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コラム:「円安行き過ぎ論争」の不毛

植野大作 三菱UFJモルガン・スタンレー証券 チーフ為替ストラテジスト

11月21日、悪い円安論争が勢いを増したとしても、3つの理由からドル円上昇基調が反転する可能性は低いと三菱UFJMS証券の植野氏は分析。写真は20日、都内で撮影(2014年 ロイター/Toru Hanai)

[東京 21日] ドル円相場の上昇を受けて、日本経済が享受するメリットと被るデメリットのいずれが大きいのか、政財界の要人、学会有識者、市場関係者、メディアなどを巻き込んだ論争が活性化している。

「円安国益論」と「円安国患論」の対立は昔から為替市場を徘徊する代表的な神学論争の一つであり、現在と逆の円高局面では「円高国患論」と「円高国益論」の戦いに姿を変えて、我々の目前で展開される。値上がりすると大概の人が幸せになって世の中の雰囲気が明るくなる株価と違い、為替相場は円高、円安のいずれに振れても立場によって利害が錯綜するため、万人が納得する結論を得にくいのが実情だ。

一般に、為替レートが円安に振れた場合、他の条件が一定なら、日本の輸出品の海外市場における価格競争力が改善するほか、輸入価格の上昇によって国内市場で外国製品と競合関係にある国産品の競争力も改善する。同様のことは、国内の農林水畜産業や観光・レジャー産業などにも当てはまるため、日本の「モノ作り」や「食の安全」、あるいは「おもてなしの精神」などを支える現場においては、広く円安による価格競争力改善の恩恵が及ぶことになる。また、日本企業のグローバル展開が加速する中、円安・外貨高によって海外売り上げや海外現地法人の利益の円建て評価が膨らむ多国籍企業においては、円安は業績の上方修正要因になるケースが多い。

一方、円安の進行によって喚起される輸入物価の上昇は、海外から購入する鉱物性燃料、金属鉱石などの各種天然資源、建築資材、飼料、小麦粉などの中間素原材料、あるいは生活必需品や電気代などの値上がりを通じて、日本国内で事業活動を営むあらゆる形態の法人にとって必要経費や生産コストの上昇要因になるほか、一般の消費生活者にとっては、広く生計を圧迫する要因にもなる。積極的な多国籍展開をしていない地元メインの国内企業にとっては、円安によるコストアップのデメリットが、価格競争条件の改善によるメリットよりも重くのしかかっているケースもあるだろう。

為替変動による類似の損益錯綜は、個人や法人が保有する外貨資産や負債の価格変動によっても生じている。マクロ統計でみると日本は対外純資産国であり、貿易収支は赤字でも所得収支はまだ大幅な黒字なので、その点に着目すれば円安による海外純資産の円建て評価の上昇や海外からの利子・配当受け取り額の円換算額の増加効果はかなり大きそうだ。ただ、一般的に為替絡みで大儲けしている人や企業はそのことをあえて吹聴しない傾向があり、かつて「超円高の弊害」を声高に叫んでいたメディアにおいても、現在は「超円安の弊害」を訴えた方がおそらく読者が増えやすいので、円安の負の側面にスポットライトが当たりがちだ。このため、一般には円安による外貨資産の値上がりや所得収支黒字の増加効果に対する認知が進みにくい面がある。

また、一見すると円安のメリットを受けていそうな多国籍企業においても、個別企業のレベルでは、円高に備えたリスクヘッジを進めたことなどが、裏目に出ているような事例もあるようだ。いずれにせよ、大幅な円安が進んでいる現下の局面では、外貨資産を持つ主体と持たざる主体の違いが目立っており、立場によって悲喜こもごもの金融損益の変動がもたらされている。

<相場は「べき論」では変化しない>

では、上記諸々の影響を踏まえた上で、最近の円安進行は、日本経済全体でみた場合、果たして功罪どちらが大きいのだろうか。

はじめに原則論を述べておく。日本が変動相場制を採用している以上、「為替相場は時宜に応じて円安になったり円高になったりして、柔軟に双方向に動く」のが最も自然であり、長期的にみればそれが国全体の利益にかなっているはずである。特定の個人や法人、あるいは業界によって様々な個別事情があるだろうが、円高、円安いずれかのベクトルだけが恒常的に日本全体の国益に合致するということだけは、断じてありえない。非常に月並みな表現を用いるなら、「為替相場は国内外のファンダメンタルズの変化に合致して、安定的かつ柔軟に変動する」のが日本の国益であると言える。

よって、例えばドル円相場なら、その時々の日米の経済情勢、金融・財政政策、国際収支などの変化に応じて、「1ドル=何円程度が適切なのか」は、毎秒ごとに動いている。為替予想を生業にしている立場上、「市場が決定する為替レートの方向や水準が原則として正しく、総じてみれば現状界隈の水準で日本の国益に合致するように動いている」と考えるようにしている。想定外の価格変動が日常茶飯の為替相場と長く付き合う場合、まずは「現状是認」の心構えで接しないと、予測作業に不可欠な心の平衡状態を保つのが難しいからだ。

ただ、上記はあくまで原則論である。為替予測の実務的な側面から述べるなら、為替市場の期待形成に影響力のある政策や投資などの意思決定に関わる組織やその代表者などの相場観に基づく発言は、時としてその後の為替変動に無視できないインパクトを及ぼすこともある。その意味では、最近の円安加速が目立つ局面で、日本政府の要人が、「為替相場の急激な変動は好ましくない」といった主旨の見解を示す機会が増えているのは、微妙に気になるところだ。

だが仮にこの先、日本国内で円安警戒色を帯びた政府要人発言が一段と増えてきた場合でも、恐らくそれだけでは円安のスピード調整を促すまでがせいぜいであり、趨(すう)勢的なトレンドが円高基調へ変わることはないだろう。3つの理由を挙げておく。

第一に、為替のトレンドは、政策の変更を伴わない単純な「べき論」では変化しない。この先も円安が一段と進行した場合、日本経済にとって必ずしも良いことずくめの影響だけではなく、自国通貨安による「負の側面」が目立ってくる可能性もあるが、近年の為替市場ですう勢的なドル高・円安が進んだのは、「それが日本経済にとって望ましい変化だったから」ではない。いまさら言うまでもないが、足元でドル高・円安圧力が強まっている最大の背景は、「デフレ脱却を目標に掲げて強力な金融緩和を継続する日本」と「景気回復を確認しながら金融政策正常化に向かう米国」の違いが鮮明になってきたことにある。

リーマンショック後に進んだ強烈な円高局面では、日本国内の政官財学の一部において「円高国患論」がいくら強まっても、それを理由に円高が収まることはなかった。当時の日本を席巻していた「円高とデフレの共鳴現象」が収束したのは、「国際標準の物価目標2%への引き上げ」「大胆な金融緩和によるデフレ脱却」を公約に掲げる第二次安倍内閣が発足して日本の金融政策に一大転機が訪れたからであり、その後米国において日本よりも早いタイミングで金融政策の正常化が始まったことが、ドル高・円安への局面変化を決定づけた。

政府・日銀がこれ以上の円安を望まないのなら、まずは異次元緩和の卒業計画を示してそれを実行に移す作業が必要になるが、これまでのところ、日銀執行部は安定的なデフレ克服が見通せる状況になったとの見解を示しておらず、異次元緩和からの出口戦略を語るのは時期尚早との立場を崩していない。当面、その可能性は低そうだ。

第二に、米国においてすでに稼動し始めている金融政策正常化の流れは、この先日本国内でどれだけ「円安の功罪」に関する議論が盛り上がっても、それをほとんど考慮せずに淡々と進むことが想定される。

10月29日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で量的緩和の打ち切りが決定された結果、今月から米連邦準備制度による月間資産購入額は晴れて0ドルになった。今後、米国景気がよほど見事に腰折れしない限り、2015年中のどこかを「Xデー」として動き始めた「米ゼロ金利解除までのカウントダウン・タイマー」は着実に「残り0日」に向かって進んでいきそうだ。

米国の金融政策は雇用の最大化や物価の安定確保を目的に運営されており、ドル円相場の変動がそれらの国内目標達成の著しい障害になると認知されない限り、FOMCの政策判断に影響することはない。リーマンショック後に採用された量的緩和第1弾から第3弾に至る非常に強力な金融緩和の上塗りによって75円台までの円高が進行して日本が大騒ぎになっていたときでも、それを理由にFOMCが金融緩和の停止を議論した痕跡は全くなかった。この先、日本国内でどんなに「円安国患論」が強まったとしても、「これ以上のドル高・円安が進むと日本がかわいそうだから」という理由でイエレン議長以下のFOMCメンバーがすでに始動した金融政策正常化の流れを停止するとは思い難い。

<相場は弱者が困る方向へ動きがち>

第三に、既往のドル高・円安の進行を需給面から促してきた「実需の円売り・外貨買い超過」は、一部で強まる「円安国患論」には全く影響されることなく、日々マーケットに染み出ている。

「日本企業による生産拠点の海外移転や一部の日本製品の国際競争力低下の結果、為替相場が円安に振れても昔ほど日本からの輸出は伸びず、むしろ輸入価格上昇による悪影響の方が目立ちやすくなっている」というのが、最近よく耳にする「円安国患論」の主旨だが、これだけ円安が進んでも日本の貿易赤字がほとんど減っていないわけだから、そうした議論自体にあまり反論の余地はない。日本が恒常的な貿易収支の赤字(=輸入超過)国に転じた結果、貿易取引に焦点を当てれば、輸出サイドで受ける恩恵よりも、輸入サイドで発生する負担の方が国全体として大きくなっている可能性は高そうだ。

ただ、為替需給の現実に即して言えば、日本が恒常的な貿易赤字国に転落してしまったがゆえに、毎日市場に持ち込まれる「実需のドル買い超過」が定着してしまっている。結果的に、昨今の為替市場では円高局面で相場が膠(こう)着しやすい一方、円安局面では値動きが増幅されやすくなっている。

種々雑多な市場参加者の坩堝(るつぼ)である外国為替市場は、その性質上、「為替売買の自由度が乏しくて弱い立場にある人達」が困る方向にボラティリティーが高まりがちだ。自らの相場観に応じて特定通貨ペアの売買の別を自由に選べるヘッジファンドや外国為替保証金取引ファンなら、売買のスタンスをコロコロ変更できる。また、「いま手を出したら損をするかもしれない」と思えば売買そのものを休止するのも可能だ。だが、本業継続に必要な外貨決済を一定期間内に必ず行わなければならない輸出入企業は、たとえ当該時点のレベルでドル円を売買すれば損をすることが分かっていても回避できない。

よって、日本が貿易黒字国だった時代は円高局面でドルを安売りせざるを得ない輸出企業がドル安・円高を加速させて自分の首を絞めやすかったが、赤字に転じた最近は、輸入企業のドル買いが円安局面でのボラを上げる悪循環を加速しがちになっている。どんな値段でも必ずドルを買わざるを得ない日本の輸入企業は、国内外の仮需筋にとっては「良いお客さん」にされやすいからだ。逆説的な言い方になるが、日本が貿易赤字国になって円安のマイナス面が憂慮されるような状況になっているがゆえに、需給的には円安が加速しやすい構造になっているのが現実だ。

以上の考察を踏まえると、日米金融政策サイクルの違いと日本の国際収支の構造変化によって発生しているドル高・円安のトレンドは、最近日本で盛り上がり始めた「円安国患論」とほぼ関係なく、まだしばらくの間は続くだろう。日銀の「異次元緩和爆弾パート2」炸裂後に進んだ猛烈な円安は、さすがにスピード違反の疑いが濃厚だが、日米の金融政策や為替需給の環境変化を伴わない単純な円安行き過ぎ論の台頭だけでは、ドル高・円安の流れをせき止めるのは難しい。

安倍首相の消費増税先送り判断を受け、今後「悪い円安圧力」の蓄積が水面下で進む可能性を指摘する向きも増えているが、為替相場は人間界を飛び交う善悪論を超越した領域で動いている。「為替の神様」は、個々の市場参加者の想いや利害とは全く無縁の澄んだ世界から、今後も「覚めた啓示」を我々に与えてくれることだろう。

*植野大作氏は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト。1988年、野村総合研究所入社。2000年に国際金融研究室長を経て、04年に野村証券に転籍、国際金融調査課長として為替調査を統括、09年に投資調査部長。同年7月に外為どっとコム総合研究所の創業に参画、12月より主席研究員兼代表取締役社長。12年4月に三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社、13年4月より現職。05年以降、日本経済新聞社主催のアナリスト・ランキングで5年連続為替部門1位を獲得。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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