February 12, 2013 / 2:38 AM / 7 years ago

コラム:円安を容認する米国の地政学的事情=武者陵司氏

経済は一定の期間は、経済の論理で変動する。しかし、より長期の歴史を考えれば、経済の興隆と衰退を決定してきたのはひとえに政治であり、ことに安全保障を柱とする国家戦略であった。このことは、日本経済の今後の行方を占う上で非常に重要な視点だ。

筆者は、安倍晋三自民党政権のリフレ政策の背景に、米国の地政学的要請を感じ取っている。円は11月以降のわずか3カ月間でドルに対して約19%下落した。本来ならば、米ビッグスリーなどによる円安批判にホワイトハウスが同調し、圧力をかけてきてもおかしくない。日本の最大の輸出先は、OECD(経済協力開発機構)公表の「付加価値ベースの貿易統計」を見れば、中国ではなく依然として米国であり、ドル高・円安の急激な進行による通商上の影響は、米国において大きく発生するからだ。オバマ政権が本気で圧力をかけてきたら、アベノミクスはひとたまりもない。

ところが、現時点で、ワシントンから円安批判は全く聞こえてこない。それどころか、2月11日には、円安容認と市場に受け止められかねないアベノミクス支持の言葉が米財務次官の口から飛び出すなど、メルケル独首相を筆頭に、警戒感をあらわにしている欧州諸国や韓国、中国とは対照的なリアクションを見せている。誰の目から見ても、米国政府の意思がこうした言動に込められていると判断するのが妥当だろう。

その意思の中身は、たとえば、昨年8月に米シンクタンクのCSIS(戦略国際問題研究所)から発表された報告書、いわゆる「第3次アーミテージ・レポート」からも読み取ることができる。主な執筆者は、米国の歴代政権に大きな影響力を持つといわれるリチャード・アーミテージ元米国務副長官とジョセフ・ナイ元米国防次官補(現ハーバード大学教授)だ。

ここでは細かい内容には触れないが、重要なことは報告書の底流に通奏低音のように流れる日本弱体化への警戒感である。「米国は、日本が強力な米国を必要としているのと同等に、強力な日本を必要としている」との一文を読むだけで、ワシントンの空気が読み取れる。

折しも、米国では中国異質論が勢いを増している。現在、中国の経済規模は米国のほぼ半分だが、名目成長率を米国5%、中国15%で、仮に人民元が2割切り上げられるとすれば、ほぼ5年あまりで名目国内総生産(GDP)は米国に肉薄する。中国のプレゼンス拡大は、市場主義、民主主義、法治主義、財産権、知的所有権などで同国が問題を抱える現状を考えると、世界最大のかく乱要因になりかねず、覇権国・米国にとって許容できるものではあるまい。

しかも、中国の成長は、日本以上に技術・資本・市場を海外に依存したフリーランチの側面が大きい。この状況下、日本が長期経済停滞によって漂流し続ければ、特にアジアが大きく不安定化する。円高デフレによって日本経済がこれ以上弱体化することは、許容しがたいとオバマ政権が考えているとしても、不思議ではない。

<日本封じ込め策としての円高の終焉>

そもそも日本経済は、これまでも米国の政治的利害によって突き動かされてきた。過去20年間の「日本病」と形容される停滞は、米国の経済圧力によってもたらされたと言っても過言ではない。強くなりすぎた日本を経済的に封じ込めるプロセスにおいて、異常な円高は決定的な役割を果たした。大幅経常黒字国の通貨が強くなるのは、変動相場制のもとでは当然である。しかし、円高の場合、通貨の購買力からみて異常だった。

普通は購買力平価と比べてプラス・マイナス30%程度の為替変動が限度なのに、円の場合は一時2倍という異常な評価が与えられた。それによって国際水準に対して日本企業のコストは2倍となり、賃金も2倍となったために、企業は雇用削減、非正規雇用へのシフト、海外移転などを進めた。この結果、労働コストは大きく低下し、かろうじて競争力を維持できたものの、日本の労働者の賃金はいわばその犠牲となり、長期にわたって低下し日本にデフレをもたらしてきたのだ。

ちなみに、多くの経済学者が「実質実効為替レートで見れば歴史的円高ではない」と主張するが、それは因果関係をはき違えた議論だ。そもそも実質実効為替レートで90年代前半ほど円高になっていないのは、円の名目為替レートがドルなどの主要通貨に対して上昇する一方で、製造業を中心に単位労働コストが相対的に低下したためである。実質実効レートは事後的に均衡したにすぎない。むしろ、円高が進行したことで、日本の労働者の賃金は、他国に劣らない労働生産性の伸びが続いたにもかかわらず、大幅に下落してきたと捉えるのが、円高デフレの正しい理解だろう。

また、長年の円高デフレの心理的副産物なのか、日本経済の問題は需要不足ではなく、労働力減少などに伴う潜在成長率の趨勢的な低下にあるとの悲観論が論壇を中心にはびこっているが、こうした「反成長論」は聞くに堪えない。改めて言うが、日本の問題は賃金下落と内需縮小の悪循環だ。補足するならば、サービス価格のデフレによって、ハイテクなどの高生産性セクターから内需系の低生産性セクターへの所得配分のメカニズムが機能しなくなっている点にある。この解決には、リフレ政策が大いに貢献できる。

いずれにしても、日本にデフレ宿命論者が増えたことは、米国の日本封じ込めが上手く行ったことの証左とも見て取れる。今、その米国が日本の弱体化に懸念を示しているのは何とも皮肉なことである。

<株価ターゲットを影の政策目標に>

さて、米国の地政学的利害が転換する中で登場した安倍政権は、めぐり合わせという意味で、幸運だったと言えよう。

アベノミクスの要諦は、端的に言えば、市場の想定を超える政策を打ち出し、市場の期待をリードし、人々のアニマルスピリットを鼓舞することにある。それによって需要を創造し、経済の好循環を作り出すことだ。これはまさに、リーマンショック以降、米連邦準備理事会(FRB)のバーナンキ議長が実践してきたことに他ならない。

成否のカギは、株高の持続にある。株高がもたらす資産効果は絶大だ。米国の例でも、資産価格と貯蓄率の連動性は高く、株高は貯蓄率の低下をもたらし消費を刺激する。日本の政策当局は、円高デフレ脱却策の中心に、株価政策を置くべきだ。インフレターゲットも必要だが、公言せずとも「株価ターゲット」を念頭に置くぐらい大胆な経済政策運営を行ってもらいたい。株高を支える一の矢、二の矢、三の矢を次々と放ち、ようやく目覚めつつあるリスクテーカーたちの梯子(はしご)を外さないことが重要だ。

幸い米国は、上記に述べた地政学的事情から、株高を演出している「異常な円高の是正」に当面、水を差すことはないと思われる。また、そもそも今回の円安局面は、ファンダメンタルズの変化に根ざしている。2012年、日本は原発稼働停止による化石燃料の輸入増もあり、6.9兆円という過去最大の貿易赤字に転落した。所得収支の黒字で経常収支では黒字が維持されたものの、世界の経常黒字順位では中国、ドイツ、主要石油輸出国に追随する立場になっている。

加えて、米国では、バーナンキFRB議長に主導された創造的金融緩和策が功を奏して、経済活動もリーマンショック前に戻り、危機の後遺症は着実に癒されている。金融緩和の出口戦略も語られ始めており、米国の長期金利が上がり始めれば、円安圧力はさらに増すだろう。

むろん、製造業復権を掲げるオバマ政権にも円安許容の限度はあり、ある水準以上に進めば牽制してくると考えられる。筆者の読みでは、リーマンショック前の100―110円あたりがひとつの目途になるのではないか。当面の株高基調を支えるには、十分なレベルだ。安倍政権がリフレ政策の手を自ら緩めるなどのオウンゴールさえしなければ、2013年はいよいよ日本復活の年になるだろう。

*武者陵司氏は、武者リサーチ代表。1973年横浜国立大学経済学部卒業後、大和証券に入社。1987年まで企業調査アナリストとして、繊維・建設・不動産・自動車・電機エレクトロニクスなどを担当。その後、大和総研アメリカのチーフアナリスト、大和総研の企業調査第二部長などを経て、1997年ドイツ証券入社。調査部長兼チーフストラテジスト、副会長兼チーフ・インベストメント・アドバイザーを歴任。2009年より現職。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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