
写真は1ドル紙幣。2025年3月撮影。REUTERS/Dado Ruvic
[東京 13日] - 米国とイスラエルによるイラン攻撃から10日が経過した。当初懸念された通り、原油を筆頭とする資源価格の急騰が連日取りざたされており、原油価格は一時、1バレル120ドルに迫る場面も見られた。その後、トランプ大統領がイラン攻撃の早期終了を示唆したことや、国際エネルギー機関(IEA)32加盟国による石油備蓄放出などが決断されたことなどを背景に一時70ドル台へ急落する場面が見られたが、ホルムズ海峡航行にまつわる懸念が払拭されるには至っておらず、結局、本稿執筆時点では90-100ドルの間で推移している。
<懸念される22-23年型の円安>
筆者試算によれば、仮に2026年の原油価格が1バレル約90ドルへと前年比30%以上も急騰した場合、輸入金額は全体で5.4兆円押し上げられる。100ドル超ならば約7.8兆円、130ドル超ならば約14.9兆円の押し上げと試算する。100ドル以上が定着するならば、ドル/円相場見通しの大幅上方修正は必至だと考える。
25年の貿易サービス収支の状況を振り返ってみると、22年以降の4年間をかけて、ようやく戦争やパンデミックを経て生じた需給構造の「ゆがみ」が修正され、円安を駆動する大きな材料が消失しつつあったところであった。それだけに現状は残念である。
現在の為替市場の風景は、圧倒的な「実需の円売り」に押されて弾みがついた22-23年型の円安をほうふつとさせる。
そもそも今の円安局面は22年3月、ウクライナ戦争に伴って需給構造が大きく歪み始めた時期から続いている。その際は地政学リスクに伴う資源価格の騰勢に加え、供給制約から各種財・サービスの価格が押し上げられ、輸入金額が急増した。現状はその再現を警戒させるのに十分な状況である。少なくとも為替市場参加者の立場からは、原油価格が約90ドルから約100ドルという世界は需給構造のゆがみを理由とした円安圧力が復活しやすい世界と考えるのが基本的な分析姿勢になるように思う。
もちろん、筆者は資源や中東情勢の専門家ではないため、こうした悲観的な議論は「現状が続くならば」という仮定の話だ。しかし、日本の輸入の約20-25%(25年の場合は20%程度)は鉱物性燃料で占められており、今回のように、資源価格が急騰してしまうと一気に貿易収支が赤字方向へ傾き、事業法人のフローを通じて、値幅が拡がりやすいという側面があることは忘れてはならない。
<鮮明だった「有事のドル買い」>
イラン攻撃からちょうど1週間の為替市場を振り返ってみると、ドル一強が鮮明であった。まず、イラン攻撃直前の1年間(25年2月28日-26年2月26日)を振り返ると、ドルは全ての通貨に対して(円に対してすらわずかに)下落している。しかし、イラン攻撃後の1週間(26年2月27日-3月6日)を見ると、ドルはカナダドル以外の全通貨に対して上昇していた。また、最強通貨として盤石の地位にあったスイスフランに対してすらドルは上昇した。
このほか、近年、基軸通貨ドルの代替として無国籍通貨である金を筆頭に貴金属の稀少性が注目されてきたが、攻撃後の1週間に着目すれば、対ドルで金はマイナス2%、パラジウムはマイナス9.1%、プラチナはマイナス9.2%、銀はマイナス9.9%と総崩れである。有事の際は、図抜けた軍事力を持つ米国のドルが逃避先になるという「有事のドル買い」が健在だったことを見せつけた1週間だったと言える。
もっとも、ここで見られた金や貴金属の急落からは、一見ドルの基軸通貨性が再確認されたようにも思われるが、そうとも言い切れない。歴史を振り返れば、金融市場が極度の緊張状態に支配された時の初期反応として、換金性の高い金がドル確保のために売られる動きは決して珍しいものではない。従前のトランプ政権の挙動を踏まえれば、ドルが「武器化(金融制裁)」されることへの警戒感から、米国と距離のある国々(の中央銀行)が金を積み増ししようという動きは止まりそうにない。パラジウムやプラチナといった産業用貴金属は景気後退を織り込んで売られた側面があるとしても、無国籍通貨としての金の価値が中長期的な上昇サイクルの途上にある可能性は依然、否定が難しい。
<「ドル離れ」が否定されるわけではない>
実際、「ドル離れ」が否定できるような状態とは言えず、米国の10年債利回りは、これほど緊張が高まる中でも結局、4%割れが定着しなかった。直情的な為替市場では武力衝突という文脈に絡むケースゆえに「有事のドル買い」が優先されたものの、トランプ政権の危うい孤立主義(ドンロー主義)に伴う、長い目で見た「ドルの基軸通貨性」毀損、それに伴う「ドル離れ」は依然として底流にありそうである。言い換えれば、攻撃後1週間で確認された「有事のドル買い」は、あくまで地政学リスクに乗じた短期的な流動性確保の結果に過ぎないのではないだろうか。
ドンロー主義は、同盟国への防衛費負担を求める一方、米国内では大規模な減税とインフラ投資を標榜しており、米国の財政赤字を構造的に膨らませる公算が大きい。金融市場が「米国の覇権性(ドルの基軸通貨性)」と「米国の支払い能力」を切り離して評価し始めたとき、真の脱ドル化が加速する恐れはまだ残っているし、実際、この種のフローの変化は数年、数十年かけて方向が固まっていくものだろう。地政学リスクを受けた「有事のドル買い」と「ドル離れ」は矛盾する相場現象ではなく、時間軸を変えて両立する議論と考えておきたい。
<円やウォンの有事性>
ちなみに、イラン攻撃直前の1年間にせよ攻撃後の1週間にせよ、円や韓国ウォンがさえない動きだったという事実も留意したい。やはり安全保障面で対米依存度の大きい国の通貨(円、ウォン、フィリピンペソなど)は有事性が嫌気されやすい対象なのだろうか。もっとも、アジア通貨全てが攻撃後の1週間で相対的に大きな下落を強いられたわけではないため、「東アジア地域の有事性」が現在の為替市場における原動力になっているとまでは言えない。どちらかと言えば、日本や韓国は資源調達の海外依存度が大きいという脆弱性ゆえに、地政学リスクの高まりがそのまま貿易収支の悪化懸念に直結するという特性が影響している可能性が高そうにも思える。
しかし、きな臭いこの時代において「紛争の当事国になりやすい」という視点はグローバルな投資家にとっては敬遠する材料にはなり得る。ドンロー主義に伴う「ドル離れ」が注目される中、仮に台湾有事や朝鮮半島有事に至った場合、日本や韓国は当事国と見なされやすいのだとすれば、「円やウォンも積極的には選ばれにくい」という事実は頭の片隅に置いても良いだろう。実際、トランプ氏が関税を発表した「解放の日」以降に歴史的なドル安が進んだ25年も、円と同様、ウォンもさえない動きを強いられていた。このあたりはまだ始まったばかりの傾向であり、筆者も自信があるわけではない。当面の値動きを丁寧かつ継続的に分析しつつ、今後の示唆を検討する段階である。
いずれにせよ、イラン攻撃直後の為替市場は「短期的なパニック対応(ドル買い)」と「長期的な構造不信(ドル離れ)」の狭間で揺れている状況だと筆者は整理している。前者の文脈でも大して買われなかった円が、後者の文脈でも買われにくいとすれば、軟調相場を反転させる材料は乏しいように思えてならない。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミスト。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本貿易振興機構(ジェトロ)入構。06年から日本経済研究センター、07年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向。08年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。著書に「弱い円の正体 仮面の黒字国・日本」(日経BP社、24年7月)、「『強い円』はどこへ行ったのか」(日経BP社、22年9月)など。新聞・TVなどメディア出演多数。note「唐鎌Labo」にて今、最も重要と考えるテーマを情報発信中。
*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。
私たちの行動規範:トムソン・ロイター「信頼の原則」