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フォトログ:ロシア軍砲撃で廃墟の住宅、身を寄せ合う高齢兄弟

[ポサド・ポクロフスケ(ウクライナ) 17日 ロイター] - ロシア、ウクライナ両軍の部隊がにらみ合う中間地帯に建っていた2軒の家は、砲撃でひどく損傷している。セントラルヒーティングも電力も途絶え、周囲の畑には多くの地雷が敷設され、耕作不能になっている。

 ロシア、ウクライナ両軍の部隊がにらみ合う中間地帯のポサド・ポクロフスケ村に建っていた2軒の家は、砲撃でひどく損傷している。それでも、コバリヨフ家のステパンさん、ボロディミルさん兄弟と各々の妻は家にとどまることを決意した。写真はウクライナの蒸留酒、ホリルカで乾杯するステパンさんとボロディミルさん。1月29日撮影(2023年 ロイター/Nacho Doce)

それでも、コバリヨフ家のステパンさん(80)、ボロディミルさん(77)兄弟と各々の妻は、ウクライナ南部の孤立した農村、ポサド・ポクロフスケにとどまり、どこよりもなじみ深い場所で余生を送ることを決意した。

簡単な話ではない。高齢の両夫婦の生活を支えるのはわずかばかりの国民年金、食料は親戚やボランティアに頼っている。

(写真左)ロシア占領下にあった数カ月間で破壊されたステパンさんの自宅。ポサド・ポクロフスケで1月27日撮影。 (写真右)自宅の屋内に立つステパンさんと妻のテチヤナさん(79)。ポサド・ポクロフスケで1月27日撮影。

ステパンさんと妻のテチヤナさん(79)は、かつて暮らしていたバンガローに隣接する地下室で生活している。バンガローの方は、ポサド・ポクロフスケ村の多くの建物と同様、戦闘によりほぼがれきと化してしまった。

1月末にこの村を訪れたロイターの取材に対して、ステパンさんは「私たちは80歳。これまで同じ畑でずっと働いてきた。今はお迎えが来るのを待つだけだ」と語った。「この先、他に何を待つことができるだろう」

ボロディミルさんとテチアナさん(76)は、自宅で1カ所だけ屋根が残っている部屋で眠る。

現在の住居である地下室で、暖房用ストーブにまきをくべるステパンさん。隣にはお茶を飲む妻テチヤナさん。ポサド・ポクロフスケで1月29日撮影。

欧州で第2次世界大戦後最大となる紛争が2年目に入ろうとする今、何万人ものウクライナ人がこうした困難に直面している。戦火が迫る中で、多くの人は前線に近い町村から避難した。だが、高齢者を含め、地元を離れることを拒んだ人もいる。

ヘルソン市から北西に約36キロメートル離れたポサド・ポクロフスケ村にロシア軍が到達したのは昨年2月25日。ロシアが「特別軍事作戦」と称する全面的なウクライナ侵攻を開始した翌日だった。

小さな集落を中心とする一帯は、対峙(たいじ)する両軍に挟まれ、容易に近づけない場所になった。

地面には今も弾薬箱や薬きょうが散在し、焼け焦げたロシア軍の戦車もある。一帯には地雷が敷設され、不発のミサイルが近所の地面に突き刺さっている。農地には深く狭い塹壕が蛇行し、崩れ去った家々が並ぶ。

夫のボロディミルさん、孫のスベトラナさん(21)のそばで、ろうそくをともすテチアナさん。自宅で屋根が無事なのはこの部屋だけだ。ポサド・ポクロフスケで1月30日撮影。

<戦火の下で>

ボロディミルさんは紛争の最中でも村を離れなかった。テチアナさんも、紛争初期に孫娘を連れて2─3週間離れただけだ。その後数カ月、激しい戦闘が続いたと2人は話す。昨年10月、戦車から発射されたと思われる砲弾が自宅に命中した。2人はその時屋内にいた。

「ひどい煙で、何も見えなかった」とテチアナさんは言う。「雨が降っていて、屋根の一部が崩落してしまった」

この戦闘は、ちょうどこの地域でウクライナ側が反撃に出た時期に当たる。この反撃により、最終的に11月初めにはロシア軍はドニプロ(ドニエプル)川対岸まで押し戻された。ロシアのプーチン大統領にとっては、これまでで最大の後退となった。

(写真左)損傷を受けた自宅の玄関に立つボロディミルさん、テチアナさん、夫妻と共に暮す孫のスベトラナさん。ポサド・ポクロフスケで1月26日撮影。 (写真右)食料配給所に向けて自転車を押すボロディミルさん。ポサド・ポクロフスケで1月26日撮影。

隣の通りでは、5月の戦闘で自宅を破壊された兄ステパンさんとその妻テチヤナさんが地下室に避難していた。

2人はその後まもなくポサド・ポクロフスケ村を離れ、折に触れて、自分たちの土地や弟夫婦の様子を確認するために村を訪れていた。

ウクライナ軍の反撃が成功し、ロシア軍が撤退してまもなく、ステパンさん夫婦は村に戻った。だが、2人が飼っていた牛4頭や数多くの鶏、豚は姿を消していた。侵攻前、2人は大麦と野菜を育てていた。現在は地雷や不発弾のせいで畑に立ち入るのは危険だ。

損傷を受けた自宅の前で飼い犬の小屋を修理するボロディミルさん。ポサド・ポクロフスケで1月26日撮影。

ステパンさん夫婦の住居となったのは、すでに亡くなった息子のアレクサンドルさんが食物貯蔵庫として作った地下室だ。在宅中はロウソクをともしている。

地下室に入るには、がれきの上に雪がうっすらと積もった庭から狭い階段を下りる。

つらい日々が続く。ボロディミルさんは自転車で近所の店に食料品を買いに行き、時折、慈善団体による支援物資で補う。夫婦はまきを割ってストーブをたき、水は屋根から落ちる雨水をバケツにためるか、発電機が動いていれば村内の井戸からくんでくる。

屋根が無事に残る最後の部屋で、自分のグラスにウクライナの蒸留酒ホリルカを注ぐボロディミルさん。ポサド・ポクロフスケで1月26日撮影。

ボロディミルさんとテチアナさんの孫娘スベトラナさんはすでに成人しており、障害を抱えつつ、牛1頭とおんどりの世話を手伝ってくれる。

2組の夫婦はあまり人付き合いをしないが、ステパンさん、ボロディミルさん兄弟は、ウクライナの蒸留酒であるホリルカを少しばかり一緒に楽しむことがある。

ロイターが、ステパンさん、テチヤナさん夫妻が地下室に座っているところを撮った写真が1月はじめ、ゼレンスキー大統領のインスタグラムで紹介されたことを知らせると、2人は驚いた表情を見せた。

「すると、プーチンに私たちの場所がばれてしまったのか」とステパンさんは冗談を言った。

(Nacho Doce記者、翻訳:エァクレーレン)

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