かかる。建物もなく携帯の電波は届かず、その他のインフラも一切ない。海が穏やかな時は漁師をさらって身代金を稼ごうとする海賊たちが、近海をうろついている。
また衛星写真から、この島がしばしば完全に水没することが明らかとなっている。潮路が島を縦断するように走っており、米地質調査所(USGS)イノベーションセンターのジョナサン・ストック氏によると、これは島が完全に水没することにより発生する潮路だと指摘した。
平らで特徴のない島はおよそ11年前に海中から出現した。メグナ川の河口に溜まった堆積物でできた島で、数えきれないほどの変形を繰り返している。
島の海岸線は急速に変わる。このことが、この島に移住する上でさらなるリスクとなっている。下図に示した通り、西の海岸線で後退が顕著な一方、南側では拡大が続いている。
ロヒンギャ難民の移住計画が実行に移されるかどうかは、まだ分からない。バングラデシュの閣僚は今年2月、同政府が計画実施を決定し、当局が島で暮らすロヒンギャのために住居や食糧などを提供するとロイターに語った。だがロイターが島を今年2月に訪れた際、数頭の水牛が草を食んでいる以外は特段の変化はみられなかった。
ロヒンギャの難民にロイターが話を聞いたところ、現在滞在している国境の難民キャンプにはとどまりたくないと話していた。だがテンガルチャールへ移住することも望まないと語った。
「私たちはすべてをミャンマーにおいてきた」と軍の掃討作戦が行われた北部の村から逃れてきたアブ・サラムさん(48)は語った。サラムさんは昨年12月に国境を渡ってきた。「そこが私たち家がある場所だ。(ミャンマーの)市民権を認められれば、帰還することができる」とサラムさんは訴えた。
出典:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連人道問題調整事務所(OCHA)、ヒューマンライツウォッチ、Center for Diversity and National Harmony (CDNH)、Planet Labs、米航空宇宙局(NASA)降水観測ミッション処理システム、バングラデシュ農業調査評議会、Golam Mahabub Sarwar、バングラデシュ国土省、ミャンマー労働・移民・人口省、ロイター
( Simon Scarr、Weiyi Cai、Jin Wu 翻訳:新倉由久 編集:下郡美紀 グラフィックス作成:照井裕子)
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