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フォトログ:中台対立の最前線、住民の記憶に残る砲撃戦の跡

[金門島(台湾) 26日 ロイター] - 中国大陸の海岸から約3キロ、台湾が統治する金門島の岩山をチェン・インウェンさん(50)は大股で上っていく。そして、兵士だった頃、接近しすぎた中国漁船に向けて射撃していた様子を再現してくれた。

10月26日、中国大陸の海岸から約3キロ、台湾が統治する金門島の岩山をチェン・インウェンさん(50)は大股で上っていく。そして、兵士だった頃、接近しすぎた中国漁船に向けて射撃していた様子を再現してくれた。写真は金門島の塹壕から中国 に銃口を向ける兵士の人形。19日撮影(2021年 ロイター/Ann Wang

「ただの警告射撃だった。怖がってもくれなかったが」とチェンさんは言う。彼は1991年から93年にかけて金門島で軍務に就いていた。「殺意はなく、警告して追い払うためのものだった」

台湾と中国が向かい合う最前線に位置する金門島は、東西冷戦の真っただ中の1958年に、両者が最後に本格的な戦闘を行った場所だ。戦争の記憶は数十年後の今も人々の心に深く刻まれている。何カ所かの古い塹壕には、中国に銃口を向けた等身大の兵士の人形が置かれている。

岩山の上に立ち、兵士だった頃、接近しすぎた中国漁船を射撃していた様子を示すチェンさん (2021年 ロイター/Ann Wang)

中国は台湾を自国の領土の一部と見ており、武力行使により台湾を中国政府の支配下に入れる可能性を否定したことは一度もない。

このところ両者の緊張は高まっており、10月1日からの4日間は中国空軍機が多数台湾の防空識別圏内に侵入した。西側各国の政府と台湾政府は、中国政府がもっと思い切った動きを計画しているのではないかと警戒を強めている。

だが、台北から飛行機で1時間もかからない距離にあり、中国・厦門の高層ビル群を対岸に臨む金門島では、まったくパニックの様子は見られず、台湾からの訪問も制限されていない。金門島訪問は推奨されているのかという質問をしても驚かれるばかりだ。

かつての塹壕の上空を空港に向けて飛ぶ飛行機(2021年 ロイター/Ann Wang)

金門島の政府観光局を率いるティン・チェンカン氏は、「ここはとても安全だ。経済的にも人々の生活という面でも、海峡を挟む緊張の影響は感じていない」と語る。同氏がロイターの取材に応じたのは、不成功に終わった金門島侵攻作戦が行われた1949年12月、共産党側の部隊が短期間占拠していた廃屋の外だった。

1949年、国共内戦に敗れた中華民国軍が台湾に逃れて以来、金門島は、そこからさらに中国本土沿岸へと延びる馬祖列島とともに台湾政府の支配下にある。

「古寧頭戦役」の際に台湾への侵入を試みた共産政権兵士を捕虜にする台湾軍を描いた絵画 (2021年 ロイター/Ann Wang)

米国政府が公式に中華人民共和国を承認した1978年12月15日までは定期的な砲撃戦が続いた。といっても、その頃には宣伝用パンフレットを詰め込んだ砲弾が奇数日に発射され、落下してくるだけになっていた。

とはいえ、そうした砲弾でも実際に死者が出ることは多く、住民にとっては恐怖だった。今も年配の金門島住民を怯えさせる記憶だ。

1960年代に中国本土から撃ち込まれた古い砲弾を手にするウー・ジャシンさん(2021年 ロイター/Ann Wang)

喫茶店経営者のジェシカ・チェンさん(53)は、「あんなことが再び起きてほしくない」と当時の砲撃を回想する。「いま状況が緊迫していると思われているかもしれないが、私たちは慣れっこだ」

<よみがえる過去の記憶>

金門島本島で中国支配下の領域に最も近い馬山観測台は、干潮時には中国本土まで2キロも離れていない。元世界銀行チーフエコノミストのジャスティン・リン(林毅夫)氏は1979年、ここから泳いで中国本土に渡り亡命した。

大幅に規模は縮小されたものの、守備隊はまだ残っており、時折、戦車が轟音を立てて道路を走り、厚い岩盤を掘って作られた戦闘指揮所の遮蔽(しゃへい)された出入口には警備の兵士が立っている。戦闘が最も激しかったときには10万人規模の守備隊が置かれていた。

砂浜に埋まったまま放棄された戦車 (2021年 ロイター/Ann Wang)

精密誘導ミサイルなど新たな兵器が導入されていることを考えれば、今中国側から攻撃を仕掛ける場合は金門島を飛び越えて台湾本島の軍事目標を直接狙う可能性が高い。とはいえ、水の安定供給を中国側に依存している金門島は、容易に封鎖の対象になり得る。

金門島の当局は、この島を単なる戦史遺跡にとどまらない存在として熱心に売り込んでいる。カワウソの観察やバードウォッチング、流行最先端の新しくおしゃれなゲストハウスや地元産の牡蠣をアピールし、若い観光客を呼び込もうとしている。

果実を売る屋台の前をスクーターで通り過ぎる男性(2021年 ロイター/Ann Wang)

過去の記憶をよみがえらせる要素も金門島の各所に残っているが、その多くは観光客向けに意図的に保存されたものだ。

大切に保存されているプロパガンダ用看板には共産主義者を「共匪」と断じる古めかしい表現が並ぶ。かつての指導者、故・蒋介石氏は、今や多くの台湾人から横暴な独裁に走ることも多かったとして批判的に見られているが、その銅像には「人民の救済者」という称号が捧げられている。

元台湾総統・故蒋介石氏の壁画 (2021年 ロイター/Ann Wang)

かつての対立を商売に活かす人もいて、砲弾の外殻を素材にした包丁は金門島の名産品になっている。もっともそうした人々も、防空壕に避難して共産政権からの攻撃を逃れた日々に戻りたいとは思ってはいない。

1958年から1979年にかけて中国から発射された砲弾を材料に包丁を作る刃物職人 (2021年 ロイター/Ann Wang)

「戦争をせずに再統一するのが最善だ」と語るのは、包丁職人のリン・ユーシンさん(60)。「しかしそれよりも、平和的な共存がはるかに勝る」

(Ben Blanchard記者、Ann Wang記者、翻訳:エァクレーレン)

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