[シンフェロポリ(ウクライナ) 27日 ロイター] -クリミア自治共和国の首都シンフェロポリでは、大勢の住民がロシアの国旗を手に取り、ロシアへの復帰を求めて連日デモを行っている。いまやクリミアは、ウクライナ新体制に反対する人々にとって「最後の砦」となっている。
ヤヌコビッチ政権の崩壊は、大統領の政権基盤だった東部のロシア語圏も含め、ウクライナのほぼ全土で受け入れられている。しかし黒海にせり出したクリミア半島だけは新体制を認めようとしていない。
クリミア半島はロシア系住民が多数を占める戦略上の要衝で、ロシア黒海艦隊の基地もある。そして今、ウクライナの未来をめぐるロシアと欧米諸国のせめぎ合いの舞台となっている。
クリミアは1954年、ソ連のフルシチョフ書記長が、同じソ連邦を構成するロシアからウクライナに割譲した土地だ。そして今、ウクライナからの分離を画策する勢力が、ヤヌコビッチ政権崩壊後の混乱に乗じてロシアへの復帰を求めており、クリミア自治共和国の首都シンフェロポリでは、これを阻止しようとする勢力との間で緊張が高まっている。
米政府はロシアに対し、ウクライナへの武力介入は地域紛争につながりかねないとして自制を求めている。しかし、ロシアのプーチン大統領は26日、黒海艦隊の母港があるセバストポリの安全を維持するためとして西部軍管区での警戒態勢を命じ、早速力を誇示する動きに出た。
分離を求める勢力は、ロシアの介入を求める絶好の機会ととらえている。軍服を身にまとい、セバストポリでロシア支持のデモに参加していた退役軍人のDaniyel Romanenkoさん(73)は「ついにロシアに復帰する機会を与えられた」と語った。
<暴民政治>
親欧派を警戒するクリミアのロシア系住民によるデモは、ウクライナ議会がヤヌコビッチ大統領の追放を決めた22日以前から続いていた。
ロシア政府にもほとんど人気はなかったものの、同国はヤヌコビッチ氏を支援してきた。しかし、同氏が追放されたことで、ロシアのウクライナに対する影響力は低下。これにより、100万人を超すクリミアのロシア系住民は不安を募らせ。その多くが文化的・宗教的に結び付きが強いロシアの保護を求めている。
さらに、新政府がウクライナ語を唯一の公用語とする決定を下したことで、ロシア語を母国語とするクリミアの人々の怒りは増した。「ウクライナに正当な政府はない。だから自らの身は自らで守るしかない」と、ウラジミールというビジネスマンは語る。
クリミアの分離派は23日、デモの過程で挙手による投票を行い、ロシア人実業家のAlexeiChaly氏を事実上のセバストポリ市長に選出した。その翌日、市庁舎の前には大勢の群衆が詰めかけ、新市長の選出を支持した。
その後もクリミアの分離を求める声は日に日に高まり、この地域で権力の移譲がいかに難しいかを物語っている。
<ウクライナ国民の間にできた溝>
さらに首都キエフでヤヌコビッチ政権を打倒したデモ参加者が分離派の討伐にやってくるのではないかとのうわさが流れ、自衛組織を結成する動きもある。関係者によると、セバストポリだけでおよそ3000人が入隊し、退役軍人や治安部隊「ベルクート」に所属していたメンバーが若い隊員の訓練に当たっているという。ベルクートはキエフのデモ隊に発砲したとして、クリミア以外で嫌悪の対象となっている部隊だ。
「騒乱を起こそうとクリミアにやってくる武装した犯罪者から、自分たちの身を守らなければならない」と語るのは、ロシア系住民の利益を代表する政党の指導者Gennady Basov氏だ。
Basov氏の政党はロシアとの統合を主要な方針に掲げていない。しかし、ウクライナをロシア語圏である東部と、ウクライナ語圏である西部に分割することは、経済的にも文化的にも理にかなったことだと考えている。
Basov氏は「ウクライナの経済的な強みはほとんど東部に集中している。東部では住民がちゃんと働いている。西部ではキエフに行ってデモをしているだけだ」と吐き捨てた。ロシア系住民が首都で続いた反政府デモに参加した西部住民を蔑視していることを示すとともに、デモがウクライナ国民の間に深い溝を作ったことを物語っている。
そもそもクリミア半島は、狭い所で幅わずか5キロメートルほどの地峡で結ばれているだけで、ロシア系住民はウクライナ本土との共通点をほとんど感じておらず、そうした感情はこれまで以上に膨らんでいる。
保守系政党の幹部であるLeonidPylunskyyさんは、クリミアの人々にとってウクライナの政変は「革命」ではなく、単に欧米諸国の影響によるものと感じていると話す。「彼らにとっては、追放された腐敗した政権よりもバリケードを組んでいたデモ隊の方が、はるかに大きな敵だ」と指摘する。
<反ロシア勢力も>
しかし、クリミアの住民の全てが親ロシアというわけではない。それは、26日にシンフェロポリの議会前で親ロ派と親欧派の小競り合いが発生したことからも分かる。
クリミア半島はもともと様々な民族が複雑に交じり合った土地だが、イスラム系のタタール人はロシアとの統合に脅威を感じている。タタール人はかつて、スターリンによって中央アジアやウラル地方へ強制移住させらたが、今ではクリミアに戻った人も多い。
「1783年に我々はロシア帝国の支配下に落ち、そこから民族の悲劇が始まった。ロシア系住民はプーチンの方を向いているが、私たちはウクライナへの残留を望む」と、タタール人の代表を務めるRefat Chubarov氏は語る。
同氏によると、ロシア系住民は危機をあおるために周到な計画を用意しているという。クリミアで民族間の紛争や、ロシア系住民に対する深刻な脅威が発生すれば、ロシア軍部隊が侵攻してくるのではとの憶測を呼んでいる。同氏は「私の考えが間違っていればよいが、ロシアが侵攻を決定することは十分にあり得る」と指摘する。
<繰り返される戦争の歴史>
クリミアは歴史的に、スキタイ人、ギリシャ人、ゴート人、フン族、ブルガリア人、ハザール人、キプチャク族、トルコ人、モンゴル人が居住したり、攻め入ったりした。また、ロシア帝国に編入されるはるか以前には、ローマ帝国やビザンチン帝国の領土だった。
第2次世界大戦中はナチスドイツに占領されたクリミアをめぐって激しい戦闘が起き、クリミア戦争ではロシアが英国やオスマントルコなどの連合国に敗北した。
イゴールと名乗る26歳のビジネスマンは「私たちは戦いを繰り返してきた。トルコと戦い、英国と戦いドイツと戦い、そして今回だ」と話した。
(Alessandra Prentice記者、翻訳:新倉由久、編集:橋本俊樹)
*写真を変更して再送しました。
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