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コラム:アベノミクスに残る奇策は100兆円硬貨か=村田雅志氏
2013年1月17日 / 09:48 / 5年後

コラム:アベノミクスに残る奇策は100兆円硬貨か=村田雅志氏

米国では年明け早々、「1兆ドル硬貨」の発行が話題となった。連邦債務上限引き上げ問題をめぐる政府と議会の協議はこう着状態のまま。民間団体の超党派政策センターなどは、債務上限が引き上げられなければ2月半ばから3月初めの間に米政府がデフォルト(債務不履行)に陥るとの試算を発表している。

米国の記念硬貨に関する法律によると、政府は財務長官が適切と判断する量と種類のプラチナ硬貨を鋳造・発行できる。本法律をもとに米財務省が1兆ドル額面のプラチナ硬貨を鋳造・発行し、これを米連邦準備理事会(FRB)に持ち込み、財務省口座に入金すれば、米国債を発行せずに1兆ドルを調達することが可能となる。1兆ドルのプラチナ硬貨を鋳造する際に議会の承認は必要とされないので、債務上限引き上げ問題は一気に解決することになる。民主党のナドラー下院議員やノーベル経済学賞受賞者のクルーグマン教授が1兆ドル硬貨の発行に前向きな姿勢を示したことも、このアイディアが注目を集めるきっかけとなったようだ。

ただ、たとえ法律で認められているとはいえ、政府が議会の承認もなく1兆ドルもの硬貨を発行することは、インフレ懸念を強めるだけでなく、中央銀行(FRB)の独立性を無視することになる。現に米財務省は1月12日、連邦債務が法律上の上限に近づいている問題を回避するために1兆ドル相当のプラチナ硬貨を発行することは可能ではなく、すべきことではないとの認識を示した。

ご存知の方も多いと思うが、日本でも政府は中央銀行(日銀)とは別に貨幣を発行している。「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」(以下、通貨法)によると、日本の通貨は日銀券と政府貨幣の2種類で構成される。政府貨幣は日銀券の補助通貨であり、政府に製造及び発行権限がある。通常使用する政府貨幣は、通貨法で500円、100円、50円、10円、5円、1円の計6種類とされているが、1万円、5千円、千円の3種類の記念貨幣も立法措置を要さず、閣議決定で発行することが可能である。一般会計の決算書によると、政府貨幣は2011年度に1834億円が発行されている。

仮に安倍首相が国債残高の積み上がりを懸念し、財政拡張に二の足を踏んでいるのであれば、政府貨幣を大量に(たとえば100兆円ほど)発行することも選択肢として考えられる。政府貨幣は国債ではなく、あくまで通貨であるため、政府貨幣を大量に発行しても国債残高が増えることはない。また政府貨幣の発行においては、国債発行の場合と異なり、政府は償還や利払いの義務を負うことはなく、発行後の財政負担を回避するメリットもある。

500円硬貨を数千億枚(100兆円分であれば2千億枚)放出することで社会に混乱を引き起こすことが懸念されるのであれば、政府は大量発行した政府貨幣を日銀に直接預ければよい。数千億枚の500円硬貨は日銀の金庫に仕舞いこまれ、代わりに日銀券が市中に放出される。この図式は、政府が新規国債を発行し、日銀に直接引き受けさせることで日銀券を引き出す「日銀による国債の直接引き受け」と本質的には同じである。違いは、日銀が引き受ける対象が国債ではなく政府貨幣であるという点だけだ。

政府が政府貨幣を大量に発行すれば、米国で指摘されたように日本でもインフレ懸念が強まり、中央銀行の独立性が脅かされることになるだろう。しかし安倍首相はデフレ期待を変えることが重要と公言。また同首相は日銀の独立性について政策手段において担保されるものであり、中長期の物価上昇率目標を2%とすることは政府だけでなく日銀も共有すべきとの考えを示している。米国ではデメリットが多いとされる政府貨幣の大量発行は、安倍首相の考えを推進する上では、むしろ有益なツールと言えなくもない。

<前代未聞の政策なしで円安加速は期待薄>

政府貨幣の大量発行に伴い円債市場では2つの反応が予想される。

まず国債発行が抑制されるとの見方が強まれば、円債は上昇(利回りは低下)し、円売り圧力は強まるだろう。逆に日本のインフレ懸念が強まり、円債が売られる場合でも、ファンダメンタルズが悪化した新興国通貨と同じように円は信認低下を背景に下落することになる。どちらにせよ円安が進展するため、安倍首相が望んだ「行きすぎた円高の修正」も促されることになる。

政府貨幣の大量発行は先進各国で過去に実施されたことがなく、米国でも議論だけで実施が見送られた異例の政策だけに、安倍政権が実施に踏み切れば為替市場の円安期待が膨らみ、円安ペースが加速する展開も考えられる。

しかし最近では、政府・与党から円安のさらなる進展に対し慎重な姿勢が示されるようになってきた。甘利明経済再生担当相は1月15日の閣議後の記者会見で、政権交代前の円高は日本の国情を反映していなかったと指摘。これまで続いた円安は輸出にとっては追い風になるものの、過度な円安は輸入物価の上昇につながり国民生活にマイナスの影響が出るとの考えを示した。

また自民党の石破茂幹事長は翌16日、経団連の米倉弘昌会長や同幹部らとの会談で、昨年末に適度なドル円相場は85―90円くらいとの認識を示した主旨について説明。同幹事長は、輸出産業では100円がいいというところもある一方で、農業では燃料・肥料・餌代などが高騰するため産業によっては円安が好ましくないところもあると発言したと報じられた。甘利氏、石破氏の発言はともに、政府・与党が円安のさらなる進展を望んでいないとの見方を示したかのように思われる。

為替市場では両氏の発言を機に円安の動きが止まった。ドル円は甘利氏の発言が伝わった1月15日に89円台後半から88円台前半まで下落。ニューヨーク市場に入ると一時持ち直したが、翌16日にも円を買い戻す動きが続き、ドル円は一時88円を割り込む場面も見られた。菅義偉官房長官は16日午後の記者会見で、甘利氏や石破氏のさらなる円安を否定するかのような発言は意図的なものではなく、安倍政権の見解として現在の為替市場では過度な円高が是正されている段階にあるとの考えを示したが、翌17日の東京市場でもドル円は88円台後半で上値の重い動きとなっている。

たとえ両氏の発言が安倍政権全体の本意ではないとしても、政府・与党幹部から円安のさらなる進展に対し否定的な見方が示されたのは事実であり、市場が円売りの動きを弱めるのは自然の反応だろう。

一部では日銀次期総裁人事をめぐり、市場の金融緩和観測が強まり、円売りの動きが再び始まるとの見方もあるようだが、次期総裁候補として挙げられている方々の経歴や考えを見る限り、同人事をきっかけに市場の円売り期待が再び強まるような展開は考えにくい。むしろ市場は日銀による強力な金融緩和をほぼ織り込んだ可能性もあり、次期総裁人事が明らかになることで緩和期待が後退する可能性も考えられる。

甘利氏などの発言をきっかけに安倍政権による円安誘導期待が後退してしまった以上、これまでに打ち出された材料で再び円売り圧力が強まることは当面、難しいだろう。仮に市場の円安期待を強めたいのであれば、これまでにない(ある種、前代未聞とも言える)政府貨幣の大量発行といった劇的な動きを安倍政権が見せる必要がある。しかし、こうした動きが打ち出されることはおそらくないだろう。

このためドル円が上昇基調を続け90円台に突入するためには、日本側からの円売り材料ではなく、米国側からのドル買い材料を待つしかない。しかし、米国では連邦債務上限問題を背景に米債利回りは伸び悩んだまま。底堅く推移してきた米景気が給与税減税打ち切りや富裕層増税によって減速する恐れもあり、米債利回りが低下基調に変化する可能性も出てきた。日米金利差が拡大しないのであれば、ドル円がさらに上昇することは期待しにくい。日米双方の点からみてもドル円は当面、上値の重い動きが続くだろう。

*村田雅志氏は、ブラウン・ブラザーズ・ハリマンのシニア通貨ストラテジスト。三和総合研究所、GCIキャピタルを経て2010年より現職。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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