[東京 21日] - 安保一色から経済重視へ回帰した安倍政権に必要なのは、政策の「リセット感」だと、竹中平蔵・慶応義塾大学教授は指摘する。具体策としては、公共インフラ運営を民間に委ねるコンセッション方式を活用した東京・大阪間リニア新幹線開通など、スケールの大きな政策論議の必要性を説く。
同氏の見解は以下の通り。
<国税庁と年金機構を統一し、歳入庁新設を>
2016年は、アベノミクスのリセットがうまく行くかが問われる年だ。リセットには、2つの側面がある。1つは、14年4月の消費税増税後に落ち込んだ経済の仕切り直し。もう1つは、世間に映る政策論議の印象を安保一色から経済重視に引き戻すことだ。
実は、このいずれのリセットボタンも15年後半にすでに押されているが、「リセット感」はまだ十分に出ているとは思えない。
例えば、名目国内総生産(GDP)600兆円目標を掲げるのは良いが、これは従来の成長率目標(実質2%・名目3%程度)を言い換えただけに過ぎない。名目3%成長を6年続けたら、現在500兆円のGDPが1.2倍の600兆円になるのは自明の理だ。
また、法人減税の前倒しが話題になっているが、現在32%台の実効税率を29%台へ引き下げることは、国際標準に照らせばマイナーチェンジだ。さらに、政府が企業に賃上げや設備投資の拡大を求めるのは自由だが、企業が現預金をため込んでしまうのもデフレ下では合理的な経営判断だったからだ。この姿勢は今後物価が上がってくる中でおのずと変化するだろうが、国内に振り向けられるかは、ひとえに投資機会の多寡にかかっている。
残念ながら、構造改革によって投資機会を創出する努力を政府が十分に行っているとは思えない。特区レベルの取り組みで例外はあるが、農業・医療・福祉など様々な分野で民間の活力を阻む壁は依然として多い。民間主導の好循環を生むためには、今以上の規制緩和で投資機会を大きく増やしていくことが求められる。
一方で、財政や社会保障に対する不安も払拭(ふっしょく)しなければならない。はっきり言って、歳出削減に向けた流れは、小泉政権時と比べて大きく後退したままとなっている。小泉政権下の「骨太の方針2006」では、歳出にキャップ(上限)を設けた。しかし、アベノミクス下では単年度のキャップは財政の硬直的な運営を招くとの批判もあり、18年度に中間目標を設け、いわば複数年で緩やかなキャップを設けた形になっている。
緩やかなキャップしか設定できないのであれば、歳入面でやるべきことがあるだろう。例えば、税や社会保険料の徴収漏れ対策だ。
実は、日本には広義の税である社会保険料も含めると数兆円規模の徴収漏れがあると言われている。せっかくマイナンバー制度を導入したのだから、将来的に国税庁と日本年金機構を統一して歳入庁を新設し、この問題の解決にあたるぐらいの構想力が欲しい。
特に首相直属の経済財政諮問会議には、マクロ経済運営の王道を行くようなスケールの大きな政策論議を期待したい。それができれば、本当の意味でのリセットができると思う。
<五輪後にらみ官民共同でリニア新幹線整備>
もう1つ、リセット感につながるスケールの大きな構想として、供給力の強化をもたらす国家プロジェクトを提唱したい。公共インフラの運営権を民間に売却するコンセッション方式を活用したリニア中央新幹線整備計画だ。
JR東海は、リニア新幹線について27年にまず東京(品川)―名古屋間、45年に大阪までの延伸開業を目指すとしているが、悠長すぎるように感じる。一企業に荷が重いならば、名古屋から先は公共事業として整備し、その運営を民間に委ねる手法も検討の余地があるだろう。そのうえで、27年の東京―大阪間の全面開業を目指せば良い。
これは、20年の東京五輪後の日本経済を考えるうえでも、期待をつなぐ目標となるのではないか。振り返れば04年のアテネ五輪後、ギリシャには財政赤字が残った。それを見た英国は12年のロンドン五輪に向けて「レガシー」という言葉を使い、五輪後に何を残すかを考えた。そして国際会議や展示会などMICE(マイス)に対応した都市づくりを進め、実際、ロンドンは今やMICEの先進地となっている。
日本も五輪後にますます厳しい財政状況が予想されるのだから、民間の活力を生かしつつ期待をつなぐための大きな仕掛けを今から考えるべきではないか。リニアが難しいと言うならば、例えば人口20万人以上の全都市にコンセッションを義務づけるのはどうか。大きな金額が動くだけでなく、「行革」の側面も持ち得る。
こうした構想は、絵に描いた餅とは思わない。国家戦略特区でもすでに進展はある。農業分野に企業が続々と参入している兵庫県養父市や、国内では事実上38年ぶりとなる医学部新設が決まった千葉県成田市などはその好例だ。
また、コンセッションについても、仙台空港と関西・伊丹空港の引き受け主体が決まったほか、上下水道や高速道路でも計画が具体化している。このうち関空のケースは、世界的に見ても大きな規模だ。こうした動きが加速すれば、リセット感は高まるだろう。
<TPPは最高の安全保障、日本は先行批准も選択肢>
最後に重要な点を言い添えれば、15年に環太平洋連携協定(TPP)が大筋合意に至ったことは、安倍政権の大きな成果だ。
世界では今、いくつもの「メガFTA(自由貿易協定)」構想がしのぎを削っている。米国と欧州連合(EU)の間で進む環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)協議や、日中韓FTA構想、そして東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国に日中韓、インド、オーストラリア、ニュージーランドを加えた東アジア地域包括的経済連携(RCEP)構想、さらに旧来からある北米自由貿易協定(NAFTA)や南米南部共同市場(メルコスール)の新たな動きも加わり、複雑な様相を呈している。
こうした状況下で、日米が中心となって先陣を切り、世界のGDPの4割を占める地域において、投資や国有企業、労働・環境など幅広い分野のルールづくりで大筋合意したのは、文字通り画期的なことだ。
TPPは自由貿易促進という経済的なメリットだけでなく、それ以上に、地政学的に重要な意味を持つ。なぜなら、相互の投資が進み、地域内で深いサプライチェーンが整備されれば、切っても切れない最高の安全保障関係になるからだ。
ただ、不安があるとすれば、16年に大統領選を迎える米国で議会承認が難航する可能性があることだろう。万が一、米国が批准できないような事態に陥れば、同国のアジア太平洋地域に対するコミットメントが揺らぎ、影響力が低下するのは必至だ。
実は米国は、はしご外しの常習犯でもある。古くは第1次世界大戦後、当時のウィルソン米大統領が国際連盟の創設を提唱したものの、米議会の反対で加盟できなかった。近年では、京都議定書の未批准や国際通貨基金(IMF)改革の批准の遅れが記憶に新しい(IMF改革は12月18日に米議会がようやく承認)。
この点について安倍政権にできることは限られるが、場合によっては、日本が先行して批准するのも米国に対するプレッシャーとしては有効だろう。日本は交渉参加まで2年かかった。言い換えれば、予備期間が2年あったので、TPP批准は米国に比べればハードルが低いはずだ。世界の新たな通商体制をけん引するチャンスを日本は逃してはならない。
*本稿は竹中平蔵氏へのインタビューをもとに、同氏の個人的見解に基づいて書かれています。
*竹中平蔵氏は現在、慶應義塾大学教授・グローバルセキュリティ研究所所長。1951年和歌山県和歌山市生まれ。一橋大学経済学部卒。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)などを経て慶大教授に就任。2001年小泉内閣で経済財政政策担当大臣。 02年経済財政政策担当大臣に留任し、金融担当大臣も兼務。04年参議院議員当選。05年総務大臣・郵政民営化担当大臣。現在、政府産業競争力会議の民間議員、国家戦略特別区域諮問会議の有識者議員を務める。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの特集「2016年の視点」に掲載されたものです。
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