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コラム:1ドル140円視野、それでも通貨危機との見方に違和感=尾河眞樹氏

[東京 28日] - 日銀の黒田東彦総裁は、6月17日に行われた金融政策決定会合後の記者会見で、イールドカーブコントロール(長短金利操作、YCC)の下での長期金利の許容変動幅拡大は「考えていない」と明確に否定した。折しも、15日に終了した米連邦公開市場委員会(FOMC)が非常にタカ派的内容であったことも相まって、翌週急激にドル高・円安が進行、136円台後半の高値を付けるに至った。

 日銀の黒田東彦総裁は、6月17日に行われた金融政策決定会合後の記者会見で、イールドカーブコントロール(長短金利操作、YCC)の下での長期金利の許容変動幅拡大は「考えていない」と明確に否定した。16日撮影(2022年 ロイター/Florence Lo/Illustration)

<安全通貨の立場不変>

主要国通貨のほとんどが対円で上昇するなど、為替市場は再び円全面安の様相を呈している。1ドル=140円台が現実味を帯びてきたこともあってか、最近はいよいよ「日本売りだ」「通貨危機だ」と、あたかも日本のあらゆる資産がタタキ売られるかのような、不安を煽る論調が散見されるようになった。

しかし、足元の円安は日本の信認低下に伴う資本流出とは程遠い。ドル円でみると分かり難いのだが、円の名目実効為替レートと米株価を重ねてみると、基調としては円安トレンドが続いているものの、米株価が下落する際には円の実効レートが上昇するといった具合に、市場がリスクオフに傾くと円買いが進む構図は以前から何ら変わっていない。このことは日本円が、グローバルにみれば依然として安全資産の位置づけにあることを示している。

<背景に金融政策格差>

ではなぜ円安トレンドかといえば、これは圧倒的に日本と海外の金融政策の格差によるところが大きい。直近では16日にスイス中銀が50Bpsの利上げに踏み切った。欧州中銀(ECB)も6月の理事会で、7月に利上げする方針を示しているため、日本、米国、ユーロ圏、英国、スイス、カナダの主要6中銀のうち、利上げしないのは日本のみとなる。各国がこぞって金融引き締め局面に入ったなかで、日本だけが取り残されている状況が際立っているのだ。前述した黒田日銀総裁の発言も手伝って、投資家は何の不安もなくキャリートレード(金利差を狙った投資)のための円売りが継続できる。実際、日本の実質金利は4月以降ジワジワと低下しており、各国と日本の実質金利差は拡大傾向にある。

<鍵となる実質金利>

実質金利は、名目金利(10年債利回り)から期待インフレ率を差し引いた実質ベースの10年物金利だが、米国の場合、米連邦準備理事会(FRB)の利上げによって、インフレが将来沈静化するとの見方から、期待インフレ率(ブレークイーブン・インフレ率)は4月のピークだった4.0%台から足元2.5%台まで低下した。反対に、利上げにより米10年債利回りは一時3.5%まで上昇したため、米実質金利は上昇。一方で、日本は指値オペにより10年債利回りの上限を0.25%でキャップしているため、資源高などで期待インフレ率がジワリ上昇するなか、日本の実質金利は緩やかながらマイナス幅を拡大しつつある。これが日米の実質金利差拡大につながり、ドル円の上昇を促しているのだ。ドル円相場と日米実質金利差の相関性は非常に高く、特に、日本の場合は10年債の利回りを固定しているだけに、このまま放置すれば期待インフレ率が上昇するに連れ、日本の実質金利がさらに低下し、これとともに円相場が一段と下落する公算は大きい。

<日銀のジレンマ>

したがって、もしもこの円安トレンドを金融政策で止めようとするのなら、たとえばYCCのターゲットを10年債から5年債に変更する、あるいは、10年債利回りの変動幅を拡大することなどが考えられよう。10年債利回りの上昇をある程度容認すれば、実質金利の下落に歯止めがかかるため、円安にもブレーキをかけることができそうだ。

ではなぜそうしないのかといえば、金融政策は為替のための手段ではない(ことになっている)ことに加え、そもそも日本の実質金利の低下は、景気刺激効果につながるからだ。「物価上昇率>名目金利」となれば、預金の利息よりも物価の上昇が大きくなるため、教科書的には貯蓄よりも消費や投資が選好されることになる。問題は日本の場合、現在のインフレが資源高によるコストプッシュであることに加え、賃金が上昇しないことで体感インフレが加速しており、消費者マインドの悪化につながっていることだ。

このため、インフレによって家計のサイフの紐は益々固くなるという、いわゆる「悪いインフレ」が進行しつつある。景気の足取りがおぼつかないなかで、仮に、現状マイナス0.7%付近の日本の実質金利がプラスに転じれば、金融環境が引き締まり、かえって景気の足かせとなるリスクもある。

消費者マインドの改善には資源価格が下落するか、賃金が上昇することが必要だが、いずれも金融政策でどうにかできるものではない。景気度外視で円安是正に踏み切るなら、上述した手法やマイナス金利政策の修正など、取り得る手段がないわけではないが、日銀としてはその効果よりもリスクの方が高いとみているのではないか。加えて、日銀は急速な円安は望ましくないものの、円安そのものは日本経済全体にとってはネットでプラスとの考えを維持しており、現状では円安是正に動くこと自体考えにくい。

<将来に備えた議論を>

6月のFOMCで更新されたドットチャートでは、23年末の政策金利見通しの中央値が3.75%だったが、一方でFF金利先物は23年末で3.25%付近と、むしろ22年末の見通し(3.375%)より低くなっている。FRBの急速な金融引き締めによって、景気減速が早まるとの見方から、来年後半は早くも「利下げ」が市場で織り込まれているからだ。実際、米国経済が急速に減速する、あるいは景気後退に陥るなどすれば、ドルは大幅に下落する公算が大きい。それを思えば、足元の円安を過剰に不安視するよりも、円安のうちに出来ることを考えるほうが得策ではないだろうか。

岸田首相は5月、英ロンドンのシティで行ったスピーチで、「Invest In Kishida」と述べた。円安の今こそ、腰の据わった日本への長期投資のマネーを呼び込むべく、規制緩和や東京市場の活性化、政府のDX推進など、構造改革や成長戦略を推進する必要があるのではないか。実際、コロナ禍初期には、日本の危機管理に対する懸念が露呈した一方で、日本人の公衆衛生意識の高さや、ひとたびワクチンの供給が始まると一気に普及するという協調性、パンデミック初期に海外で起きたような略奪や暴動が日本では起きなかったことなど、海外から改めて見直されている面も大きい。

ひとたび門戸を開けば、円安の今がチャンスとばかりに、海外投資家が株式や不動産なども含めて、日本の資産を買いにくる可能性はありそうだ。その際に、例えば日本の水資源や質の高い農産物、安全性の高い食料品などが、気づいたら全て海外資本だったというようなことのないように、安全保障面から日本の何を守るのかという戦略も、同時に必要になってくるだろう。

他方、円安・資源高が続いた場合に、エネルギーを安定的に調達するためにはどうするのか、エネルギー安全保障の問題も具体的な戦略が見えないままだ。日銀についても、今後仮にマイナス金利を終了する場合にどういった手順を踏むのか、また、購入した資産をどう減らすのかなど、出口に向けた具体的なステップについて、円高の時にはできなかった議論を今こそ開始し、将来に備える必要があるのではないか。

(編集 橋本浩)

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*尾河眞樹氏は、ソニーフィナンシャルグループの執行役員兼金融市場調査部長。米系金融機関の為替ディーラーを経て、ソニーの財務部にて為替ヘッジと市場調査に従事。その後シティバンク銀行(現SMBC信託銀行)で個人金融部門の投資調査企画部長として、金融市場の調査・分析、および個人投資家向け情報提供を担当。著書に「本当にわかる為替相場」「為替がわかればビジネスが変わる」「富裕層に学ぶ外貨投資術」などがある。

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