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外国人労働者の流入で変貌する太田市、移民と地元住民の交流みえず

[群馬県太田市 28日 ロイター] - マドラサ(イスラム教の高等教育施設)で学ぶアフガニスタンの子供たち、5カ国語で行われるカトリック教のミサ、60カ国以上から集まってきた労働者たち─。

7月28日、富士重工業「スバル」快走の陰で外国人労働者が軽視されていることがわかった。写真は4月5日、群馬県太田市で撮影(2015年 ロイター/Yuya Shino)

ここはニューヨークではない。群馬県太田市だ。「スバル」で知られる富士重工業7270.Tがエンジン製造で操業を始め、1940年代には戦闘機「疾風(ハヤテ)」の製造を開始した場所だ。近年の外国人の流入はこの町を変容させた。外国人移民への抵抗感がなお強い日本にあって、希少な多文化を誇る町になった。

輸出が好調なスバル車向け部品工場に職を求め、太田市に集まってくる外国人の多くは、難民申請者や借金を抱えた技能実習生たちだ。モスク(イスラム教礼拝堂)や教会の周りに自分たちのコミュニティを作っている外国人もいるが、ロイターのインタビューに応じた人々からは、厳しい仕事や不十分な市当局の手助けに疎外感を感じているとの声も聞かれた。

2012年以来、太田市と隣接する伊勢崎市の外国人人口の合計は1万8000人超にまで増えた。その外国人比率は、全国平均のほぼ3倍だ。同市のデータによれば、人口22万2000人の太田市が擁する外国人の国籍は63カ国にのぼる。同市の中心部にあるスバル工場の南側にはコンクリートの廃墟があり、送金手続きを受け付ける商店がアフリカや中東各国、東南アジア諸国への電信送金を活発に行っている。

いくつかの通りを挟むと、1キロにわたり歓楽街がある。同市の外国人の10%以上はフィリピン人女性で、その多くが「到着ほやほや」の女性をウリにするクラブやバーで働いている。

太田市の外国人たちと日本人住民との間にはほとんど交流がない。同市の清水聖義市長はロイターに対し「外国人労働者がやることといえば、寮と工場の行き来だけだ」と話す。

太田市の中心街は、1週間のうち6日間は静かだ。多くの労働者にとって唯一の休日である日曜日だけは、電車の駅の周りをうろうろしたり、教会やモスクに集まる外国人労働者がみられる。同市のカトリック教会はタガログ語、スペイン語、ポルトガル語、日本語、韓国語の5カ国語でミサを行う。牧師のキム神父は韓国の出身だ。

スバルのサプライヤーで働くマネジャーや人材派遣業者によると、同市の自動車産業では、労働者の民族性が職場での序列に大きく影響する。日本人労働者が階層の一番上に位置し、日系ブラジル人がそれに続くという。彼らは特別ビザの資格で他の外国人より日本に長く滞在し、日本語を話すからだ。

その下に位置するのが、難民ビザでの入国者が多い南アジア人。ピラミッド階層の最下部に位置するのがアフリカ人労働者だ。ある現地メーカー幹部は、ネパール、スリランカ、インド、バングラデシュからの難民を特に好んで使う。安い給料で困難な仕事も進んで引き受けようとするからだという。

これについて、富士重工はロイターに対し「慎重に確認したが、そういった事実はなかった」としている。

太田市の郊外では、伝統的なイスラム教の服に身を包んだ男性たちが、礼拝を終えてダルサラーム・モスクからあふれてくる。サフランライスと鶏肉の食事をとりにハラールカフェ(イスラム教の教えに則って調理したものだけを出すレストラン)に向かう。ブルカ(伝統的なイスラム教信者の女性が被るベール)を被ったアフガニスタン人女性は子供たちを教会の隣のマドラサへ連れて行く。

マリやイエメン、アフガニスタンなどの国々から来たイスラム教徒がつくるコミュニティはモスク周辺に根付くと、唯一日本人のイマーム(モスクの集団礼拝の指導者)のアブドラ―氏は言う。

同氏は「ここに来る人々の多くは、日本語や相手の言語を話すことはできないが、共に祈り、寝食を共にしている」と語った。

*この記事は、特別リポート:「スバル」快走の陰で軽視される外国人労働者の関連記事です。

Thomas Wilson, Mari Saito and Antoni Slodkowski 翻訳編集:加藤京子、北松克朗

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