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焦点:米国初の女性大統領か、ヒラリー・クリントン氏の横顔

[ワシントン 6日 ロイター] - ファーストレディ、上院議員、そして国務長官──。ヒラリー・クリントン氏の経歴は、これまで米大統領の座を目指した候補者のなかでも随一と言える。ただその一方、評価の分かれる人物でもあり、政府関係者として、数十年に及ぶ政治的なしがらみを引きずっている。

 11月6日、ファーストレディ、上院議員、そして国務長官──。民主党のヒラリー・クリントン候補の経歴は、これまで米大統領の座を目指した候補者のなかでも随一と言える。写真は4日、ピッツバーグの集会で演説するクリントン氏(2016年 ロイター/Brian Snyder)

8日に迫った米大統領選挙で民主党のヒラリー候補(69)が共和党のドナルド・トランプ候補(70)を破れば、同国初の女性大統領の誕生となる。彼女はすでに、選挙を経て公職に就いた唯一のファーストレディであり、米主要政党から大統領候補として指名された最初の女性でもある。

ヒラリー氏が大統領選に名乗りを上げたのは2008年が最初だが、バラク・オバマ氏に敗れ、民主党の指名を得られなかった。

彼女の政界活動時期は、激しい党派対立が見られ、米国社会でも亀裂が広がった時代と重なる。ヒラリー氏に関する米国民の見解は劇的なまでに多岐にわたっている。

同氏の崇拝者は、彼女をタフで有能な、そして時には刺激的な指導者であり、彼女を蹴落とそうとする政敵の容赦ない攻撃に耐えてきたと考えている。しかし彼女を悪く言う人々は、無節操で権力欲の強い日和見主義者だと見ている。

2016年の大統領選に出馬したヒラリー氏は民主党の本命候補とみなされていたが、主流派であり、数十年にわたり政界に関与してきた筋金入りのインサイダーだった。しかし昨今では、有権者はどうやらアウトサイダーに魅了されているようなのだ。

ヒラリー氏は、自ら社会民主主義者を名乗るバーニー・サンダース上院議員による予想外に手強い挑戦を苦労して退け、7月に民主党の候補指名を獲得した。

ヒラリー氏は数十年に渡り、党内の保守派、そして共和党の政敵たちと戦い続け、夫ビル・クリントン氏の不倫問題、彼を大統領職から追い落とそうとする共和党の攻撃、過去のビジネス取引や国務長官時代の私用メールサーバー利用問題に関する捜査といった論争を切り抜けてきた。ビル・クリントン氏が大統領在職時の1998年に「右翼の大掛かりな陰謀」に異議を申し立てたのは有名である。

民主党員の多くは、国内外での女性の地位向上、社会正義、医療保険拡大の先頭に立つヒラリー氏を支持しているが、世論調査を見ると、米国の有権者の過半数は彼女を信頼していないようだ。

ヒラリー氏は競合候補であるトランプ氏に関して、自分の大統領選出馬は、この不動産開発業者がアメリカ民主主義に突きつけた類を見ない脅威に対する防壁である、と表現している。

2009年から2013年にかけてオバマ現大統領のもとで国務長官を務めたヒラリー氏は、シリア及びリビアでの内戦、イランの核開発計画、中国の台頭やロシアの自己主張への対処、イラク戦争の収拾、アフガニスタン派遣部隊の縮小、失敗に終わったもののイスラエル・パレスチナ間の紛争調停に取り組んだ。

2015年10月、ヒラリー氏は米議会における11時間に及ぶ厳しい公聴会において、2012年に発生したリビアのベンガジでの武装勢力による襲撃で米国大使が死亡した件への対応について共和党からの批判に応戦していたが、このとき彼女はすでに大統領選への歩みを始めていた。

この2015年の公聴会、そしてまだヒラリー氏が国務長官の座にあった2013年1月の公聴会では、上記の攻撃に関連して、国務省にセキュリティ上の過失があったのではないかという主張が焦点となった。

<「私をどう判断するか」>

ライバルたちやメディアに対する不信感ゆえに、ヒラリー氏は以前からずっと、隙を見せない姿勢を維持している。

2016年に民主党の候補指名を受諾する際、「実のところ、公務に就いていた年月、私にとって常に、『公(的)』という側面に比べれば『(任)務』そのものは楽だった」と同氏は述べた、「一部の人は私という人間をどう判断すべきか分かっていないだけなのだということが理解できた」

このときの党大会で、オバマ大統領はヒラリー氏の経験の豊富さに触れ、「男女の別を問わず、私であれビル(・クリントン)であれ、ヒラリーほど合衆国の大統領を務めるにふさわしい人物はいない」と述べた。

共和党側は、ヒラリー氏は国務長官時代に私用メールサーバーを介した通信を行うことで法律違反を犯していたと批判している。米連邦捜査局(FBI)のコミー長官は7月、ヒラリー氏が電子メールで機密情報を扱ううえで「非常に不注意」であったと述べたが、オバマ政権下の司法省は、刑事告訴は行わないという同長官の勧告を受け入れた。

ヒラリー氏は9月26日に行われたトランプ氏との討論会のなかで、私用メールサーバを使ったことは、自分が責を負うべき「失敗」であると述べ、「もう一度同じことを行う必要が生じたら、もちろん、方法を変える」と語った。

10月28日、コミー長官が議会に対し、捜査の過程でFBIが新たに発見した電子メールについて捜査を進めているが、その重要性は明らかではないと伝えたことで、この問題が再燃した。

トランプ氏はヒラリー氏のメール問題をめぐる捜査を好機と捉え、「嘘つきヒラリー」と嘲った。トランプ氏は、自分が大統領に選出されたらヒラリー氏を刑務所に送り込みたいと述べ、支持者に「彼女を監獄へ」と唱和するよう促した。

ヒラリー氏はトランプ氏のことを、人種差別主義者、憎悪煽動者、性差別主義者、脱税者、そしてロシアのプーチン大統領の崇拝者であり、大統領及び米軍最高司令官を務めるにはふさわしくない人物だと評している。

10月19日の討論会で、ヒラリー氏が、自分の提案する富裕層への増税が実施されれば、トランプ氏はその税を逃れようと試みるだろうと断じると、トランプ氏は「実に嫌な女だ」と応じた。

<ルーツは中西部>

ヒラリー・ロッダム・クリントン氏は、1947年10月26日、シカゴで、中小企業オーナーである父親(彼女によれば「融通のきかない自助努力タイプの保守的な共和党員」)と、密かに民主党を支持していた母親のあいだに、3人の子どもの長子として生まれた。

ヒラリー氏は、父親からは特徴的な笑い声(彼女によれば「大きく轟くようなバカ笑い」)を受け継いだと言う。米国民にはおなじみとなった笑い声だ。

公立学校で教育を受けたあと、1965年にマサチューセッツ州の名門女子大のウェルズリー大に入学。学内では、共和党学生組織のリーダーに選ばれた。

ウェルズリー大の卒業生総代として行ったスピーチの冒頭で、先にスピーチを行った上院議員によるコメントに対して即興で反駁し、注目を集めた。

彼女の政治的な意見は、1960年代の公民権運動とベトナム戦争のなかで変化していった。リチャード・ニクソン氏が大統領候補指名を受けた1968年の共和党大会には参加したが、その後まもなく民主党に転じた。

イエール大のロースクールで自分と同じように野心的なアーカンソー出身の学友、ビル・クリントン氏と出会い、交際を始める。その後ワシントンに移り、ニクソン大統領に対する弾劾運動に関する議会委員会で働いた。ニクソン大統領は1974年、ウォーターゲート事件のなかで辞任する。

その後アーカンソー州に移り、1975年にビル・クリントン氏と結婚、一流の法律事務所に採用される。夫は政界に入り、1978年には32歳で州知事に選出される。夫妻のもとには1980年、1人娘のチェルシーさんが生まれた。

アーカンソーのファーストレディとなった彼女は、州都リトルロックで影響力のある弁護士であり、ウォルマートの社外取締役も務めた。

大半の米国民にとって、ヒラリー氏を初めて知ったのは、彼女の夫が1992年に民主党の大統領候補指名をめざして出馬したときである。ビル・クリントン氏は、自分を選べば有権者は「1人分の値段で2人手に入れる」ことになると発言。

彼女自身も臆することなく、自分は「家に残ってクッキーを焼いているような」女性ではないと述べた。

ジェニファー・フラワーズという名の女性が、ビル・クリントン氏の選挙遊説中の不倫行為を告発したとき、ヒラリー氏は夫と共にテレビ出演し、米カントリ―歌手タミー・ワイネットの曲「スタンド・バイ・ユア・マン」に言及した。

「私はここにただ座っているだけではない。タミー・ワイネットが歌っているように、1人の女性として、私の彼を支えて立っている」と述べ、夫を愛し、尊敬していると付け加えた。「もしそれでも皆さんが十分でないと思うなら、彼に投票しなければいいだけの話だ」

保守派の論客は彼女を、過激なフェミニストで伝統的な家族観を脅かすと評した。

<ホワイトハウスでの論争>

ビル・クリントン氏は1992年11月、現職の共和党ジョージ・H・W・ブッシュ大統領を破った。ヒラリー氏は1993年から2001年までファーストレディの座にあったが、従来のファーストレディと異なり、異常なほどの力を注いで政策に関与していった。

彼女が医療制度改革に対する議会の承認を勝ち取ろうと努力したものの結局失敗したことを指して、批判派はこの改革を「ヒラリーケア」と揶揄した。

1995年に中国において開催された国連主催の世界女性会議で、彼女は「人間の権利は女性の権利であり、女性の権利は人間の権利である」と宣言した。

クリントン夫妻は過去のビジネス上の取引に関して長期にわたる捜査を受けたが、結局、刑事告発は行われなかった。ホワイトウォーターと呼ばれる不動産開発会社が捜査の対象となり、独立検察官による捜査へとつながり、後にその捜査はホワイトハウスの研修生モニカ・ルインスキーさんとビル・クリントン氏との性的関係にまで及んでいった。

アーカンソー時代からのクリントン夫妻の親友であり、ホワイトウォーター疑惑にも登場するビンス・フォスター大統領次席法律顧問は、1993年、射殺体で発見された。彼の死は自殺と判断された。

2003年の回想録でヒラリー氏は、「陰謀論者と捜査官たちは、ビンスが『ホワイトウォーター疑惑について彼が知っていること』を隠蔽するために殺されたのだと証明しようとしていた」と厳しく批判している。

2000年、独立検察官の捜査は、クリントン夫妻がホワイトウォーター社に関して何らかの犯罪的行為に関与していたことを示す十分な証拠はないと結論づけた。

これに先立ち、1998年12月には共和党優位の連邦議会下院が、クリントン大統領がルインスキーさんとの関係を隠蔽するため虚偽の宣誓供述を行い、司法を妨害する「重罪及び不品行」があったとして、米国史上2回目となる大統領弾劾訴追を決議した。

共和党優位の上院で行われた弾劾裁判は1999年2月、クリントン大統領の無罪を決定した。ヒラリー氏はこの弾劾訴追を、「ソ連式の見せしめ裁判」を伴う共和党の権力乱用であり、「議会によるクーデタの企て」を非難した。

その一方で彼女は、ルインスキー事件に関して「ビルの首を絞めてやりたいと思った」と述べ、プライベートでは彼を叱責。しかし結局、2人でカウンセリングを受けた後、彼女は今も夫を愛しており夫婦関係を維持することに決めたという。

2003年の著書「リビング・ヒストリー」のなかで彼女は、「私に分かっているのは、ビルほど私を理解し、私を笑わせてくれる人はいないということだけ」と書いている。

その後まもなく、ヒラリー氏自身も、選挙による公職の座を目指した。公式にニューヨークの住民となるためにチャパクアに住居を購入した。夫が大統領を退任した2001年1月、彼女は米上院議員に当選し、2009年まで議員を務めた。

2008年に民主党の大統領候補指名をめざして出馬したときは本命と見なされていたが、当時のオバマ上院議員が指名を獲得し、共和党のジョン・マケイン候補を破り、黒人初の大統領に就任した。

2016年、オバマ大統領はトランプ氏と争うヒラリー氏を熱烈に応援している。

「ヒラリーが他の人々と違うのは、この間ずっと前進を続け、配慮することをやめず、努力をやめなかったことだ。たとえ私たちが必ずしも評価しなかったときでも、彼女は私たちのために戦うことを決してやめなかった」と、9月に行われた集会でオバマ氏は語った。

(翻訳:エァクレーレン)

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