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アングル:世界を一変させた原爆投下、「広島」から75年

[4日 ロイター] - 米国が1945年8月6日に広島に投下した原爆で、数万人が死亡し、街は一瞬にして焼き尽くされた。

8月4日、米国が1945年8月6日に広島に投下した原爆で、数万人が死亡し、街は一瞬にして焼き尽くされた。写真は広島の爆心地近くで撮影された写真。米国防総省/空軍省提供(2020年 ロイター)

この原爆、通称「リトルボーイ」は、原子を結合するエネルギーを放出するためのメカニズムを物理学で解明し、何年も研究した末に完成されたものだ。

インタラクティブ版:原爆投下から75年―閃光、そして世界が一変した

投下前に1度だけ行われた実験では、その重大さに、開発計画の主任科学者の1人だったロバート・オッペンハイマーは、ヒンドゥー教の聖典のこんな言葉を思い起こしたという――「今や私は死となり、世界を滅ぼす者となった」。

概念は単純だった。ウランやプルトニウムなどの核分裂物質を十分な量、十分な速度で衝突させると、核分裂物質が急速に「臨界量」に達し、放出された中性子が連鎖的に核分裂を引き起こす。

各原子の失われた質量は、驚異的に高い効率でエネルギーに変換される。「リトルボーイ」に搭載されたウラン64kgのうち、核分裂を起こしたのはわずか1.09kg。にもかかわらず、ロスアラモス国立研究所の計算によると、トリニトロトルエン1万5000トンが爆発した際の破壊力に匹敵するという。

上空約580メートルで炸裂したリトルボーイにより、広島市は約2.6平方キロメートルが壊滅。その範囲ではほぼ全員が即死した。もっと離れた場所でも、爆弾の熱で建物や人が燃え、有害な放射線が発生した。

街中で火災が発生し、急性放射線障害の患者は史上最多となった。最終的に10万人が死亡し、建物の半分以上が廃墟と化した。

<「リトルボーイ」誕生>

1930年代後半にドイツの科学者が発見した核分裂反応を、米国は兵器化する計画を進めた。それは「マンハッタン計画」と名付けられた。

主導したのは米陸軍。科学者から建設作業員まで、ピーク時には10万人以上が参加したとされる。

科学者らはまず、原子炉を造った。場所はシカゴ大学構内にあるフットボール場の観客席の下。「シカゴ・パイル(シカゴの山)」と呼ばれたこの原子炉は1942年、制御しながら核分裂反応を起こせることを証明した。現在の原子力発電所の中核的な仕組みだ。

1956年、2つ目の原子炉「シカゴ・パイル2号」が地中に埋められた。その上には、記念碑が置かれている。米連邦政府撮影。

天然ウランから、核分裂性のあるウラン235を分離・濃縮する競争が始まった。もう1つの核分裂性物質であるプルトニウムは、1940年にカリフォルニア大学の研究チームが分離に成功した。一方で科学者らは、爆発に必要な瞬間的な臨界量をどう作り出すのが最善かを考えていた。

科学者らは2つのやり方を考案した。1つは、ウランのかたまりにもう1つのかたまりをぶつけて核分裂連鎖を起こす方法。2つ目は、球状のプルトニウムを爆発によって圧縮して核分裂連鎖を起こす方法だ。前者は1945年8月6日、広島に落とされた「リトルボーイ」。後者は同年8月9日、長崎で7万5000人もの死者を出した「ファットマン」だ。

新兵器の開発は、数年どころか数十年かかることもある。爆発により圧縮を起こすタイプの爆弾を試した「トリニティ実験」が行われたのは1945年7月16日。原子炉シカゴ・パイルの建設から2年も経っていなかった。

それから1カ月も経たずに実際に使用された。

<核実験>

第2次世界大戦以来、核兵器で他国を攻撃した国はない。しかし、少なくとも8つの国が核兵器を開発し、科学者たちがより強力な核融合兵器、いわゆる「水爆」を含めた新しい兵器を理論化していく中で、世界中で実験が行われるようになった。オッペンハイマーがニューメキシコ州の砂漠でトリニティ実験の火球を見て以降、2000回以上の核実験が行われた。

実験の多くは長らく大気圏内で行われた。宇宙空間で行われたものもあった。その他の実験は爆風を封じ込め、放射性降下物の拡散を防ぐために地中で行われ、地下深くに設けられたトンネルで起爆された。

オーストリアの非政府組織オープン・ニュークリア・ネットワークのメリッサ・ハナム副ディレクターは、「核技術は容易になってきている。もはや新しい技術ではなく、保有してない国や国家ではない集団でさえも、秘密裡に核開発を行うことが可能だ」と話す。

<人間の生活に影響>

核実験は人間にも影響を及ぼす。大気圏内で実施された初期の実験では、計画通りに事が進んだ場合でも大気中に放射性物質をまき散らし、何百キロも離れた場所にまで拡散させてしまう恐れがあった。

実験が失敗に終わった場合は、壊滅的な結果を招いた。1954年にアメリカで行われたキャッスル・ブラボー実験は、5メガトン兵器の設計を評価するためのものだった。だが装置は15メガトンの出力で爆発し、多くの実験機材が一瞬にして消滅、大気中に放射性降下物を拡散した。その数時間後、日本の漁船・第五福竜丸に放射能が降り注いだ。被ばくした乗組員23人全員が放射線障害に苦しみ、1人が死亡した。

米国が大気圏実験の大半を行っていた南太平洋の環礁では、多くの地元住民が土地を追われた。

「ウランの採掘や核関連物質の廃棄処分、核実験はしばしば先住民の土地で行われ、作業を行う人々や地元の人々は健康、環境、経済的なダメージを受ける」

オープン・ニュークリア・ネットワークのハナム副ディレクターは指摘する。

ハナム氏は、「核兵器の実験が行われている世界のほぼすべての場所で、先住民族は不当に大きな影響を受けている」と述べた。

<今も1万4000発>

広島に原爆が投下されてから75年が経過した今、世界の兵器庫には多数の核弾頭が眠っており、爆撃機やミサイルに搭載して使用可能な状態にある。米ワシントンにある軍備管理協会の推計によると、核兵器は1万4000発近くあり、米国とロシアが最も多い。米国が6185、ロシアが6490と圧倒的に多いが、このうち実戦すぐに使用できるのは3分の1程度だ。

こうした「配備済み」の核兵器は、2011年にロシアと米国が批准した新戦略兵器削減条約(新START)によって数が制限されている。冷戦のさなかには、その数倍の弾頭を保有していた。

そのほか核兵器を保有するのは、英国、中国、フランス、インド、イスラエル、パキスタン。南アフリカは1980年代に核兵器を開発したが、10年経たずに解体を決定。国際原子力機関(IAEA)は1994年、すべての核兵器が廃棄されたことを確認した。

<抑止力は永遠か>

ロシアは2018年、核弾頭を搭載して水中を自律航行する「ポセイドン」を開発したと発表した。ロシア当局者によると、出力数十メガトンの核弾頭を相手都市のすぐ沖合まで静かに運搬できる。

米国は核兵器に年間500億ドル近くを費やしている。2020年、トランプ政権は核実験の再開を模索していると報じられた。

核保有国同士の中国とインドは国境紛争が流血の事態にまでエスカレートし、北朝鮮は核弾頭を搭載できる潜水艦の建造を進めている。

それでもこの75年間、核戦争は起きなかった。

米ミドルベリー国際大学院東アジア不拡散プログラムのディレクター、ジェフリー・ルイス氏は「核の惨状は白黒写真の中だけのもの、と油断している人が多いのではないかと心配している」と話す。

「問題は、核抑止力が永遠に機能するかどうか。私はあまり確信が持てない。私たちの運は、いずれ尽きるということだ」

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