for-phone-onlyfor-tablet-portrait-upfor-tablet-landscape-upfor-desktop-upfor-wide-desktop-up

コラム:FRBが中銀デジタル通貨検討を始める2つの大きな理由=井上哲也氏

[東京 31日] - 米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は5月20日の講演で、米国における中央銀行デジタル通貨(CBDC)のメリットやリスクに関する考え方を今年夏に公表することを明らかにした。他の主要国の中央銀行に比べて慎重な姿勢を維持してきたFRBが、ここに来て具体的な動きを見せ始めた理由について、上記の講演では必ずしも詳細な説明が行われていない。ただ、これまでCBDCについて対外発信を行ってきたブレイナードFRB理事による5月24日の講演などを踏まえると、2つの大きな要因が推察される。

 米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は5月20日の講演で、米国における中央銀行デジタル通貨(CBDC)のメリットやリスクに関する考え方を今年夏に公表することを明らかにした。井上哲也氏のコラム。写真はFRB本部。米首都ワシントンで2012年4月撮影(2021年 ロイター/Joshua Roberts)

<米国を駆り立てる中国の先行>

第1に暗号資産の変化である。暗号資産は、機関投資家による投資対象にも含まれ、金融資産としての地位を高めつつある。しかし、その代表であるビットコインが示すように価格変動が大きいだけに、支払い手段としての有用性には限界がある。

これに対し、米ドルのような法定通貨を裏付け資産として発行される暗号資産(ステーブルコイン)は、価格の安定性というメリットを背景に米国内でも支払手段としての利用が拡大している。

第2に、海外の中央銀行によるCBDCの発行に向けた動きである。この点では、概念検証を開始したスウェーデンや日本、政府と中央銀行が共同で設計面の検討を開始した英国、米国と同様に間もなく考え方を公表するユーロ圏もさることながら、既に本格的な実証実験を展開している中国が焦点となっている。 

中国の政治体制や官民一体の産業構造を考えると、デジタル人民元は主要国の中で最も早く実用化される可能性がある。

<ステーブルコインとの関係>

しかし、これらの認識が正しいとしても、直ちにCBDCの発行が必要と結論付けることには違和感を持つ向きもあろう。

まず、ステーブルコインの台頭がIT技術や金融サービスのイノベーションを促進するのであれば、それ自体は歓迎すべきであるし、利用者保護や金融システム安定に不安があるのであれば、発行者のビジネスや裏付け資産の管理を適切に規制・監督すれば良いとも言える。

それでも、ステーブルコインの発行者が既存の金融機関でなく、消費者サービスを本業とする事業法人やIT企業に拡大した場合─これは蓋然性の高いシナリオである─、FRBが適切な規制や監督を維持できるかという問題は残る。FRBは、シャドーバンキングの主役である各種のファンドですら監督に苦慮しているだけに、非金融の事業者への対応はより厳しい課題になるとみられる。

また、ステーブルコインが支払い手段としての地位を高めた場合、金融政策の波及メカニズムや効果への影響にも不透明な面が残る。

例えば、法定通貨による裏付けを中央銀行当座預金に限定するなど厳格な枠組みとすれば、ベースマネーとステーブルコインとの量的な関係を安定させることは可能だ。だが、裏付け資産が国債や銀行預金に拡大したり、ステーブルコイン同士が付利で競争したりすれば、FRBによる政策金利の変更が通貨(支払い手段)の価値変化を通じて経済全体に及ぼす影響には当然、変化が予想される。

<デジタル化による中国の狙い>

デジタル人民元との関係も、そこまで深刻に考える必要があるのかという疑問があろう。特にクロスボーダーの観点では、「一帯一路」を含むサプライチェーンにおける貿易取引で活用が進むとしても、資本取引の自由化には時間を要するとみられるだけに、投資や貯蓄の手段の点で国際通貨の地位を獲得するのは先の話とも言える。

しかし、デジタル人民元が支払い手段の「単機能」であってもクロスボーダーで広く使用されるようになれば、米国にとって海外の企業や家計、金融機関における国際通貨としての米ドルへの需要には影響が生じうる。このため、FRBによる金融政策が世界の金融経済に与える影響にも変化が生じうる。

FRBにとっては、政策運営を通じて自国経済だけでなく世界経済にも影響を与えることで、政策効果にレバレッジをかける余地が低下しうる。

また、先の話ではあっても、米ドルの国際通貨としての地位に不確実性が生ずることは、財政赤字のファイナンスにも潜在的な脅威となりうる。コロナ問題に際して巨額の財政出動が可能であったのも、FRBによる金融緩和だけでなく、海外投資家による国債消化に不安がない点が大きい。将来、国際通貨としての米ドルの地位に疑問が生じれば、少なくとも国債利回りが上昇し、FRBの政策運営が困難に直面するのは1970─80年代初頭の経験が示す通りである。

もちろん、米ドルの国際通貨としての地位を守るための方策は、FRBによるCBDCの発行に限られるわけではない。金融政策の適切な運営を通じて価値を安定的に維持することや、米ドルの調達と運用の場である金融資本市場の機能を一層高めることも有用である。

それでも、クロスボーダー取引においても財やサービスだけでなく「デジタル財」の効率的な支払い手段としての意味合いや、デジタル人民元がIT技術や金融サービスとともに競争力を高める可能性を考慮した場合、米国の中央銀行マネーがデジタル化されていなくて良いと言い切れるかどうかは明確でない。

<失うものの大きさ>

このように、FRBがCBDCに関する具体的な取り組みを見せていることには、国内での支払い・決済の効率化や高度化という課題の解決を前面に掲げる他の先進国とも異なる面がうかがわれる。

つまり、ステーブルコインの台頭とデジタル人民元の導入という2つの背景は、いずれも金融政策の効果や米ドルの国際通貨としての地位といった、米国のマクロ経済政策の根幹とリンクした2つの要素に関わっている。しかも、本稿でみてきたシナリオは、「テールリスク」であったとしても、実際に顕在化したらFRBにとって致命的な影響を及ぼす恐れがある。

しかも、これらのリスクの顕在化がかなり先であるとしても、他の先進国の実例が示す通りにCBDCの開発や設計には相応の時間を要するだけに、事態の推移を悠長に見守るという選択は適切でないとの判断に至ったことが推察される。

パウエル議長が講演で示唆したようにCBDCの導入が唯一の対応策ではないとしても、FRBによる考え方の公表によって、米国内のCBDCに関する議論が一気に活性化することが展望される。

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*井上哲也氏は、野村総合研究所の金融イノベーション研究部主席研究員。1985年東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。米イエール大学大学院留学(経済学修士)、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフなどを経て、2004年に金融市場局外国為替平衡操作担当総括、2006年に金融市場局参事役(国際金融為替市場)に就任。2008年に日銀を退職し、野村総合研究所に入社。主な著書に「異次元緩和―黒田日銀の戦略を読み解く」(日本経済新聞出版社、2013年)など。

(編集:田巻一彦)

*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。

for-phone-onlyfor-tablet-portrait-upfor-tablet-landscape-upfor-desktop-upfor-wide-desktop-up