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コラム:この先のドル買いはハイリスク・ローリターン=竹中正治氏
2013年5月22日 / 08:03 / 4年後

コラム:この先のドル買いはハイリスク・ローリターン=竹中正治氏

アベノミクスと量的・質的金融緩和(黒田バズーカ)で円高修正、円安相場に転換したことは、「デフレからインフレへの転換」という市場参加者の期待の変化によるものであることに疑いはない。しかし、100円台にのったドル円相場はどれほど先行きの日本のインフレ率を織り込んでいるのだろうか。

結論から言うと、100円台前半のドル円相場は消費者物価指数(総合)で前年比2%、企業物価指数で同7%台のインフレをすでに織り込んでいると推計できる。これは2008年9月のリーマンショック直前に、国際商品市況の高騰などを背景に一時的にインフレが進んだ時の水準とほぼ同じである。逆に言うと、今後2年間ほどでそうしたインフレ率の実現が日本で見えてこない場合には、ドル円相場は急速な円高への戻りが生じる可能性もある。

行き過ぎるのも相場なので、目先105―110円の円安・ドル高もあるかもしれないが、長期的にはこの水準からのドル投資は「降雨確率80%」にもかかわらず傘を持たずに外出するのと同じだ。そう考えられる理由を説明しよう。

<「ドル円のフェアウェイ」から外れても戻ってくる>

長期の為替相場変動は2通貨のインフレ率を反映した「相対的購買力平価(PPP)」による説明力が最も高いことは、実証的にも確立した命題と言っていいだろう。PPPは、「起点時点の市場為替相場×日本の物価指数/米国の物価指数」の算式で計算される(ドル円の場合)。

たとえば、起点時点のドル円相場が1ドル=200円で、10年後に日本の物価指数が100(起点時点=100)、米国の物価指数は200(起点時点=100)だとすると、計算式にしたがって10年後のPPPは1ドル=100円となる。

一方、短期(1年未満)、中期(1年から数年)の為替相場はPPPに対して乖離(かいり)と回帰を繰り返す。PPPからの名目相場(市場相場)の乖離度合いを指数化したものは実質為替相場指数と呼ばれ、「(名目相場/PPP)×100」の算式で計算される。

名目相場がPPPに対して乖離と回帰を繰り返す限り、実質相場指数は長期的な平均値を中心に乖離と回帰を繰り返すことをこの式は示している。下の掲載図表は実質相場指数と名目相場の1973年からの推移である。実際、名目相場が長期的な日米のインフレ格差を反映して円高傾向を辿ってきた一方で、実質相場指数は長期の平均値(紫色の水平線)に対して乖離と回帰を繰り返していることがわかるだろう。

図ではひとつの目途として、この長期の平均値からプラス・マイナス10%の水準にグレーの横線を引いてある。この2本の線に挟まれた薄紫色のレンジを、ゴルフコースにたとえて私は「ドル円のフェアウェイ」と呼んでいる。グレーの線の上は円安のラフであり、下は円高のラフである。

私の下手なゴルフと同じで、ボール(為替相場)は円安のラフにも、円高のラフにも突っ込むが、必ずフェアウェイに戻ってくる。戻ったと思ったらそのまま反対側のラフに突っ込むこともある。今回、ボールは円高のラフから円安のラフに数カ月の短期間で突入したことになる。これもまた相場である。

現在のドル円相場は実質で見ると、98年に日本の銀行の不良債権危機が深刻化し、円売り、日本株売り、日本国債売りの「トリプル安」になった時をすでに凌ぐ円安である。この実質相場指数の推移を手掛かりに、1ドル=80円近辺のドル円相場はドル投資の好機であることをリーマンショック後に私は著作や講演で説いてきた。100円を超えた今、状況は正反対に転じつつあることを強調しておこう。

長期の趨勢的な為替相場の変化はPPPで説明できるので、短期・中期の為替相場変動のみを抽出して説明する場合には、実質為替相場の変動を説明すれば良いことになる。これまでアカデミズムの世界では実質相場指数の変動を説明する様々なモデルが試みられてきた。しかし、私が知る限り、複数のマクロ経済変数で実質相場指数の変動を長期間にわたって統一的に説明できる決定式(モデル)は考案されていない。むしろ、マクロ経済変数による説明から離れ、外為市場の取引フローなどからなる市場のミクロ構造(マイクロ・ストラクチャー)に注目して相場変動を説明する研究が近年は増えている。

PPPに対して乖離と回帰を繰り返す実質為替相場指数の変動は、時代により固有の事情が強く働いており、特定のマクロ諸変数で長期にわたって適用できる統一的な説明は困難だと私も考えている。しかし、数年程度までの中期については、その時代に為替相場変動に対して強い影響力を持つようになった特定のマクロ諸変数を選定することで、有意な説明が可能だ。問題は影響度の強い特定の変数や変数間の相関関係が、時期により変移することにある。

<2000年代後半の2つの相場要因>

リーマンショックを挟む2000年代後半から足もとまでのドル円相場については、次の2つの要因が短期・中期の為替変動要因として相場に強い影響力を持っていることが、経験則として市場関係者やエコノミストの間で話題になってきた。

第1の要因は、2通貨の金利格差である。とりわけ超低金利となった円売り・高金利通貨買い取引によるキャリートレード持高の積み上がりと巻き戻しが、円相場の短期・中期の変動に大きな影響力を持つようになったことが指摘される。

第2の要因は、市場の各種リスク・プレミアムの大きな変動に反映された投資家のリスク許容度の変化である。これは一般に「リスクオン」「リスクオフ」と呼ばれ、投資家のリスク許容度が上昇するリスクオンの局面では、世界的な株価の上昇傾向と日本円やスイスフランなどの低金利通貨(08年の危機後は「セイフヘブン(safe haven)通貨」と呼ばれるようになった)の下落と非セイフヘブン通貨の上昇が見られた。反対に危機の勃発や深刻化局面ではそうした持高の巻き戻しによる逆の相場の動きが見られた。

そこで05年1月から13年3月の期間について実質ドル円相場を対象に、その変動に強く作用していると考えられる2要因でどこまで説明できるか、回帰分析を試みた。

金利差については、名目金利差ではなく、実質金利格差を変数に使用した(ドル金利はフェデラルファンド金利、円金利はコール金利。前者は生産者物価指数、後者は企業物価指数で実質化)。これは、説明対象が短期・中期の相場変動を抽出した実質相場であることに対応したものである。

一方、リスク・プレミアムについては様々な設定の仕方があり得るが、リーマンショックによるリスク・プレミアムの急騰=投資家のリスク許容度の低下とその後の正常化(リスク・プレミアムの下落)は世界的な規模で生じており、またそれは世界中の投資家のマネーフローが流出入する米国の債券市場におけるリスク・プレミアムの変化で代表されると考えて良いだろう。そこで、ここでは、米連邦準備理事会(FRB)が公表するAAA格付け社債とBBB格付け社債の利回り格差で示されるスプレッドをリスク・プレミアム要因とした。

想定される変数間の関係は、次の通りである。実質ドル円相場の変化は実質金利差(ドル金利-円金利)の変化と正の相関関係(金利格差縮小あるいはマイナス値拡大で円高・ドル安、逆は逆)があり、リスク・プレミアムに対しては負の相関関係(リスク・プレミアム上昇で円高・ドル安、逆は逆)がある。

掲載図表の制約で詳細は省略せざるを得ないが、回帰分析における説明度を示す決定変数(R2)は0.64であり、これはこの2つの変数で当該期間の実質ドル円相場指数の変化の64%を説明できることを意味する。また、変数間の相関関係は上記の想定通りで、回帰結果全体も有意である(すなわち統計上偶然ではない)。

加えて、回帰結果からリスク・プレミアムの1ポイントの上昇(下落)に実質相場指数4.46ポイントの円高(円安)の変化が、また実質金利格差の1ポイントの拡大(縮小・マイナス)に実質相場指数1.93ポイントの円安(円高)の変化が対応していることがわかった。図表中に示した赤い線が05年1月―13年3月のドル円実質相場推移の推計値であり、この期間の変化を概ね(64%)説明していることが視覚的にもわかるだろう。

さらに実質金利要因を名目金利格差要因と物価指数要因に分けて見ると、実質金利格差の縮小・マイナス転換による円高効果は、08年初から同年末までは名目金利格差要因(ドル金利の急低下)によるところが相対的に大きく、09年以降12年までは物価要因(日本の企業物価指数変化率が米国の生産者物価指数変化率に比べて大きくマイナスとなっている)つまり日本のデフレの深刻化によるところが大きいことがわかった。

回帰結果が示唆する実質相場の変化は、次の通りである。07年前半までの円売りキャリートレード持高の積み上がりによる需給要因で円安基調を辿っていた。日米間の実質金利格差の拡大がそのような円安・ドル高に作用していた。

ところが、08年には危機の深刻化への対応として米国の金融政策が急速に緩和され、実質金利格差の縮小・逆転とリスク・プレミアム急騰が重なって急速な円高局面に転じた。すなわち実質金利差の縮小と危機による投資家のリスク許容度の縮小という双方の要因により、07年までに大規模に積み上がった円売りキャリートレードの手仕舞いに市場参加者が殺到したのだ。

09年後半には米欧日の政府・中銀による危機対応でリスク・プレミアムは正常化したものの、日本では景気後退によるデフレ傾向が強まった。その結果、名目金利が日米ともほぼゼロ近辺に張り付いた状態の中、実質金利格差は一層大幅なマイナス方向に振れ、マイナスの実質金利格差がなかなか縮小しなかった。このことが円高基調を12年まで中期にわたって持続させる要因となったと言える。

<ドル売りヘッジを考える局面へ>

アベノミクスと黒田日銀総裁の大胆な金融緩和への転換が引き起こした現在の円安への変化は、もちろん「デフレからインフレへの転換が円安につながる」というシナリオを予想した市場参加者の円売り・ドル買いへの需給変化によるものだ。

図で13年1月以降は推計値と現実の値の乖離が大きくなっていることに注目頂きたい。この推計値はあくまでも事後的な実質金利差(=名目金利-インフレ率)を変数にしている。一方、現実の為替相場の変化は円の将来の期待インフレ率の上昇(=実質ドル金利が実質円金利を上回る方向への金利格差の拡大)を織り込んで先行して変動していると理解すると、乖離が納得できる。

回帰分析で得られた推計式に基づいて計算すると、名目で1ドル=102円近辺のドル円相場は、企業物価で前年比7%台(米国の生産者物価は前年比2%、2年後のフェデラルファンド金利0.5%、コールレート0.1%と想定)程度の水準を織り込んだものだ。企業物価指数は消費者物価指数に比べてはるかに変動が激しいが、直近で企業物価の変化がそのような水準になったのはリーマンショック直前の08年央に米国の金融緩和で国際資源価格などが高騰した局面だ。当時の日本の消費者物価指数(総合)は2%前後だった(その後リーマンショックを契機にした不況でマイナスに転じた)。

そういう意味では、日銀が目標に掲げた消費者物価指数の変化で2%という水準を先取りして相場に織り込むレベルまでドル円相場はすでに円安にシフトしていると言えよう。逆に言うと、2年程度の時間軸で2%目標の達成が困難になれば、円高への戻りが生じることが予想される。あるいは日本が目標通りのインフレにならない場合、それでも現下のドル円相場が持続するためには、ドル金利(名目)が現在の予想をはるかに超える急激なテンポで上昇しなくてはならない。

ドル資産を保有する日本の長期投資家にとっては、ドル売りヘッジのタイミングを考える局面に移行したのだ。

*竹中正治氏は龍谷大学経済学部教授。1979年東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行、為替資金部次長、調査部次長、ワシントンDC駐在員事務所長、国際通貨研究所チーフエコノミストを経て、2009年4月より現職。経済学博士(京都大学)。新著に「稼ぐ経済学」。本稿で触れた実質相場指数を利用した長期外貨投資の手法については、同書の第4章に詳しい。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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