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コラム:インフレ待望論の「危険な罠」=佐々木融氏
October 2, 2012 / 8:53 AM / 5 years ago

コラム:インフレ待望論の「危険な罠」=佐々木融氏

[東京 2日 ロイター] 今や世の中では、「デフレは諸悪の根源で、インフレになれば明るい未来が訪れる」という説が正しいと信じ込まれているようである。若者が定職を見つけるのが困難なのも正規雇用が増えないのもすべからくデフレのせいであり、インフレにさえなればこの苦しい状態から抜け出すことができると吹聴されている。

しかし、待ってほしい。現在日本で行われているデフレ対策は、端的に言えば、日本銀行の積極的な金融緩和によって市場に資金を大量供給し貨幣価値を低下させることでインフレを引き起こすというものだ。しかし、そのような方法では、狙い通りインフレになったところで、資産家ばかりが喜ぶだけの結果にならないだろうか。そして、経済的に困窮している人々の状態は改善するどころか、さらに悪化するのではないかと危惧している。

<需要増なき悪性インフレの恐ろしさ>

順を追って説明しよう。

まず、インフレには大きく分けると、実物要因によるインフレと、貨幣要因によるインフレの二つの種類がある。一つめの実物要因によるインフレは、さらに需要サイドによる要因と供給サイドによる要因に分けられる。

簡単に言えば、前者は需要の増加が牽引するインフレ、後者は原油価格が上昇することなどで発生するインフレである。日本経済に本来必要なタイプのインフレは、前者の需要サイドの要因によるインフレであり、これならば、雇用環境も改善し、現在に比べたら明るい未来となるだろう。また、このタイプのインフレの場合、物価が上昇したら需要が弱まり、それ以上物価は上昇しないため、ハイパー・インフレにはならない。

インフレを大別した場合の、もう一つのタイプ、貨幣要因によるインフレは、貨幣価値が下がることによって起こるインフレである。実は日本の現行政策は、この種のインフレを発生させようとしているから問題なのである。この要因によるインフレは同じインフレでも好ましいものとはいえない。

貨幣価値は、極限まで低下しうる。貨幣の価値とは、それに対する人々の信認によって成り立っているからだ。極端なことを言えば、日銀の本支店に行くと札束が積んであり、これをいくらでもつかんで持っていって良いということになったら、誰も1万円札の価値を認めなくなるだろう。

たとえば、今、近所の寿司屋に1万円札を1枚持っていけば、美味しい寿司をたらふく食べさせてくれるかもしれないが、誰もが日銀でたくさんの1万円札をつかみ取ってこれるということになったら、1万円札を1枚持っていっても、近所の寿司屋は「簡単につかみ取りできる1万円札が10枚あっても寿司は出せない」と言うだろう。つまり、寿司1人前の価格は10万円以上に暴騰する。1万円札をつかみ取ってこれるのは自分だけではない。皆がそうできるのだから、1万円札の価値は暴落、つまり物の値段は暴騰するのだ。

こうした状況では、雇用は増えない。来客が増えて値段が上がるような状況ならば寿司屋は将来の儲けを見越して雇用を増やすだろうが、明日の価値の保証のない1万円札を持ってくる人がただ増えているだけでは(当然仕入れる米や魚の値段も上がるため)儲けが見込めず雇用を増やすインセンティブは働かないからだ。

<群集心理で貨幣価値が一気に失われる怖さ>

金融緩和頼みのインフレ待望論がいかに問題かをもう少し分かりやすく説明しよう。

仮に今あなたが保有している虎の子の預金が100万円だったとしよう。そして、日銀や政府が本当にヘリコプターで1万円札を大量にばら撒いたことを想像して欲しい。あなたが数年あるいは何十年も一生懸命働いて貯めた100万円と、たまたま1万円札がばら撒かれた場所にいた人が10分程度で拾いあげた100万円は同価値である。

それほど簡単に100万円を拾えるようになったのなら、100万円の価値は暴落しよう。今なら100万円あれば家族4人で海外旅行も行けるだろうが、1万円札が大量にばら撒かれた後は、せっかく貯めた100万円でも、おそらく近場の温泉宿にも泊まれなくなっている。本当にそれが幸せな世界なのか。

残念ながら、日銀にさらなる積極的な金融緩和を求める人々は、この種の貨幣価値の低下によってインフレを発生させることを求めているとしか思えない。金融緩和で貨幣価値を微妙に1―2%だけ下げること(つまり1―2%のインフレ)は、かなりの至難の業だ。大量の貨幣供給を目の当たりにして、人々の貨幣に対する価値観が群集心理で変わり始めたら、その変化は一度に大幅に発生してしまう可能性が高い。そうなれば、日本の個人金融資産の過半を占める現預金は実質的に大きく目減りすることになる。

また、インフレになれば給与が上昇し国民は幸せになれると説く人がいるが、名目の給与額がいくら増加しても、物価がそれ以上に上昇すれば、実質所得は低下し、労働者の購買力は低下、生活は今より貧しくなる。今どき、インフレ率以上に社員の給与を上げてくれる会社などそうそうないだろう。加えて、賃金上昇率はおそらく非正規雇用者の方が低く抑えられてしまうだろう。

<インフレの方が貧富の格差は拡大>

「貧富の格差」拡大の主因をデフレに求める主張は、間違っていると思われる。過去20年以上資産価格が上昇せず低水準の状態が続いていることに対して、本当に頭を悩ましているのは資産家なのだ。デフレ環境下では、資産のほとんどが銀行預金である人と資産家の格差はむしろ縮小している。

インフレ下の方が、持てる者の富は増え、持たざる者の購買力は低下する。つまり、インフレ下の方が、貧富の格差は拡大するのである。保有金融資産に占める銀行預金の割合が多い人は、インフレになったら本当は自分が困るということは認識しておいた方が良いだろう。

念のため、最後に指摘しておくが、筆者は「だからデフレが良い」と言っているのではない。緩やかなインフレ基調が続くことが経済成長にとって好ましいのは言うまでもない。ただ、問題なのはインフレを目指す方法だ。

インフレは本来、構造改革や税制改革、規制緩和などで需要を喚起することによって発生させるべきものだ。金融政策による貨幣価値の低下を通じて、国民の預金の価値を目減りさせる(購買力を低下させる)ことで引き起こすべきものではない。

*佐々木融氏は、JPモルガン・チェース銀行の債券為替調査部長で、マネジング・ディレクター。1992年上智大学卒業後、日本銀行入行。調査統計局、国際局為替課、ニューヨーク事務所などを経て、2003年4月にJPモルガン・チェース銀行に入行。著書に、「弱い日本の強い円」など。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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