July 19, 2012 / 2:25 AM / 7 years ago

コラム:円高「日銀犯人説」は本当か=唐鎌大輔氏

[東京 19日 ロイター] 今回の円高局面の原因は、欧州債務問題などの海外情勢にあるとの見方が多い。世界最大の対外債権国通貨としてのステータスを備える円が、その他通貨に比べて相対的に評価されているとの見方だ。

だが、一部では「金融緩和不足」や「通貨(マネー)の供給量が足りない」など、日銀の政策対応に円高の原因を求める声も散見される。その際、「通貨」や「マネー」の定義が曖昧なまま議論されているケースが多い印象を受けるが、こうした主張の正否に関し考察してみたい。

確かに1970年代、二国間の通貨供給量の格差に焦点を当て、為替レートの変動を説明する理論として「マネタリーアプローチ」という考え方があった。これは、為替レートは購買力平価(PPP)で決まり、内外の物価は貨幣数量説に基づいて決定されるという2つの前提を置いた理論である。

ただ、周知のとおり、短期的には為替レートがPPPに収斂(しゅうれん)することは稀であるし、「通貨供給量を増やせば物価が上がる」という貨幣数量説的な関係が必ずしも成立しないことは、日本の「失われた10年」や2007年の金融危機以降の欧米を見ても明らかである。

また、米サンフランシスコ地区連銀のジョン・ウィリアムズ総裁も6月、「伝統的な教科書における金融政策、貨幣そしてインフレの関係は時代遅れであり、修正される必要がある」との分析を披露している(出典:2012年6月30日「Monetary Policy, Money and Inflation」)。通貨供給量の格差で為替変動の説明を試みるマネタリーアプローチは説得力を失っており、歴史的には実証的な基礎が脆弱化したと考えられる。仮に通貨供給量不足を主張する「日銀犯人説」がマネタリーアプローチを前提にしているとすれば、それには無理がある。

ただ、「通貨供給量が足りない」と指摘する巷(ちまた)の日銀犯人説と、マネタリーアプローチでは、そもそも通貨の定義が異なる可能性もある。たとえば、日銀犯人説はベースマネー(BM)比率(日本/米国)とドル/円レートを重ねた、いわゆる「ソロス・チャート」と共に展開されることが多い(下図参照)。だが、マネタリーアプローチで想定される通貨供給量は物価への影響力が強いと考えられるM2等のマネーストックであり、中央銀行から金融システムへの通貨供給量を表すBMではない。

もちろん、「BM」から「M2」そして「物価」 への経路が安定的に存在すれば、BM比率を使用して為替変動を説明するソロス・チャートはある程度マネタリーアプローチに沿ったものになりそうだが、現実には「BM」から「M2」の関係は安定的ではない。

量的緩和でBMを増やしても銀行貸出が増えるとは限らず、実体経済に出回るM2が増えなければ物価が刺激されることもない。物価が刺激されることがなければ、為替への影響も軽微のはずである(国債購入による量的緩和では金利低下を通じて通貨安が期待されるが、このルートは限界に近い)。こうした関係はB/S調整下の経済では良く知られた事実になりつつあるが、日銀犯人説ではあまりケアされていない点に思える。

いずれにせよ、巷の日銀犯人説が伝統的な理論に基づいたとしても現時点では大きな説明力は持ち得ないし、もしM2ではなくBMを意識したソロス・チャートのような議論であれば、それは少なくとも理論的な枠組みから逸脱していると言えよう。

<BMの程度は経済規模対比で議論すべき>

もちろん、「理論的な枠組みから逸脱しているから誤っている」とは限らない。ソロス・チャートに理論的裏づけがなくてもドル/円相場がBM比率に沿って動いてきたならば、あくまで「テクニカルな観点」から注視する価値はある。

だが、今回の金融危機後の局面でこそドル/円相場とBM比率の動きは平仄(ひょうそく)が合うが、2003―2006年の日銀量的緩和時代には、その関係は非常に不安定だった(改めて下の図を見てもらいたい)。当時も円高抑止を意識した量的緩和(BM増加)が図られたわけだが、逆に円高は進行した。今回の金融危機の後、米国の量的緩和を受けて再びBM比率とドル/円相場の関係が復活しているように見えるのは、結局、ドル/円相場は米国の金融・通貨政策に対しては敏感だが、日本のそれにはわずかな反応にとどまるということではないか。

また、「そもそも論」になるが、経済規模が違う二国のBMを単純に大小比較することが適切ではないという視点もあるだろう。たとえば、キプロスと米国のBMの比率を取ることに違和感があるように、日本と米国のBMを比べることにも慎重さは必要である。

加えて、仮に近年のBM比率とドル/円相場の安定的(に今は見える)関係が今後永続するとしても、「だから日本の量的緩和を拡大しろ(BMを増やせ)」という主張が正しいかどうかは別である。もしソロス・チャートの中で円安が示唆される水準までBM比率を顕著に変化させようとすれば、(FRBが現状維持と仮定して)相当な日銀の金融緩和が必要になり、そこまでの緩和に踏み込むことが適切かどうかの議論を重ねることが必要だろう。「日銀が緩和不足だから円高になった」と主張する際には、経済規模対比での緩和状況を考慮するのがフェアな議論で、単純にBMの比率を取ることで緩和の大小判断をすることには慎重であるべきだ。

確かに、2007年以降に限定すれば、日本の量的な緩和度合いは欧米のそれに見劣りしている面はあるかもしれない。だが、それは危機の震源となるような金融システムへのダメージが相対的に軽微であったことを考えれば不思議なことではない。それに、日銀の資産買入基金も不動産投資信託(J-REIT)や上場投資信託(ETF)などのリスク資産を買い入れているわけでFRBやECBに比べて顕著に積極性に欠けるというわけでもない。

ただ、「市場との対話」という観点から、欧米との対比で日銀が上手くアピール出来ていないとすれば、改善されるべきである。たとえば、今年5月23日の金融政策決定会合後の声明文では前月まで存在した「強力に金融緩和を推進していく」との文言が抜け落ちたことが緩和姿勢の後退と受け止められ、一時的に円高に振れるということがあった。その後の白川総裁会見で緩和姿勢に大きな変化がないとの意図が確認されたが、そうであればこうした修正には慎重になるべきだったかもしれない。

また、7月決定会合後の会見では円高メリットに言及したことを捉えて、海外時間に円高が一段と進行することもあった。言葉の端々を捉え反応しがちな金融市場(特に為替市場)を念頭に置くのであれば、正論だけでは打開できない局面はどうしても出てきてしまうはずで、この点、白川総裁に改善を期待する声は一部見られる 。だが、これらは「市場との対話」の巧拙に絡んだ話であり、円安を企図して量的緩和をすべきだという日銀犯人説を肯定するものではない。

<日本人はソロス・チャートを重宝しすぎ>

以上見てきたように、BM比率によりドル安・円高を説明しようとするような日銀犯人説は理論的な背景を備えている訳ではないし、テクニカル的にも現実と平仄が合わない時期(2003―2006年)もあるなど、説得力が十分ではない面がある。

ただ、それでもソロス・チャートが注目を集める理由として翁邦雄・京都大学教授は「投資家への説明のしやすさ(マネタリー・モデルは実証的に破綻したが、その直感的な説得性はきわめて高い)」や「ソロスのカリスマ性の高さ」を挙げている(「経済セミナー2011年10・11月号」)。こうした点を踏まえて、ソロス・チャートが「時期によって投資家の自己実現的予言の拠り所として、為替レートに影響を与える可能性は否定できない」と翁教授は述べており、極めて定性的な理由に落ち着かざるを得ないことを指摘している。

確かに、為替相場は心理的要素に振り回される面が多分にあって「FRBが緩和したのに、日銀はしなかった」という非常に粗い理由で円高・ドル安が進むことは多々ある(だからこそ稀に日銀金融政策決定会合の日程をずらしたり、臨時開催したりする決断が必要になる)。現状のように少しでも円高方向の動きを押さえたいという地合いでは、日銀に緩和を求める声は市場の内外で出やすくなっており、そうした向きの人々にとってソロス・チャートは市場にとって非常に「使い易い」ツールとなることは否定できない。ちなみに、「ソロス・チャート」という言葉は日本語でのみ注目されており、検索エンジンで「Soros chart」で検索すれば分かるように国際的に認知されたものとは考えられない。

ドル/円相場を議論するに当たって、「ソロス・チャート」は日本人限定で愛用されているロジックである可能性が高く、中央銀行に対して金融緩和を迫る理由としては心許ない。今年2―3月の局面がそうであったように日銀の追加緩和により円高が修正される局面は今後もあるかもしれないが、それにより相場の反転までを期待するのは行き過ぎだろう。真の反転には内外金利差が十分に確保された状況で、本邦投資家が積極的に対外リスクを取れる金融経済環境、つまり「日本人が安心して円を売れる環境」が必要だと考える。

*唐鎌大輔氏は、みずほコーポレート銀行国際為替部のマーケット・エコノミスト。日本貿易振興機構(ジェトロ)入構後、日本経済研究センター、ベルギーの欧州委員会経済金融総局への出向を経て、2008年10月より現職。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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